ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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2018.08.01 Wednesday | - | - | -

忘れやすい大人たち:とある車内での出来事

赤ちゃん

 過日の夕食時のこと。最近、眠るのが22時過ぎの小学5年の末娘に対して、もっと早く寝なさいと高校1年の三男坊が言った。私自身も「寝る子は育つよ」と言った。

 その瞬間、とある車内での出来事を想起した。

 ある日の夕方、私は電車に乗っていた。それなりに混んでいた。 ドア近くに、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた若いお母さんがいた。

 突如として泣く赤ちゃん。赤ちゃんの前に座り、若いお母さんは、あやしはじめた。しかし、泣き声は大きくなる。困り果てたお母さんは、抱っこしたが泣き声はとまらない。

 車内の視線が一斉にお母さんの方へ。その視線が徐々に尖っていった。

 お母さんも半分は泣きそうな顔をしながらも、赤ちゃんをあやし続けていた。

 我が子供達も同じような経験があったなと私は思い出した。こんな時、「泣きたいのは、自分自身なんだよ」という記憶が蘇ってきた。

 私は、車内を見渡し、できる限りの柔らかい視線を投げかけた。それがお母さんと赤ちゃんに伝われば良いなと考えながら。「お母さん、赤ちゃんにとって泣くのが仕事ですから」とも思いつつ。

 公共の場で、ベビーカーなど云々という議論があることは知っている。しかし、そんなことは、その瞬間はどうでもよかった。

 私の視線がお母さんに届いたどうかは分からないが、その場で私自身にできることは、それだけだった。

 車内を見渡し、尖った視線を浴びせている皆さんも幼き頃は、場所に関係なく泣いていたのですよと言いたかったが、みんな、忘れているのだろうなと思った、幼き頃を。

 大切なことこそ、忘れやすいのが、「ひと」であるなと思いながらも。

※「ベンチャー 企業社長ブログトップ10位へ
2016.01.30 Saturday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)

本当の意味での「生死を伴う」格差の存在

悲しみ

 私は、飲食店も、ファミリーレストランも、そしてコンビニさえも、すべて行く場所を決めている。何度も通えば、顔馴染になり、マニュアル通りのやりとりでなく、心が通ったやりとりができると考えているからだ。

 ガソリンスタンドも、その中の一つ。価格では選ばない。店員さんと顔馴染になり、何気ない会話を10分程度、終えた後に店を出る。

 数年前の真夏、突然、車のバッテリーが止まった時は、馴染のガソリンスタンドに電話した。スタンドと、かなり距離は離れていたが、すぐに軽トラにバッテリーを乗せ、交換してくれた。もちろん、バッテリーと交換費用のみで、出張料など無かった。

 また、ガソリンを入れた後、通常は「ありがとうございました」で見送られるものだが、家族旅行に行く前に、車のチェックをしてもらった後は、「良き旅になるよう祈っています」と言われた。それだけで心が晴れやかになった。

 残念ながら、そのスタンドは3年ほど前に潰れてしまった。
 閉店という大きな看板を見た瞬間の無念さは、生涯、忘れることは無い。

 そして、2年程前から、通い出した新たなガソリンスタンド。

 店長には中学2年の娘さんがおり、ちょうど我が家の次男と同年齢だ。昼間にガソリンを入れる際は、店長が「本当に勉強しませんわ、社長のところはどうです」と店長の常套句を聞きながら、最後は「まぁ、なんとかなりますよねぇ」で終わる。

 夕方は、16時から22時まで勤務する71歳の方が私の担当となる。一度、辞めさせられたようだが、半年後に、また復帰された。
 この方は、若かりし頃、西陣で織物関係の仕事をされており、引退後、スタンドの店員となられた。

 2ヶ月ほど前、左手に包帯をされていた。

 「どうしたんですか、その手は」と私。
 「いやいや、こけてしまいまして」と店員さん。

 「仕事になりませんでしょ、それでは」と私。
 「いや、何とかやってます。休めませんので」と店員さん。

 骨折されたそうだが、スタンドを休むと、また解雇されるため、何とか激痛に耐えながらも、給油している車の窓を拭かれている。もちろん、私は窓拭きはしてもらっていない。

 そして、数日前、衆議院で消費増税の法案が可決した翌日夕方にスタンドに行った。

 「とうとう、消費税、通りましたねぇ」と私。
 「えっ、そうなんですか」と店員さん。

 この応答を聞いた時、瞬時に理解した。

 お一人で住まいされ、お一人で食事を作られていることは過去の会話で知っていたが、パソコンを持っておられるとは思っていなかったが、テレビも新聞も無いということを。

 スタンドには、雑誌や新聞などが置いてあるはずだが、それさえ見ておられないのだろう。

 少し、視点を変える。

 今年の夏、関西電力管内で計画停電が行われる可能性がある。事前の通達方法は、新聞、ネット経由、携帯でのメールなどだ。

 換言すれば、店員さんは、停電という情報を事前に知り得る状況に無いということ。もしかすれば、計画停電すら、未だに知っておられないかもしれない。

 今、このWeblogもそうだが、TwitterやFacebookなど、多様なツールによって情報を得ることができ、発信することもできる。Amazonがあれば、ほとんどのモノを買うことができる。

 しかし、パソコンや携帯電話が無ければ無理な話だ。

 私の母親は、携帯電話を持っているが友人とのメールでのやりとりくらいで、あとは通話のみ。ただ液晶テレビで天気予報も見ることもでき、新聞も読んでおり、最低限の情報は確保できている。

 さて、お世話になっているご高齢のガソリンスタンドの店員さん。

 世間には、携帯やスマートフォンさえあれば、テレビも新聞も必要無いという方が存在する。店員さんは、唯一の情報源である新聞も無い。新聞くらい購読しろよと思われる方があるかもしれないが、他の生活費に回されているのだろう。だからこそ、骨折してもスタンドの店員を続けておられるのだ。

 「インターネットというインフラ」は、素晴らしいモノである。私も米国留学時代にネットがあれば、高い国際電話など払う必要が無かったなと、今でも思う。

 ただ、インターネットというインフラは「格差」を生み出す可能性がある。
 インターネットを使うことができない人と、使っている人には大きな情報の格差が存在することは、多くの方に理解していただけると思う。

 少なくとも、日本に限って言えば、インターネットというインフラがあったとしても、店員さんのように、インフラを利用できない方は多数、おられると思う。そして新聞もテレビも無い方も。
 計画停電も、台風情報も、地震も、すべて情報をリアルタイムで把握できない。正に、生死に関わることを知り得ることができない。

 インターネット、新聞、テレビといったインフラに依存し過ぎている今の日本。
 これらのインフラから取り残されている方々への配慮が無ければ、今後、インフラに依存できない方との格差は広がる一方である。

 新聞という最も古いインフラも利用できない人々の存在。その事実に気付きながらも何もできない私、そしてインターネットというインフラに傾倒し過ぎている今の日本。

 インターネットというインフラが発展した今、「格差」は既に生じている。そして何もインフラを利用できない方には、「生死を伴う」格差が襲っている。

 「解」は無い。ただ、現実に一人のスタンドの店員さんに「生死を伴う」格差が生じていることは事実として存在している。

※「ベンチャー 企業社長ブログトップ10位へ
2012.06.28 Thursday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)

私の子供達が子供を持つ頃、その子供が結婚する頃の日本が想像できないという事実



 私が大学卒業の頃は、いわゆるバブルの時代だった。同級生の多くは何も悩むことなく金融機関などに就職し、経済学部で米国へ留学したのは唯一、私だけだった。

 ビジネススクール時代、日本人の私は質問攻めだった。いわゆる経済大国日本として。あの当時の日本には将来や希望がみえていた。

 それから、約20年弱の今。

 将来に希望を持っている人々はいるだろうか。

 入学できるかどうかはともかく、高校一年の長男は大学に入学し、何とかどこかに就職できるような感はある。そして結婚もできる感はある。
 しかし、小学一年の末娘が大学に入学する約20年後弱の日本がどうなっているか想像がつかない。「たった、20年後の日本が見えない」のだ。

 少し視点を変える。

 過日、ある大学教授と話をしていた。

 とある薬科大学が6年制で卒業となり、この春に初めて卒業生が生まれるとのこと。しかし、薬剤師、製薬業界、薬問屋、ドラッグストアなど、大学教授にも多数の相談が来ているが感触では、まず就職は難しいとのこと。少なくともこの業界は既に飽和状態にあるということだ。
 永年、卒業生を送り出してきた大学教授も極めて今だけでなく、将来にも危機感を抱かれている様子だった。

 さて、話を戻す。

 一体、こんな日本に誰がしたのだろうか。政治家か、それとも私を含めた日本人全員だろうか。それとも諸外国なのだろうか。私はいずれもだと思う。

 再度になるが、もし、今、小学一年の末娘が約20年後弱に大学を卒業し、その後、結婚したとしよう。そしてお陰様で子供を授かったとしても、その子供達の未来が想像できない。末娘だけでなく、5人の子供達が結婚し、産んだ子供達の日本がまったく想像できない。

 できることなら、いわゆる自分の孫の結婚式に参加したい。
 私も妻も生きていれば、大喜びで祝っているだろう。

 ただ、その光景が残念ながら目に浮かばない。私の性格からして、何とか将来を目に浮かばせ、そこに邁進するのが私の生き方なのだが。

 現実に明日をどう生きるかを考えておられ日本を含めた諸外国の方々がおられる。その方々のことを考えれば、私の杞憂など足るに得ない話だ。

 ただ、私の孫を見る見ないは別として、将来の日本が見えない、希望が見えないことだけは現実ではないだろうか。

 悲観するなと思う方もおられるだろう。悲観していない。私は現実問題として、考えている。ただ、将来の悲観を自分なりに解決できない自分が情けなく、もどかしい。

 結論の無い、かつ悲観的なエントリだが、週末に我が子供達を見ながら、率直に今、思うことを書いた。

※「ベンチャー 企業社長ブログトップ10位へ
2012.02.27 Monday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)

小さな空間での罵声、そこで見えたどうしても交差することができないものがあるという現実



ある日のトンネルでの出来事

 数日前の夕方、私は打合せを終え、車で会社へ戻っていた。

 その途中、いつもの通勤経路でもある小さなトンネルに近づいた。車一台のみしか通ることのできない小さなトンネルだが、抜け道のようなもので大通りを車で走るよりもかなり早く会社へ到着することができる。
 小さなトンネルは長さ約20メートル程。トンネルに入った瞬間に、80歳くらいと思われるご夫婦がトンネル中ほどに歩いておられた。奥様は杖を持って、そしてご主人らしき方は自転車を押しながら。

 私は、車を完全に停止させ、車の窓を開け、「どうぞ、先に行ってください」と言おうとした。しかし、私の一言よりも先にご主人が叫ばれた。

 「行けるだろ、先に。早く行けよ!」と。

 吐き捨てるような、罵声に近いものだった。

 私は、頭を下げ、車を徐行させながら、その場を走り抜けた。

別の日のトンネルで

 他の日に、またこのトンネルを通ることがあった。トンネルを入ろうとすると、20代くらいのお母さんと2人の小さな子供たちが自転車で反対側からトンネルに入ろうとしていた。
 私は、車を停止し、窓を開け、「どうぞお先に」といった意味を込めて、窓から手を出した。しかし、お母さんと2人の子供たちは、逆に「どうぞ先に行って下さい」といった感じのジェスチャーを見せた。

 私は、ゆっくりと車を走らせ、トンネル入り口で待ってくれていたお母さんと2人の子供たちに車内から軽く会釈をした。相手も軽く会釈を返してくれた。

数秒間のコミュニケーションに存在する大きな違い

 「小さなトンネル」という危険な空間では、私は自分の車よりも歩いている方や自転車に乗っている方に先に通ってもらう。そして、数秒間の出来事ではあるが、そこには、多くの場合、お互いに軽い感謝のようなコミュニケーションが存在する。
 逆に、先に書いた老夫婦のような罵声をこの「小さなトンネル」では今まで経験したことが無かった。しかしこれも一つのコミュニケーションなのかもしれない。負のコミュニケーションといっては大げさかもしれないが、そこには大きな違いがあると思う。

 私は今回のような罵声を浴びせられるくらいではまったく何も気にならない男だ。しかし、世間の多様な人々の中には、ちょっとした罵声、ちょっとした言葉の行き違いで大きな心の傷を負う人が存在するのではと私は考える。「小さなトンネル」に限らず、電車の中や会社、そして学校など様々な場所で、ある人にとっては些細なことでも、ある人にとってはとてつもなく悲しいことと考える、思い込んでしまうことがあるということだ。

罵声を浴びたことで唯一、見えたもの

 今回、罵声を浴びせられた後、なぜ、あのような言葉をご老人が発せられたのか、しばらくの間、考え続けていた。しかし、いつになっても答えはみつからなかった。
 自分が良いと考えた行動も相手にとってはそのように捉えてもらうことができないという事実だけは私にも理解できた。

 どうしても交差することができない、どんなに自らが努力しても相手にはわかってもらえない何かが存在していると言えるかもしれない。現代の社会の一面を現しているとも言えるかもしれない。

 そして、ご老人の罵声はともかくも、先に書いたように些細な言動で大きな心の傷を負ってしまう人の存在も、このエントリを書きながら改めて認識した。ただ、私自身がいくら注意しても、ちょっとした私の言葉で心に傷を負う人がいることも、また心に傷を負わせてしまうことを回避できないという事実も存在しているのではないかと考えた。
 罵声を浴びることも、相手の心に傷を負わせてしまうような言動も、日常生活の中で回避できず、突如として降りかかってくるという現実。これもどれほど自らが努力しても無理な事実の一つだろう。

 いずれにせよ、これ以上、なぜご老人があのような言葉を発せられたのかについては考えないこととしよう。またなぜこんな世の中になったのかについて模索することもしない。

 ただ、今回、いろいろと考えながら、唯一、一つだけ見えたことがある。

 自らがどんなに努力しても回避できない何かが現実として存在しているのなら、自分が唯一できることは、少なくとも、こんなちょっとしたことで、罵声を浴びせるような人間にだけは私は絶対になりたくない、ならないということだ。

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2008.06.17 Tuesday | 社会への思い | comments(9) | trackbacks(0)

なぜ道路でなく道路工事が欲しいと率直に言わないのだろうか?

メジャー

 私の自宅は四つ角にあり、周辺の道路は2台の車がやっと交差できる程の小さな道に囲まれている。自宅近くの駐車場から車で会社まで約10分。しかし、数日前の降雪で会社到着まで1時間以上を要した。
 降雪した朝、自宅前の道には国道方面に向かって数十台の車が並んでいた。逆方向に車が通ろうにも通れないほどぎっしりと車が列をなしていた。その道を抜ければ国道になるのだが、京都方面行きが極めて渋滞しており、信号が青になっても3、4台がやっと抜けられるような状態だった。そんな渋滞の道を車内で待ちながら、今、自宅近くに急病の方がおられても救急車は通ることはできないだろうな、どうするのだろうかと考えていた。

 さて、今、「ガソリンの暫定税率」・「道路特定財源」・「一般財源」など道路に関する問題について、行政や国会関係者の間で盛んに議論されている。
 ある首長は「道路は生活のために絶対に必要」、ある議員は「道路に関する費用対効果が不透明、役所の言いなりだ」と言う。どこまでも平行線で噛合うことのない議論に見えて仕方が無い。

 ただ、私が報道などで知る限り、誰一人として率直に、そして明確に「道路が必要なのではない、道路工事が欲しいのだ」と言った方はいない。誰か言われた方がおられるかもしれないが、国民の大半は、「本当は道路でなく、道路工事・公共事業が地元に必要だから、ここまで議論がなされているんだろう」と考えているはずだ。そして直接的、間接的な利害関係者がさらに首長や議員の背中を押す構図が見え隠れする。

 我々の仕事は造園業だ。公共事業が年々、減少傾向にある。我々も少なからず影響を受けていることは確かで、近い将来、新たな道路が建設されれば、道路の植栽工事を我々が受注できるかもしれない。しかし、会社の事業に関係なく、今後10年間に約59兆円もの道路を建設することが果たして必要なのか疑問視せざるを得ない。
 そして、道路特定財源の使途や費用対効果の不透明さが、暫定税率の引き下げあるいは10年間延長いずれかの議論をさらにややこしくしている。

 明確なソースがあれば良いのだが、恐らくバイアス・恣意的なソースしかないと考えられるので、以下は私の想像だ。

 「ガソリンの価格が高いまま=車に乗る人が減る=環境に良い」というまったくの一面しか見ていない主張が政府の一部にあった。では、59兆円分の道路建設で排出される巨大なCO2はどうなるのだろうか。
 ガソリンの暫定税率が撤廃されれば、車に乗る人は今以上に増えるはずだ。特に輸送関係は鉄道輸送の一部がトラックなどにシフトしていくだろう。「ガソリンが安くなる=環境負荷がさらに高まる」という図式だ。

 これからの10年間、さらに日本の人口は減少し続け、高齢化が目に見える、体感できる社会となるだろう。しかし、なぜか59兆円の道路を建設する必要があり、そのために暫定税率は撤廃できないと政府は、頑固にも見えるほどの主張を続ける。
 私はガソリンの値段(厳密に言えば暫定税率)はこのままで良いと思う。ただ、税収すべてを道路建設に活用することには反対だ。財源が道路特定財源、一般財源いずれかといった一般庶民がどう議論しても何も変えることができない区分けは今はどうでもいい。
 私はガソリンから得た税収を道路ではなく、地下鉄などの公共交通や温暖化対策などに使うべきと思う。例えば、大都市の一つである京都さえ東西南北の2つしかまだ地下鉄は整備されておらず、極めて不便だ。車で移動せざるを得ない場合が多々ある。温暖化対策についても次の洞爺湖サミットで環境が議論の中心となる。その際、日本は道路で59兆円を10年間かけて建設する法案をやっと可決しましたとでも報告するのだろうか。恥ずかしくて他国の首脳に対して言えるはずも無いだろう。

 私なりの想像した考えをまとめると、1)人口が減少することが明白な国が10年間で59兆円もの道路を建設することは諸外国と比較してもあり得ない。2)ガソリンが安くなれば自動車利用が増え、必ず環境負荷は高まる。3)59兆円の道路建設は利便性を上回る果てしない環境負荷を発生させる、という3点だ。だから、税収の一部を他に活用すべきと考える。

 しかし、どうしても作るべき必要な道路というものが存在することを私は否定しない。先に述べたように私の自宅周辺の道は車の通行量と比較して極めて狭い。小学生の通学路でもある。小学生は登下校時に並んで歩く。彼ら彼女らの横を注意しながら走る車もあれば、スピードを落とさず、走り去る車もある。いつ事故が起きても不思議ではない道だ。
 他にも道路が必要な要因は地域それぞれ多々あるだろう。ただ、従来通り、行政が計画すれば無駄が生じる。私だけでなく多くの国民も同じ思いだろう。

 だからこそ、「本当に必要な道路」を建設する際は、その地域の住民が建設費の一部を負担すれば良いと思う。一人当たり1%などは到底無理だが、建設規模や想定される受益に応じて0.005%や0.001%などに変動させていけばいい。
 重要なことは、国や自治体任せ、丸投げではなく、自らも建設費を一部負担するという「覚悟」を持つということだ。自分の財布から建設費の一部が引かれるのであれば、建設費や建設業者自体も住民自らが精査し、建設工程も見守るだろう。

 自分の家を建築する時、すべてを業者任せにする人はいない。時には何度も図面を確認し、時には何度か建築現場に足を運ぶ。そうしていわゆるマイ・ホームというものを手に入れる。その流れと同じだ。自分の財布で一部負担した自分の道路という意識があれば、道路完成までに対する視点はまったく変わる。
 道路は税金でつくられるもの。しかし、今まではあまりにも間接的であり、直接、自分が負担しているという意識は無かったはずだ。その意識を受益者のみが一部負担するという図式を認識することで、監視の目が高まるため道路の無駄遣いはなくなり、本当に必要な道路が適切な費用で完成すると私は考える。大規模な高速道路建設も自分の財布から一部捻出しなければならないと考えれば、本当にここに高速道路が必要か真剣に考えるだろう。

 今まで述べてきたことは、夢物語かもしれない。あるいは、道路工事を欲しい人々にとっては、何を考えているのか、と思われるのかもしれない。しかし、このやり方を実行するくらいの気概がなければ、暫定税率がどうなったとしても、59兆円の道路建設が決定したとしても、いずれの場合も環境への負荷は高まることだけは確かだ。

 昨日、民主党の管代表と宮崎県の東国原知事が、道路に関する公開討論を行った。私も一部のみニュースで見ていた。そこで、このようなやりとりがなされていた。

「なぜ宮崎県は他県と比較して道路整備が遅れているのですか」と質問された知事。
「政治家の影響力が関係していると聞いております」と答えた知事。

 政治家や一部の関係者だけが左右できるモノの一つが道路ということだろう。そこには将来の地球環境への配慮など微塵も無い。今、自分の立場が守られればそれで良いという思いしかない。しかし、誰かがこの流れを止めなければ、何十兆円ものお金が、未来永劫、道路へ費やされる可能性がある。しかし、道路以外に費用を要するものは多々あるだろう。

 悪循環の流れを断つには、再度になるが、自らが受益するものについては、自らの財布から直接、目に見える形で負担するという「覚悟」が必要だと私は考える。道路だけでなく、自らの生活に直結するものについてもそうだ。京都市が行っているゴミ袋の有料化も一つの例かもしれない(費用対効果については議論すべき点が多々あるが)。そうすれば無駄遣いは少なくとも解消への方向へ歩み、悪循環の流れは断ち切れるかもしれない。

 一つか二つ前の総理大臣が言っていた。「改革には痛みが伴います」と。彼の言う痛みは今まで述べてきた「覚悟」とは少し違うかもしれない。しかし「痛み」こそが自らの生活を見直すきっかけの一つであることは間違いない。「痛い」という直接的な変化を感じなければ、誰しも動かず、何も変わらない。これは日常生活も会社経営も、そして国家の運営も同じだと私は考える。

【参考書籍】

道路の経済学 (講談社現代新書)
講談社
松下 文洋(著)
発売日:2005-05-19
発送時期:通常24時間以内に発送
ランキング:11599
おすすめ度:4.5
おすすめ度5 道路行政のナンセンスを徹底理解おすすめ度5 猪瀬さんに任せっきりはよくない!おすすめ度4 アクアライン1000円を実現した本


偽りの民営化―道路公団改革
ワック
田中 一昭(著)
発売日:2004-02
発送時期:通常3〜5週間以内に発送
ランキング:87639
おすすめ度:4.5
おすすめ度3 民営化委員の立場をつらぬいた田中おすすめ度4 迫真のドキュメントだが・・・おすすめ度5 今井逃げ、猪瀬ごまかす民営化、口先だけで壊すは小泉おすすめ度5 偽りの民営化を読んでおすすめ度5 此処に真実がある。


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※「新進気鋭アーティスト:鉄人Honey、下記画像をクリック」


2008.02.20 Wednesday | 社会への思い | comments(4) | trackbacks(1)

一人で頑張っても夢はかなわない:人々の支えと自らの失敗、そして運命を冷静に受け入れることで実現する

夢を実現させるために

 脚本家の山田太一氏が雑誌のインタビューで「頑張れば夢はかなう」・「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」と発言したことが大きな反響を呼んでいるそうだ。インタビュー記事すべてを読んだわけではないが、今までの自分の人生の経験をふまえると「頑張るだけで夢はかなう」とは私も思わない。

 私は、大学卒業後、紆余曲折の人生を歩んできた。普通の人では滅多にない「倒産」も経験してきた。そしてホテルマンになるという子供の頃からの夢は破れ、今、緑化関連の小さなベンチャー企業の社長をしている。しかし、学生時代には想像さえしなかった「緑化関連企業の社長」という今の立場を獲得するために「頑張った」とはまったく思っていない。社長になることで成功したとも、もちろん思っていない。
 ただ、今まで家族と共に年齢を重ね、そして7年近く今の立場でいられる最大の理由は、多くの人々の支え、自らの失敗の積み重ねとそこから得た教訓、そして「運命」を素直に正面から受け止めたからだと私は考えている。よって、私は「一人で頑張るだけで、夢はかなうはずがない」と思うのだ。

頑張って夢をかなえたのは一部の人々

 まず、大きな反響を呼んでいるという「J-CASTニュース : 「頑張れば夢かなうは幻想、傲慢」 山田太一発言ネットで大反響」から一部引用する。
 「頑張れば夢はかなう」とは良く聞く言葉だが、脚本家で作家の山田太一さんが雑誌のインタビューで「(これは)傲慢だと思っている」「頑張れば何でもできると思うのは幻想だ」などと発言したことが大反響を呼んでいる。

 「僕は一握りの成功者が『頑張れば夢はかなう』と言うのは傲慢だと思っています。多くの人が前向きに生きるには、可能性のよき断念こそ必要ではないでしょうか」

 雑誌やその他メディアでのインタビューなどには「頑張った結果、夢がかなった」という企業経営者の記事が散見される。もちろん書き方次第でいくらでも内容は変わるとしてもだ。よって、「頑張れば何でも実現できる」と確信している、あるいは実現した人がいるという存在は否定できない。
 ただ、「頑張って夢をかなえた人は一部にしか過ぎない」ということが事実であることも否定できない。日々、頑張っている人の絶対数と、夢をかなえた成功者の絶対数では、前者が圧倒的に多いはずだ。しかし、現実は、日本中のあちこちに成功者が存在しているわけではない。それこそ昨今の格差問題など事象として生じるはずもない。だからこそ「頑張れば夢はかなう」と単純に言うことは現実とも乖離している。
 そして、山田氏が指摘する「傲慢」・「幻想」という側面は、「頑張るだけで何でもできる」と断言するなという指摘、そして、そう思い込むことの危険性を示唆していると共に、「頑張ること」の限界を暗示しているのではないかと私は考えると共に、この点についても意を異にしない。

夢の実現の第一歩は頑張れば可能だ

 少し私自身のことを書いてみる。

 私の祖父はあるホテルチェーンの創立者だった。それまで相部屋・料金不均一という業界の常識を打破し、「個室・一泊朝食付き・値段均一」という今では常識となっているビジネスホテル・シティホテルというコンセプトを創出した人だ。
 私は直接的に言われた記憶は無いが、このホテルチェーンの後継者となるべく育てられた。小学校時代から、スポーツ選手になりたいわけでもなく、漠然と祖父のホテルで仕事をしたいなと考えていた。

 中学時代に既に、私は曖昧ながらも留学を考えていた。中学当時から英語が好きだった私は、高校・大学とも英会話を時には独学で、時には英会話学校へ行き、学び続けた。そして大学に入学し、本格的に大学卒業後のビジネススクール入学を決意した。米国のそれなりのレベルのビジネススクールに入学するためには、英語力だけでなく、日本の大学時代の成績そのものも評価の対象となるため、大学時代もそれなりに勉強した。

 そして、いくつかのビジネススクールの合格通知を受け、最終的にワシントンD.C.にあるビジネススクールへ入学した。留学した最大かつ唯一の理由は、ホテルチェーンの後継者となるべく「経営学」を学ぶためだ。ビジネススクール入学後、それこそ毎日、寝る以外は勉強ばかりしていた。一度だけ、テストに遅刻したことがあるが、15年近い昔の話だが、今でも夢に出てくる程だ。
 小学生からの漠然、曖昧模糊とした夢は先にも述べた「ホテルチェーンの後継者となる」こと。その夢を実現するための選択肢の一つとして私はビジネススクール入学を選んだ。そして無事、卒業できた。

 ビジネススクール卒業は、夢の実現までの第一歩に過ぎない。そのために、留学前に中学生時代から英語力向上のため日々、「頑張った」。今ではもう一度やれと言われても無理だと思うほどハードなビジネススクールでの授業も「頑張った」。
 このように、「頑張る」だけでは夢は実現しないが、夢を実現するための原動力として「頑張る」ことは必要だ。それ以上でもそれ以下でも無い。

頑張ることより、多くの方々の協力や失敗が成果を加速化させる

 帰国後、私は念願のホテルチェーンへ就職した。修行ということで他のホテルへの出向も経験した。しかし、半年もしないうちに関係会社の新規事業ということで、青森に滞在することが決定した。もちろんホテルにまったく関係の無いが青森ならではの「リンゴ」関連の仕事だ。
 当時、ビジネススクールを卒業した直後の私にはプライドがあったと思う。「経営学」を確実に知っているという自負のようなものだ。しかし、青森での仕事に「経営学」は必要なかった。生まれてはじめての雪国での生活、そして「リンゴ」というまったく未知の分野での仕事。新規事業を軌道に乗せるためには、多くの地元農家の方との信頼や協力なくしては無理だった。それでも困難な道のりが続いた。その時、「経営学」を知っているというプライドを捨て、恥を知ろうと考えた。その結果、数限りない失敗を繰り返し、多くのものを得ることができた。

 私は青森滞在時代も毎日、懸命に頑張った。しかし私の頑張りよりも多くの方々の協力や、失敗から得た教訓が新規事業の成果を加速させた。

頑張っても運命だけは変えられなかったが、冷静に受け入れた

 青森滞在から約2年後、ホテルチェーン本体は会社更生法によって事実上、倒産した。今のように民事再生法は無く、創業家はホテル運営にまったく関与できない。ちょうどバブル崩壊と同じ頃だ。いずれにせよ、その瞬間に私が子供の頃から抱いていた祖父のホテルチェーンを継ぐという夢は消え去った。
 倒産の報道は、当日の夜19時のNHKのトップニュースとなった。私と家族は静かにTV画面を眺めるしかなかった。そして、自問自答した。「これが自分に与えられた運命なのか」と。
 ただ、運命として受け入れられたとしても、どういう意味を持って、こんな人生を歩めと天は私に試練を与えたのか私には理解できなかった。

 しかし、懸命に頑張っても、多くの人々の協力を得ても、運命というものだけは突如として人生を大きく変えるとその時、私は悟り冷静にそれを受け入れた。そして新たな夢を探す旅が始まった。
 そして、「リンゴ」関連の新規事業からヒントを得て、緑化・環境関連の事業を父と弟と始めた。私は青森で引き続き事業を継続し、父と弟が京都で顧客開拓した。もちろん、誰一人として経験者はいない。給料無しの生活が2年近く続いた。

あきらめることと決断することは違う

 再度、山田氏の記事を下記に引用する。
 
「『あきらめるな』とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしないじゃないですか」

 私は、ホテルマンへの道が完全に途絶えた時でも、ホテルマンになることを「あきらめなかった」。数名の方からヘッドハンティングのような形で誘いを受けた。しかし、父と弟が懸命に京都で顧客開拓をしていることを知っていた私は、ホテルマンではなく緑化・環境関連事業の道を選ぶことを「自ら決断」した。
 事業を開始し、3年目の頃、それなりの実績を残すことができた。そしてベンチャーキャピタルからの投資を受け、私は社長に就任した。

 社長就任後、過去と同様、多くの方々の損得勘定無しの協力や応援、そして小さな失敗の積み重ねから得られる教訓、そして日々の努力で何とかここまでやってきた。ただ、今まで様々な新規事業を展開してきたが、事業として今も継続しているのは僅かに過ぎない。これはその事業を継続することを「あきらめた」のではなく、やめることが会社にとって最善策と「決断」した結果だ。社長が持つ多くの職責の一つに「決断」がある。換言すれば社長の職責に「あきらめ」は無い。

 決断することで得られるものは多い。しかし、あきらめることで得られるものは、つかの間の休息だけで、他には皆無に近いと私は思う。もちろん、あきらめさえしなければ成功するとも私には思えない。人生はそんなに単純ではない。
 ただ、今までの紆余曲折の人生を振り返って言えることは、多くの人々の協力や支援が絶対に夢の実現には必要であると共に、刻々と変化する運命を純粋に受け入れる心構えがあってこそ、やっと夢は頑張ればかなう土台ができあがると私は確信している。そして、単純にやめる、あきらめるのではなく、「やめる、あきらめることは決断すること」と理解し実行することも必要だと私は思う。

 今、多くの方々にお世話になり、お会いしている。あの時、ホテルチェーンが倒産し、その事実を運命として受け止め、あきらめることなく今の仕事を私が行うことを決断しなければ、お会いすることはまず無かった人々ばかりだ。

 私は成功者では無い。恐らく一生かかっても成功したとは思わないだろう。ただ、夢の実現とは、100m走のゴールに1位で到着したような終わりと同じように思う。
 頑張られ夢が実現したと思っている方々は、別の視点から見れば、既に終わりを経験されている方なのかもしれない。それはそれで不幸なことにも思える。

 きっと、本当に夢を実現した人は、それは夢の一つにしか過ぎず、新たに夢を追い求め続けるのだろう。その本能を持った人、そして私が思う上述した条件を持つ人が成功者になり得る人の一つの形と言えるのかもしれない。

 そんな人は本当に稀有だと思う。だから頑張るだけでは何も実現しない程、人生というものは無限大の可能性を持っているのだろう。その無限大の可能性を山田氏は理解して欲しいと警鐘を鳴らされていることこそが本質であり本当に言われたかったことなのだと私は思う。

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間接的な何かを感じていただければ@京都でベンチャー企業社長を7年続けている男より

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2008.02.18 Monday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)

大人の事情、庶民の感情、それが子供心に伝播する

いぶき亭 四季の食卓 大臣のこだわり手料理
いぶき亭 四季の食卓 大臣のこだわり手料理
伊吹 文明
(この書籍を読むと健全な子供が育まれると著者は演説で話されていました。)

 週末の土曜日は、「京都幼児音楽フェスティバル」(以下、フェスティバル)というイベントが「京都会館」(京都における日本武道館のような場所)で開催され、我が家の四男坊が出演することとなった。
 このフェスティバルは、京都市内の多数の保育園児が参加し、合唱や合奏を披露するもので、週末2日間すべてを使い「京都会館」を借り切る程の大きなイベント。私の子供たちが通っている保育園でも毎年、年長組(いわゆる卒業組)が参加する。よって、既に卒園した長男・次男・三男も参加し、家族全員で何度も経験しているため、ある程度、雰囲気も予想できる。
 巨大なイベントのため、観客も多く、4つから5つの保育園が合唱や合奏をするたびに、観客が入れ替わる。入れ替わる前後はドアが閉められ、入ることができない。入れ替えは1日に3回。2日間で計6回となる。この6回すべてにおいて違う保育園児が参加するという具合だ。

 当日、保育園の指示で現地集合が12時。11時半に自宅から車で家族全員出発。無事、12時前に会場に到着し、私は近くの市営駐車場へ車を入れた。入れ替えのドアが開く13時まで四男坊以外は全員待機。約50分ほど会場に入ることができず、待たされたわけだ。
 そして、13時少し前、ようやく会場入り。プログラムを見てみると、実際に始まるのは13時20分。20分間、また待たされたこととなる。

 20分後、開演のブザーと共に、幕が上がる。通常なら、ちょっとした開会の挨拶の後、合唱や演奏が始まるはずだ。過去もそうだった。ちなみに四男坊は2番目に出演するとプログラムに書いてある。

 しかし、幕が上がったその舞台には、大勢の来賓各位が勢揃いしていた。そして、そこから悪夢が始まった。

 先に述べたように、2日間で計6回の入れ替えがある。参加園児も違うため、毎回、形だけの開会の挨拶やちょっとした来賓の紹介などはあるはずだ。しかし、我々の場合、来賓のお一人に特別な方がおられた。恐らく、多忙な中、ちょうどスケジュールがうまく合致したのだろう。換言すれば、極めて多忙な特別な来賓の方が、計6回それぞれに挨拶されるはずもなく、ありがたいかどうかはともかく、そのスケジュールに四男坊の来賓挨拶が偶然にも該当したということだ。

 極めて多忙な特別な来賓の方、それは与党の幹事長様だった。

 地元京都選出でもあり、まずは幹事長様の挨拶が始まる。来賓の中では一番、立場が上であるので当然のことだろう。

 さすがにペーパー無しで、短くまとめた演説はうまかった。「幹事長という立場で来たのでなく保育連盟の会長として来た」と冒頭で軽く流し、その後、自らが発刊した著書の宣伝もあった。幹事長いわく、最近の自著を読めば、健全な育児ができるそうである。
 そして、最後に、演壇の最前列右端に座っている方を指差し、「是非とも次の京都市長には彼を・・・」で演説は終了。自らの著書の宣伝だけでなく、次期市長候補の宣伝さえも無難に短く入れ込んだ演説。しかし、聴衆は自分の子供たちの演奏を聴きに来た人々であり、政治的な演説を聞くために集まったわけではない。子供たちが、がんばる姿を見たい、応援したいために集まったわけであり、それ以外に目的は皆無だ。

 冒頭の幹事長様の演説を聞き、嫌な予感が走った。そして幸か不幸か予感は的中した。

 私の隣に座っていた次男坊に「今の人は、凄く偉い人」としゃべりかけるが、「うん」と軽く受け流した。次男坊は弟である四男坊の演奏をひたすら待っているだけだ。それでなくとも12時に会場に到着し、外で50分近く待たされているだけでなく、会場で20分近く、彼にとって興味も無ければ意味もわからない話を聞かされてる状態であれば当然の結果だろう。

 次の来賓は「京都副市長」。ペーパーを読みながら、延々と京都市の育児や子育てに関する行政の取り組みを述べられた。周辺の聴衆の私語が徐々に増えていく。
 次の来賓は京都副知事。こちらも副市長同様、京都府の子育て支援策などを延々と。ここで、三男坊が眠りかけていく。
 どうして、こうも行政のお役人各位はペーパー無しで演説することができないのか。そして聴衆の反応に機敏に対応し内容を変える、省略することができないのか、疑問に思う以上の違和感・不安を感じる。

 副知事の演説後、「あの人が京都で2番目に偉い人」と次男坊にしゃべりかけるがほぼ無視された私。次男坊にとって副知事による行政の子育て支援策の説明などあまりにも関係の無い話であり、彼の心にはまったく伝わっていないのだろう。当たり前の話である。

 いよいよこれで終了かと思った瞬間、またしても来賓の挨拶が。
 何と次期市長候補者の登場である。そして、完全に候補者の立場で、「是非とも勝たせて下さい!」と絶叫口調で延々と演説が続く。まさしく、幹事長様の威力がなければ、来賓になることも挨拶すらできなかったであろう立場なのだが。

 やっとのことで、市長候補者の演説が終わった瞬間に、長男が一言。

「選挙の演説、やり過ぎ!」

 まだ小学生の長男であるが、彼にも理解できるほどの選挙一辺倒の演説だった。彼の一言で私のこのエントリの信憑性も事実に近いことをご理解いただけるだろう。いずれにせよ、聴衆の全員が、いや大多数がこの候補者の方に票を入れるかどうか迷ったに違いない。まさに「空気を読め!」である。

 こうして、13時20分から始まった来賓の挨拶は約50分を要してやっと終了。幹事長様のスケジュールさえ、四男坊の出演の回に該当しなければ、例年通り、15分程度で終了していただろう。再度、述べよう。来賓挨拶が50分間続いたのである。

 そして、ついに来賓挨拶が終了し、幕が下りた。観客全員、やっとほっとした気分だっただろう。

 しかし、まだ終わりは訪れなかった。次は「協賛企業」の紹介である。100社以上の協賛企業すべての名前を読み上げる司会者。観衆の心は離れていく一方である。

 観客の苛立ちがピークに達していくのを肌で感じる私。

 こうして、会場入りして約1時間後、やっとプログラムが開始。1番目の保育園の合奏を聴き、その後、待ちに待った15分程度の2番目の四男坊の合唱と合奏を無事に聞いた私は、15時過ぎに妻と娘を残し、他の子供たちと市営駐車場へ。15時20分に解散とのことで、少し時間があるため、駐車場代節約ということだ。いずれにせよ、12時到着で約3時間後に四男坊の合唱と演奏を聞くに至ったとは何とも表現し難いものがある。
 そして、会場前に駐車し、妻と娘そして四男坊を待つ私と他の子供たち。十数分待てば、全員と合流できると想定した私。
 しかし、解散時間が来ても姿が見えない。そうこうするうちに妻からメールが。

「まだ、最後の保育園の演奏が終わっていないので、解散時間が遅れます」と。

 結局、通常なら15分程度で終えていただろう来賓の挨拶が50分間もあったため、プログラム全体が大幅に遅れたということだ。
 会場前には、同様に解散を待つ保護者の車が数十台。これを見た警察が出動。何といっても会場の目の前に交番がある。私も久しぶりに、警察官に怒られた。そして父親が警察官に怒られる姿を子供たちは見るという彼らにとっては貴重な経験を披露することができた。嬉しくも無い話だが。

 そして、16時頃にやっと全員が合流し、その後、無事帰宅。

 来賓各位の「大人の事情」に振り回され、観客である「庶民の感情」は苛立ちだけであり、そして「大人の事情」をそれなりに理解し、観客の苛立ちを感じた子供たちへもその感情は伝播した一日だった。

 ただ、最も知りたいことは、来賓挨拶中に、舞台横で1時間程度、微動だに直立し続けていた幹事長様のSPのお気持だ。

 「背中が痒くなった時、あの人はどうするのかなぁ」という妻の言葉が今も耳から離れない。恐らく勤務中にSPの方々は背中が痒くなることはないのだろう。そうでなければ、あいのうな直立不動の姿勢を保つことは不可能だ。
 この件について、もちろんSPの方に聞く機会は無い。またSPが付くような立場にもなりたくないし、私にSPが、付くこともないだろうが。

 しかし、恐らくSPの方々も当日、演説を聞き、聴衆の反応を見て、来賓各位のスピーチを聞いて、「空気を読め!」と感じておられただろう。もちろん態度にも行動にも、そして表情にもまったく感じ取れるようなことは皆無に等しいとは思うが、人間とはそういうものである。SPの方々はロボットではない。それなりのまともな感情をお持ちのはずだ。

 SPの皆様各位のご心労を考えると、きりがない気もする。少なくとも私の子供たちの将来の仕事にならないよう今は、祈るだけだ。

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2008.02.04 Monday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)

子供たちには見えない有刺鉄線が欲しい



 この二週間に私の自宅周辺で3つの事件が連続して起きている。

 一つ目は、過去のエントリで冒頭に書いた「郵便局の局長を狙った強盗未遂」で犯人は刃物を持っていたが逃走した。二つ目は、白昼の商店街での傷害事件。そして、最後は地元のスーパーでの強盗。閉店後の22時頃に包丁を突きつけ、副店長を脅し500万円を奪って犯人は逃走した。いずれの犯人もまだ捕まっていない。

 最初の郵便局の事件は、朝の通勤時間に起きたもので、郵便局の前を車で通った私は間接的に事件を見ていた。その日から週末まで子供たちは集団下校となった。

 そして、郵便局の事件発生後の次の週初め。

 15時頃の打ち合わせのため、会社付近の駐車場へ向かうと、なぜかバイクに乗った警官2人が周囲を窺いながら走っていた。何かあったのかと思いながらも、私は車に乗り、打ち合わせ場所へ向かった。しかし、途中で駅裏にもバイクに乗った警官が周囲を見渡していた。
 私は車から降り「何があったんですか」と警官に聞いた。彼は、駅前の商店街の路上で昼過ぎに事件があったと短く答えた。胸騒ぎを覚えながらも私は、打ち合わせ先へ車を走らせた。

 会社付近での打ち合わせは問題なく終わった。終わったのが17時前。すぐに私は自宅へ向かった。本来なら帰社すべきだったが、私は自宅へ向かった。自宅には、次男と三男が帰っていた。17時までには遊びから帰ることと我が家では決められているからだ。
 「お兄ちゃんは?」と彼らに聞いた。「公園に行った」と子供たちは答えた。携帯電話が示す時刻は16時58分だった。私は、自宅にいる子供たちに絶対に家を出るなとだけ言うと、車で3分程の子供たちがいつも遊んでいる公園へ向かった。

 公園に長男はいなかった。しかし、長男の友達たち数名がまだ遊んでいた。彼らは私が長男の父親であることを知っている。何度も彼らと一緒に遊んだ顔馴染みだ。彼らに聞くと長男は直前に帰宅したと言った。私は残った彼らに「郵便局みたいな事件が昼頃に、また近くで起きた」と伝えた。
 彼らも小学校で郵便局の事件を聞かされていたのだろう。驚いた様子と共に「またか、怖いなぁ、早く帰ろう、すぐに帰ろう」という言葉と共に、彼らは自転車に乗って自宅へ戻った。私も「みんなで一緒になって帰れよ」と彼らの後姿へ言葉を残し、車に乗り込んだ。
 車の中から、携帯で自宅へ電話した。長男が電話に出た。無事、帰っているという事実だけ確認すると、すぐに電話を切り、会社へ戻った。そして、それから数日、何事も起こらなかった。普通なら当たり前のことだ。

 しかし、3日前の夜。

 スーパーでの強盗事件が発生した。このスーパーは、中規模のチェーン店で並列してホームセンターもある。週末にこのホームセンターで買い物をしたばかりだった。スーパー自体も夜9時45分閉店と遅くまでやっているため、仕事の途中で夜食を買いに行くことも何度もある。
 強盗事件が発生したことを知ったのは翌朝の新聞だった。妻と二人でその晩、新聞を見ながら、最近の連続した事件について少し話をした。一連の事件は、金が目当ての事件であり、子供が目的ではないことに我々は僅かに安心すると共に、郵便局長を襲い未遂で終わった犯人が、最後にスーパーで強盗に成功したのではないか、などと話をした。いずれにせよ、3つの事件はすべて半径1キロ以内で起こっていることだけは事実だ。

 多くの場合、私は22時過ぎ頃に会社を出る。遅い時は23時前になる。しかし、事件が連続し、まだ犯人が一人も捕まっていないにも関わらず、深夜の帰宅途上で検問や警官の姿を見たことが無い。本当に警察は捜査をしているのだろうかと思いながら、最近は帰宅している。
 もちろん、警察を信頼できるとしても、完全に子供たちの安全を委ねることは無理な話だ。保護者や地域、学校、そして子供たちの安全への自覚それぞれが一体となることも必要だ。

 ただ、今まで経験したことのない連続した事件の発生に、私は「悪者にだけ見える有刺鉄線」があればと願っている。途方も無い話かもしれないが、子供たちには見えず、悪者にだけ見える有刺鉄線が存在すれば、少しは安心できるのではないだろうか。
 目の前に、手の届くところに子供がいても、悪者が一歩踏み込もうにも有刺鉄線があって踏み込めない。しかし、無邪気な子供たちには存在しない有刺鉄線。そんな境界線があれば、子供を巻き込んだ今までの多数の悲しい事件がいくらかは減っていたかもしれない。

 荒唐無稽な話である。ただ、善と悪を明確に区分する境界線は目に見える、見えないは別として何らかの形で必要では無いだろうか。逆に善と悪が、かなり曖昧な時代になった今こそ、明確な境界線、有刺鉄線が必要だ。

 子供たちのためだけではない。善悪の区別を見失いがちな我々大人のためにも必要だと私は思う。

【関連エントリー】
- 学習塾で起きた悲しい事件について思うこと
- 小二女児プール死亡事故に思う
- 寝屋川市殺傷事件で思うこと
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2007.11.15 Thursday | 社会への思い | comments(4) | trackbacks(0)

無難な言葉と思った瞬間に、その言葉自体が力を失うと私は思う



 「遺憾に思う」

 私は中学生時代に、この言葉を初めて聞いたが、何を言っているのか、その頃はまったく意味が理解できなかった。
 「非常に不適切であり、はなはだしく遺憾に存じます。関係者にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」といった企業トップの言葉も過去から散見される。

 外交表現で使用される「遺憾を表明する」といった文言は言葉の裏に隠されたメッセージが存在する場合もあり、今回は議論しない。

「遺憾に思う」は心に響かない

 普通の人間であれば「遺憾に思う」と言わず、謝るべき場合、「本当に申し訳ないことをしたと反省しています。心よりお詫び申し上げます」と明確な言葉で発する方が「力」が込められていると私は思う。
 また、残念に思う場合、「このようなことをされて、我々としては極めて憤りを感じています。是非とも謝罪していただきたい」とはっきりと伝える表現が適切ではないかとも私は考える。

 それとも、「遺憾に思う」と言う言葉の方が適切と考える、無難と考える方が多いのだろうか?
 少なくとも「遺憾に思う」という表現は私の心には響かない。普通の人間に対して「力」を及ぼす言葉でもない。恐らく多くの方も同様に思われるだろう。

何気ない言葉でも状況に応じた言葉には力がある

 馴染みのガソリンスタンドでは、給油後の一言がいつも違う。

 深夜遅くの帰宅途中の場合は「お疲れ様でした」。「旅行に行く」と言えば、「楽しい旅行を」。「高速道路で少々、仕事で長旅をする」と言えば、「気をつけて行ってらっしゃいませ」と毎回、違った言葉を残してくれる。
 どこのスタンドでも言う「ありがとうございました」という「無難な」言葉は発しない。このスタンドでは、給油する客との何気ない会話や状況で、帰り際の一言を変えていく。もちろん、少しは指導されているのかもしれないが、マニュアル化されているわけでもなく、マニュアル化できるものでもないだろう。

 こういった何気ない言葉でありながら、状況に応じた言葉が、お互いの気持ちを穏やかにしていくのではないか。そして、そこで発した言葉に「力」が込められるのではないだろうか。

不必要な言葉に力は無い

 馴染みのファミリーレストランでは、「いつものをお願いします」と私が言えば、「はい、かしこまりました」との一言で、コーヒーが出され、「ごゆっくりどうぞ」と笑顔で、また一言が加わる。
 客との会話が完全にマニュアル化されているファミリーレストランでさえ、時にはマニュアルを逸脱する場合がある。

 週に何度も通っている場所で、コーヒーしか頼まない顔馴染みの私に、マニュアル通りに長々と応対すれば、お互いに違和感を覚えるだろう。それよりも、コーヒーが出された時に「いつもコーヒーばかりですいません」と私が言うだけで、お互いに気持ちが通じる。

 時には必要の無い「言葉」もある。不必要な「言葉」には「力」は存在せず、逆効果しか生まれない。

言葉が足りなくとも力は込められ思いは伝わる

 数日前の仕事が一段落した夜、三男坊が初めて私の携帯に直接、電話をしてきた。泣き声だった。「パソコンでテレビを見たいが見ることができない」、何となくそんな内容だった。
 携帯を通じて彼が発した言葉に強い何かを感じた私は、すぐに自宅へ戻る準備をした。我が家にはテレビは一台しかなく、他の兄弟が他の番組を見ている。三男坊は巨人ファンで、何としてでも私のパソコンで終盤となった巨人戦を見たいのだと私は帰路の間、そう考えていた。

 帰宅後、まず、私のノートパソコンで巨人戦を三男坊に見せた。放映終了後、私のデスクトップパソコンでのテレビを見る方法を再度、三男坊に教えた。そして、テレビで野球中継をやっていなくともラジオで巨人戦を中継しているなど、詳細に教えた。
 しかし、一連の話を終えた後、三男坊はすぐに子供部屋に戻って行った。まだラジオで巨人戦を中継していたが、彼はラジオを聞くことも無かった。

 彼が、なぜ私の仕事中に生まれて初めて、直接、携帯へ電話したのか。

 それは、パソコンで巨人戦を見たかったのではなく、パソコンでテレビを見ようとしたができなくなったことを、「自分が父親のパソコンを壊してしまったと思った」からだった。単純に一つのケーブルが繋がっていないことが原因だったにも関わらず。
 「パソコンを壊した」と直接、言葉に発しなかった三男坊。しかし、彼の言葉に強い何かを私は感じた。直接的な表現でなくとも、私には彼の思い、気持ちが伝わった。

 言葉が足りなくとも、心が込められていれば力が、そして思いが伝わる、そんな出来事だった。

無難な言葉と思う瞬間に言葉の力は失われる

 人間は、窮地に追い込まれた時、必死に言葉を探す。その際に、無難な言葉、その場しのぎの言葉で終えようと思った瞬間に、その人から発せられた言葉は「力」を失ってしまうと私は考える。
 特に昨今では、「言葉狩り」・「失言探し」といった風潮があり、重責を担う方々は言葉を慎重に選びがちとなっている。そんな状況の中、当たり障りの無い無難な言葉を発してしまう可能性が高くなる。

 即答しなくてもいい。明瞭でなくともいい。極論すれば曖昧でもいい。しかし、無難にその場を終えようと言葉を探すのではなく、自分の本当の気持ちや考え、思いを正確に伝えたいと思えば、どんな言葉であれ「力」が込められ、そこから発せられた言葉は、相手の心の中に確実に入っていくと私は考える。そこには社会的立場など関係ない。日常での会話でもあらゆるところで、無難な言葉とそうでない言葉が入り交じり、ある人は信用を獲得し、ある人は一言だけで信頼を失っている。

 明確な言葉を発しなかった三男坊でさえ、父親のパソコンを壊してしまったかもしれないという自分の思いを必死に伝えたいという気持ちがあったからこそ、私は彼の言葉から何か強いものを瞬時に感じた。発する言葉には、年齢も関係ない。

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2007.09.28 Friday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(2)

京都に匹敵する観光地はどこだろうか?

 今はもう放送されていない「どっちの料理ショー(あるいは新どっちの料理ショー)」。私も家族も全員が好きな番組の一つで(私の場合、テレビではこの番組しか見るものは今のところ無いとも言えますが)、この番組の影響で料理好きになった長男。
 それ程、楽しみにしていた番組ですが、2006年9月に終了、現在は、「ニッポン旅×旅ショー」としてグルメと旅を重ね合わせた番組が放映されています。

 基本的に、関係者の方には申し訳ありませんが、コンセプトも弱く、面白い番組とは言えません。家族も同様の感を持っています。

 しかし、先週は「倉敷」対「福井」ということで、家族旅行で倉敷に行った我が家としては、きっと倉敷の美観地区やアイビースクェアなど、旅行で見た風景が放送されるだろうと期待し、少しは旅の想い出も蘇るだろうと考え、私もできる限り仕事を早く終え、21時を10分程過ぎて放送を家族共々、見ることができました。
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2007.02.15 Thursday | 社会への思い | comments(0) | trackbacks(0)
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ティファニーのテーブルマナー
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W.ホービング
私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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