ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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お陰様でブログ開設12年と123日:これからも時代に反して長文を書き続けます。

 今日、2016年8月23日でブログ開設12年と123日となりました。きりが良いので記事をアップ。この記事で893個目となります。

 もう12年も続いたのかと思うと共に、12年前とはネット界隈も大きく変わったなと感じる今日この頃。社長ブログということで私の会社のサイトトップページから、このブログはリンクされており、多くの方が私の会社を来訪される前に、このブログを確認される。よって、中途半端なことは書けず。もちろん、「Twitter」も実名で。

 公私共々、12年間は長く、辛いことも多々ありましたが、お陰様でほとんど忘れました。某巨大掲示板で色々と言及されることも多々ありました。ただ、「緑内障になる」ことだけは想定外でした。

 さて、実名かつ社長ブログなので、真面目な事を書き続けてきました(本人はそう思っております)。これが影響したか否かは不明ですが、リアルにブログで繋がった方が多々あります。あえてリンクは致しませんが過去には何度もブロガー花見会や忘年会を開催いたしました。

 また、Twitterで繋がった方も存在します。これもブログの中身を確認してからなのかなとも思っています。そして最終的にはFacebookへと繋がっています。

 実際に私に会われた方がどう思っておられるか不明ですが、ブログもTwitterも、そのままの私を反映させていると考えています。ということで、過去のお気に入りのエントリを列挙しました。お時間のある方はどうぞご覧下さい。結構、まともなことを書いておりますので。

 特に昨今は短い情報量が好まれる傾向にあると思います。タイトルだけで反応する時代です。そんな中、これからもそれなりに長文を書き連ねていければと考えております、中身はともかくも。

 では、皆様、これからもよろしくお願い致します。

 

ある眼鏡屋での店員さんの涙
 いつもお世話になっている眼鏡屋が閉鎖される直前の店員さんと長男との出来事。今、読み返しても、その時の光景が浮かび、涙が出てくる。

ベンチャー企業とは何か
 このエントリは上述したように、Yahoo!で1位に表示される。内容も、私の会社で副社長をしている弟の涙を流した物語となっている。ベンチャー企業と中小企業との違いについて、私なりに書いたもの。

誰もいじめを無くすことはできないと私は思う
 昨今、子供への親の虐待が続いている。このエントリは2006年10月19日。子供自身の自殺が続いた頃、私なりに思うことを書いた。エントリ中にも書いているが、私も、いじめられ、いじめた子供だった。その経験をふまえ、私なりの持論を。

他者を変えるためには、まず自らが変わらなければならない
  誰しも自らの価値観を持っている。当たり前かもしれないが「物事はこうあるべきだ」・「相手はこうなっているべきだ」という自らの価値観の多くは客観的で はなく、実は主観的なもの。第三者、他者を変えるためには、自らの価値観を変えなければ、他者は変わるはずが無いということを書いている。少し哲学的な内容のため詳細はリンク先を。

批判することは簡単なこと
 誰しも批判はできる。ただ、「それではお前がやってみろ」と言われてできるかどうか。第三者を批判するなら、「それなりの覚悟を持ってやれ」といったこと、そして批判されている側の気持ちを考えろ、といったことを書いている。

賛同者を増やし、夢をかなえること
 私の祖父の話を元に、私なりの経験をふまえて書いたエントリ。誰しも一人では何もできない。損得勘定無しで応援していただく方を増やすことが、結局、夢をかなえる道筋の一つだと私は思っている。

父との誓い
 親会社が倒産し、いろいろと誘いがあった中、それを断り、まったく違う事業を開始し10数年。その経緯・発端が私の父との誓いです。私の原点と言えるかもしれない。

祖父の教え。法華倶楽部の資金調達
  是非、ご一読を。約120年以上前に生まれた私の祖父の生き様を書いたもの。一度は宿泊されたことがある方も多い法華倶楽部。ビジネスホテルというビジネ スモデルを作り上げた祖父。このビジネスホテルを広げたいという思いから一年半、全国を歩き、4000人の方から資金提供を受けた実話。恐らく、今、この ようなことをされている方は皆無でしょう。

 以上、他にも「新潟の地震」のエントリや、我が子供達へのメッセージなど紹介したいものは多々あるが、まずは多くの方の参考になるエントリを中心に、紹介。
 例外として、私の子供達のメッセージで大きな反響があったものが次のエントリ。

 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ

 是非ともご一読を。そして再度になりますが、これからもよろしくお願い致します。

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2016.08.23 Tuesday | 私のお気に入りエントリ | comments(1) | trackbacks(0)

約800エントリの中から、私自身がお気に入りの過去のエントリを列挙した

 昨今、極めて多忙で、かなり更新が滞っている。というよりも停止状態だ。
 しかし、googleで「ベンチャー企業」で検索すれば、10位以内に私のこのサイトは常に表示され、最近、アクセスされる語句で多いのが、「ベンチャー企業とは」であるが、これもgoogleでは、5位以内に常に表示され、Yahoo!では1位だ。

 ということで、多忙という理由で、私が自分なりに、書いた過去のエントリで、再度、皆様に読んでいただきたいものを以下に列挙する。
 お時間のある際に、できれば、じっくりと読んでいただければと思う。私もそれなりの時間を要して書いたものばかりだ。
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2010.08.17 Tuesday | 私のお気に入りエントリ | comments(0) | trackbacks(0)

年内不況を乗り越える中小企業への2つのキーワード:「あきらめない」、そして「自分が涙を今までに流した数」を思い出すこと。

MONEY

 私は毎日、早朝に、為替・NYダウ、そしてFinancial Timesなどのヘッドラインを米国のGoogle News経由で見ています。その結果、何らかの違和感を覚え、お陰様で当社は一年ほど前のリーマンショックの影響を受けませんでした。一歩手前で策を講じたということです。

 ただ、政権交代後、今になって、想定外の影響を受けています。急激なドル安、株価下落、事業仕分けによる当社に関連する環境関連の事業削減など、今後、どのようになるか不透明な点が多々あります。

 今、先行き不透明で、円高やデフレスパイラル、そして確実に二番底の不景気が今年3月末までに来るでしょう。少なくともここ一年間は、中小企業にとっては、私の会社も含め、過去に類を見ない苦労の連続だと思います。

 先週末、とある地銀の上層部の方にお会いし、いろいろと話をしました。企業融資でなく、住宅ローンの話でした。住宅ローン契約締結後、2年後頃に、ご主人が自殺するケースが多々あるとのこと。2年後頃であれば契約上、保険金だけでなく、住宅ローンそのものもそれ以降、担保されていくとのこと。銀行としては、たまったものではないですが、こういった事例がここ数年、極めて増加しているとのことでした。

 自分の命を担保として、家族を守る。
 
 社長の最大の責務は社員やその家族を路頭に迷わせないことだと私は考えます。簡単に言えば、業績が黒字・赤字に関係なく、毎月、「給料だけは確実に渡す」ことに尽きるということです。

 「毎月、確実に給料を渡すこと」。

 これは、中小企業の社長にとって、不況下においては、尿に血が混じる程、大変なことです。多くの中小企業の社長は、売上を伸ばすことよりも、恐らく、今月の給料を渡すにはどうすれば良いかについて、言葉で言い表せないほど、もがき苦しんでいるはずです。「給料を渡せない=社員の家族全員に迷惑をかける」ということになるからです。

 この苦しみは、社長にならなければ、絶対にわかりません。 
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2009.11.29 Sunday | 私のお気に入りエントリ | comments(0) | trackbacks(0)

企業戦略構築だけではない、自分磨きにも使える手法:SWOT分析

SWOT分析

 私は、時間が少しある時やアイデアが生まれない際、あるいは新規事業を考える場合にSWOT分析を良く利用する。SWOT分析そのものはかなり以前からある分析手法だが、手法そのものがシンプルなため、「頭の体操」のような感じで気軽に使えることが特長だ。
 SWOT分析は本来、企業の意思決定や戦略構築の際に利用されるものとして開発されたものだが、「一人の人間として自分の能力を最大限に発揮するためにも利用可能だ」と私は考える。

 本題に入る前に、まずは我々の会社を例に挙げて、SWOT分析そのものを紹介する。ちなみに我々の会社は衰退した樹木を環境に配慮した技術によって回復させていくことを事業の主体としている。

我々の事業でみるSWOT分析

 SWOT分析とは、強み (Strengths)、弱み (Weaknesses)、機会 (Opportunities)、脅威 (Threats) の頭文字から成り立つ分析手法だ。以下に、我々の既存事業をさらに拡大することに焦点を絞り、それに対するSWOTをそれぞれを簡単に挙げていく。

 既存事業の「強み」は、「オンリーワン」であること。衰退した樹木の回復を専業として事業化している企業は、日本でも数少なく、日本に数台のみの最新の診断機器を保有しており、本格的な樹木診断は少なくとも本州においては、我々に発注せざるを得ない状況となっている。
 「弱み」は、「マーケットがニッチ」ということ。毎日、消費される牛乳や卵といった食品と違い、我々の事業は日本人全員が欲しいと考えるサービスではない。
 「機会」は何と言っても「環境意識の高まり」。我々が開発、既存事業でも活用している緑化資材は競合商品が農薬だ。数年前は価格の安い農薬が利用されてきたが、市民の環境意識の高まりによって行政も配慮せざるを得ず、我々の緑化資材が指定されるようになった。
 「脅威」とは、法律の改正、為替変動など自社ではどうすることもできない外部要因で我々の事業の場合、「脅威」の一つは「天候」だ。天気だけはどうしようもなく、雨が降れば仕事ができない。そのため、売上を既存事業に大幅に依存するのではなく、緑化資材の販売やその他事業などで売上ポートフォリオを分散させている。

 我々の事業以外にも簡単にSWOT分析してみよう。道路特定財源の混乱で建設業界の方々は苦労されている。まさに政治家以外には誰にもどうすることもできない「脅威」に該当する。しかし、この混乱は予め想定されていたはずだ。「公共事業への大幅依存」が「自社の弱み」に相当し、「公共事業費の大幅削減」が「脅威」に相当する。SWOT分析をしていれば自社の強みを活かした他への事業展開など対処法は多数あり、政治家に依存したところで根本的な解消にはならない。
 数年前のBSE問題で苦労したのが「吉野家」だろう。これもまさに「脅威」そのものだ。他にもサブプライム問題も特定の企業にとっては今も「脅威」だろう。逆にサブプライムを「機会」として利益を得た金融機関も存在している。

 さて、やっと本題に入ろう。SWOT分析を「自分磨き」に使う手法だ。

1)自分をブランド化する(強み)

 自分自身の強みは何かを考えてみよう。「穏やかな人柄・協調性がある」といった性格ではなく「技能・スキル」についてだ。それなりに他人に負けない技能・スキルとは自分自身にとって何かについて自問自答しよう。小さな、あるいはニッチな分野で十分だ。
 重要なことは「この案件についてはあいつに任せば何とかしてくれる」・「あいつはこの分野では最も知識がある」と第三者に確信に近いものを持たせることだ。この分野では一番と誰もが認めることは自分自身が「ブランド化」したことを意味する。そうなれば、あとは常に自分自身の技能・スキルを高める努力を続ければいい。世間に多数ある有名な商品やサービスも一度、「ブランド」と認知されれば、その後は、そのブランドの強みを壊さないよう様々な企業努力をしていることと同じだ。

2)自分の弱点を曖昧にせずしっかりと把握する(弱み)

 誰しも欠点はある。その多くは性格に依存している。例えば、素晴らしいスキルを持っていても仕事が遅ければ誰も評価してくれない。その原因の多くは「仕事の先送り」・「段取りが悪い」といったもので、突き詰めれば個々の性格が遠因として大きく影響している。しかし、性格は並大抵の努力で変えることはできない。
 重要なことは、「仕事が遅い原因は何か」を見極めることだ。ある人は「つい仕事を先送りしてしまう」ことが原因で、ある人は「目先の簡単な仕事ばかり片付ける」ことが原因かもしれない。いずれにせよ、大抵の人はいくつかの自分の駄目な点を曖昧ながらも理解している。そうではなく、自分固有の弱点をしっかりと認識することが最低限の出発点となる。自分の弱点を確実に理解していれば、自分の弱点を露呈しそうな場面に遭遇した場合、右往左往せず、まず心構えができる。そして、そのような場面に何度も遭遇すれば、先に述べた「自らをブランド化」しようとする努力との相乗効果によって、自然に自分なりの対処法ができていく。これらの良い循環が生まれることがさらなる強固なブランド力へと繋がっていく。

3)良い循環によって大きな運が獲得できる(機会)

 私は「運」というものは、そこらじゅうに流れては飛んでいると考えている。「運」を掴み取る機会(チャンス)は無数にある。
 重要なことは、「運が見えるように努力し、確実に掴み取る」ことだ。そのために最初にやるべきことは、先に述べた「他人には絶対に負けない技能・スキル」を獲得する努力だ。誰にも負けないスキルは何かをまず決める。そしてそのスキルを磨く努力を続ける。そして、そのスキルを阻害する自分の弱点を見極める。さらにその弱点を克服する対処法を体得する。これらの一連の流れを常に続け、良い循環ができあがれば、必ず、それまで見えていなかった、多数に流れている運が見えてくる。そして努力の量や努力した時間が「運の大きさ」を変えていく。努力すればする程、無数の運の中から最も大きい運を確実に獲得できる。

4)自分に関係の無い事柄などあり得ないと考える(脅威)

 私は「環境・緑化」関連の仕事をしている。もちろんこれらの分野の情報収集の努力は怠っていない。しかし、政治から経済、文化など海外も含め、様々な世間の動向・トレンドについても自らが関連する分野以上に情報を収集している。
 例えば先に述べたBSE問題。少なくとも私のような小さな会社には影響は皆無だ。しかし、過去に私は外食産業に大きな混乱をもたらしたBSE問題が本当に自らの会社に影響は無いかについて実際に考えたことがある。そして影響があった場合、どうリスクを回避すべきかについても考えた。
 重要なことは、世間の動向や社会問題を単にニュースで騒いでいるなと考えるのではなく、自らが当事者となった場合、どう対処するかについて常に考えるということだ。「自分ではどうすることもできないこと、それが「脅威」だ。いつどのような「脅威」が自分にふりかかって来るか想定できないものと言える。だからこそ、自分に直接、関係が無いと思うことについても、常に頭の中で対処法を考えている人と何も考えていない人では、実際に何らかの「脅威」に自分が遭遇した場合、まったく結果が変わってくる。最悪の場合、「小さな脅威」だけですべてが終わってしまう可能性もある。だからこそ、世間の様々な事象について他人事と考えず、常に関心を持ち、自分ならどうするかについて考える癖をつけることは重要だと考える。

 以上、SWOT分析による自分磨きというテーマで書いたが、やはり仕事人・サラリーマンを想定した内容になった感があることについてご容赦いただきたい。
 繰り返しになるが、「この分野はこいつが一番」というブランド力を持つこと(強み)、ブランド力を磨き続けることで体得できる「自らが見極めた弱点を克服する力」(弱み)と「大きな運を掴むこと」(機会)、そして様々なトレンドにどう対処するか常に想定しておくこと(脅威)、といった一連の流れを日々、繰り返していれば、いつかの時点で良き循環が生じ、「誰にも負けないブランド」を自らが保有できる可能性は高いと私は考えている。

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2008.04.16 Wednesday | 私のお気に入りエントリ | comments(0) | trackbacks(1)

社長ブログでこれだけは書いては駄目だと思う重要な3つのこと

ブログでやっては駄目なこと

 ブログを開始してあと1ヶ月で4年となりエントリー数も800件近くとなった。ブログを開設した当初の最大の目的は、我々の取引先様だけでなく、社員の家族も含め、日々の会社の現状をサイト上で理解していただきたいという思いから、当社のステイクホルダー各位に向けて、社長からの情報発信という意味合いで毎日更新していた。
 開設から2年間程は、会社の現状や環境、自然に対する私なりの考えを書き綴ってきた。そして、サイトを続けていく過程で、ステイクホルダー各位だけでなく、それなりの読み手の方々が増えてきた。関係者にご理解いただける内容を書くという意識から、多くの方々に共感を抱いてもらえる内容へと少しばかり意識の変化があったともいえる。

 ただ、最近2年程は、3、4日に一度の頻度での更新となり、エントリのペースがかなり落ちた。読み手の方々を意識するわけでもなく、ただ自分なりに思うことを、書きたい時、あるいは書くことができる時に無理せずに書こうと考えたことが最大の理由だ。

 さて、以下に、4年間を通じて経験した私なりに思う「社長ブログ」がやってはいけない重要な3つの事項を列挙する。

1)お客様、打ち合わせ先様などの固有名詞は出さない。

 Googleの場合、私のサイトは数時間以内にインデックス化(掲載)される。また、このサイトはGoogleで「ベンチャー企業」という検索語句で、最高で3番目、平均して5番目にヒットする。Yahoo!でも「ベンチャー企業 社長」では1番目にヒットする。このように検索サイトと私のサイトは相性が良いようで、他にも様々な語句で検索上位に入ることが多く、エントリタイトルや文章中の語句を選ぶ際は多少なりとも配慮が必要となっている。

 我々の事業は、有名寺院や神社、公共施設等の「衰退した樹木を再生させる」ことが主体であり、「どこそこのお客様の衰退した樹木を再生させた」などの内容をエントリすることは、宣伝にはなるかもしれないが、それ以上に、お客様に対して大変なご迷惑をおかけすると共に守秘義務の観点からも、絶対にやってはならないことだ。有名寺院や公共施設などお客様の固有名詞をエントリで公開し、検索などで内容が露出することによって、「あそこの神社の樹木は元気がないらしい」などといったことが知れ渡ることで生じるリスクは想定できない程、大きなものであり、お客様だけでなく我々の信用さえも失う可能性が高い。

 また、打ち合わせでお会いした方の固有名詞も出さない。こちらも想定できないリスクが生じる可能性がある。例えば、まだ準備段階の新規事業について、誰と打ち合わせたかなどを書くことは、ビジネスチャンスを失う可能性に繋がるからだ。

 ブログ開設当初は私自身、何も考えず「何を誰と食べた、誰とどこで会った」といった内容のエントリを書いていた。それこそ一日に100アクセス程の頃だ。しかし、現在は、一切、固有名詞を出しておらず、業務に関係する内容そのものも一切、書いていない。
 芸能人や著名な社長のブログでは、「誰それと会って楽しかった」などを書くことを主眼にしているサイトが多数、散見されるが、何らかのきっかけで相手様に迷惑をかけるなどの思わぬリスクが生じる可能性は否定できない。また、そのような「誰と何を食べた」といったエントリ自体も私自身は面白いとも価値があるとも思わない(ただ、最も書く労力を必要としないエントリであり、多忙な社長にとっては書いてしまいがちな事柄であるため、仕方が無い反面もあるとも私は考えている)。

 ただ、打ち合わせや会合、会議などで相手の了承を得て、「社長の業務の一環」としてその内容をエントリとして書くことについては否定しない。相手の了承さえ得ていれば、業務の一環として内容の伴ったエントリを書くことは、広報として十分に価値が付加されると私は考える。

2)「多忙で更新できない」というエントリを書かない。

 これは推定だが、私のサイトに来訪いただく3割の方はRSSリーダー経由で、これらの方は更新をRSSリーダー経由で把握できる。私は「Weblog・ブログ」というサービスが日本に導入された当初からサイトを開設しており、当時はRSSリーダーなど普及していなかった。しかし、現在、まだまだ多数派とは思っていないがRSSリーダーをご存知の方は、かなり有効利用されていると考える。
 よって、少なくともRSSリーダーで私のサイトをご覧いただいている方に「多忙で更新できません」というエントリを書く意味合いはまったくない。たまに「まだ生きています」というエントリを書いたサイトを見ることがあるが、RSSリーダーを使用されている方はもちろんのこと、利用されていない読み手の方にとっても何の利益も意味合いももたらさないと私は考える。

 特に「社長ブログ」においては、多忙な時は更新できないことが当たり前だ。日々、更新していた頃も、時間のある帰宅後に文章を書き、時間のある際にアップしていた。「多忙で更新できない」とエントリする時間は1分も必要としないだろう。しかし、そのこと自体をエントリすることは、先に述べたように読み手の方々にとって何の利益も意味合いももたらさない。逆に、従来からご覧いただいている多くの読み手の方々は、恐らく、「今、忙しいから更新が途絶えているのだろうな」とご理解いただけると私は考えている。更新がしばらく途絶えたとしても、続けることが肝要であり、かつある程度、内容が伴ったエントリを書き続けることが「社長ブログ」だけでなく、どんなブログにおいても重要だと私は考える。

 「現在、多忙でしばらく更新できません」という一文をエントリとしてアップするよりも、RSSリーダーを利用されていない方を念頭に、「次はいつ頃、エントリする予定です」という情報を提供する方がはるかに有益だ。
 ビジネスにおいても、「現在、品切れです」と告知するよりも、「何月何日に入荷予定です。ご迷惑をおかけしますがしばらくお待ち下さい」と書くことが普通であると考えれば、私の主張もご理解いただけるだろう。

3)体調を崩した、入院したなど健康面についてのエントリは絶対に書かない。

 私はこの3点目の失敗を既に犯してしまっており、痛切にこの点についての重要性を改めて認識している。数日前、私は「入院しておりましたが、無事、退院いたしました」というエントリを書いた。このエントリを書いた後、親戚からは大丈夫かと電話があり、また打ち合わせなどでお会いした方の約8割の方から開口一番、「体調は大丈夫ですか?」と言われた。恥ずかしく、かつどう答えてよいものか情けない思いが多々あった。
 2年ほど前に「風邪で10日程、寝込んでいた」といった内容のエントリを書いた際にも、コメント欄だけでなく、メールや電話などで「その後、大丈夫か」といった問い合わせを多数、頂戴した。

 「社長」という職位は誰よりも体力・気力を充実させ、体調管理に気を配り、病気になることや体調を崩すことをしてはならない立場にある。しかし、「社長」も人間であり時には体調を崩すこともある。ただ、それを極めてパブリックなWeblogという場で「風邪で寝込んだ」・「入院した」といったエントリを書くことは、自己管理ができていないことを広く公開しているわけで、「恥をさらしている」ことと同じと言える。
 「体調を崩した」・「入院した」といった内容はエントリとしては書き手にとっても書きやすく、読み手の方々にとっても、それなりのインパクトがあることは否定しない。しかし、それ以上に「自己管理ができていない社長」という汚名を残すインパクトの方がはるかに高く、「社長失格」というレッテルを残してしまう高いリスクが伴う。

 よって、いくら体調を崩したとしても、いくら大病を患ったとしても、そのことを「社長ブログ」を運営している人間はエントリすべきではないと私は考える。先に述べた「社長失格」という汚点は消し去ることもできず、インターネット上に残り続ける。

 以上、この4年間に私なりに思う「社長ブログ」において、できる限り書くべきでないことを3点、まとめた。異論反論をお持ちの方もおられるとは思うが、私はこれからもこの3点のスタンスを守り、エントリを書き続けていきたいと考えている。

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2008.04.09 Wednesday | 私のお気に入りエントリ | comments(2) | trackbacks(0)

ある眼鏡屋での店員さんの涙



 いつもお世話になっている眼鏡屋さん。何週間か前に「閉店」のお知らせの葉書が到着していた。突然のことだった。
 お世話になっているとはいえ、毎月、通うというものでもない。ただ、子供たちとの格闘で頻繁にフレームが歪むため、調整してもらうために通常の方より来店回数は多いのかもしれない。

 この眼鏡屋さんは、店長と女性の店員2、3名という体制だが、私の担当は、ある女性店員の方と決まっており、店長だけでなく、この女性店員さんともすっかり顔馴染みだ。

 数週間前、小学校の検査で、長男坊はそろそろ眼鏡をかける方が良いとのご指摘を受け、妻が長男と共に眼科で処方箋をもらってきた。次男坊に続き、長男も眼鏡をかけることとなった。
 そして、1週間前の週末に長男と共にいつもの眼鏡屋さんで彼の眼鏡を選んだ。お蔭様で、4万円程のかなりの出費ではあったが、良いデザインの眼鏡で、長男も満足しているようだった。

 長男の眼鏡を選ぶ際、もちろん中心となる会話は眼鏡のデザインやレンズに関するものだったが、やはり「閉店」に関する話もあった。閉店後は、少し離れた店舗に顧客データが移行され、そこでまたお世話になるのだが、店長、店員さんともそれぞれまったく違う店舗に異動とのことだった。私の担当の女性店員さんはまだ異動先も決まっていないとのことで、私が何かできる話ではないが、もどかしいものを感じた。

 私の性格かもしれないが、商品やサービスの良し悪し、価格が手頃といった基準で、店を選ぶことはほとんど無い。ガソリンスタンドも、常に同じところだ。スタンドの店員との何気ない会話が私の性分に合っているというだけだが、私にとっては最も重要なことなのだ。
 そして、違和感の無い会話や応答ができる「人」がいる店の一つがこの眼鏡屋であり店員さんなのだ。いくら顧客データが移行し、円滑にサービスは続けられるとしても、その店舗の「人」が私にとっては重要であり、本当に今回の閉店は残念な話だった。

 話を長男の眼鏡に戻す。

 昨日の日曜に、できあがった長男の眼鏡を頂戴しに行った。あと2週間ほどで閉店というぎりぎりの日だ。
 店のドアを開けた瞬間、いや、挨拶する間もないほど瞬時に、いつもの女性店員の方が、長男の眼鏡を手に声をかけていただいた。「どうぞおかけ下さい」と。

 その後、眼鏡のフレーム調整の方法など、少し店員さんと会話をしていたが、眼鏡をかけ、周りを見渡していた長男が一言、呟いた。

 「あぁ、やっぱり外がくっきり見える」と。

 その直後、店員さんの眼から大きな涙があふれだした。

 予兆のようなものはあった。店員さんと閉店の話をしていた時から店員さんは何とも的確な表現が見つからない表情をしていた。悲しみでもなければつらさでもない。ただ顔つきはいつもと違っていた。

 そして、長男の何気ない一言。

 恐らく、店員さんにとって最高の言葉だったのかもしれない。

 数年ほどお世話になっただけである。そして私以外に担当するお客さんは相当数あるだろう。その中にはクレームばかり言う人もいれば、私以上に何度も来店され懇意にされている方もいるだろう。ましてや長男は2回だけの来店。初めての客と言ってもいい。

 もちろん、まもなく「閉店」という事実に対する店員さんの本当の気持ちを私は知ることはできない。ただ、長男が眼鏡をかけ、最初に出た言葉が「やっぱり、外がくっきり見える」だった。
 私が店員さんと同じ立場であったとすれば、やはり嬉しい言葉である。涙を流すかどうかについては想像できないが、嬉しい気持ちになるに決まっている。

 その後、「また、どこかでお会いできればいいですね」と一言、店員さんに別れを告げ、長男と共に店を出た。
 ふと後ろを振り返ると、そこには涙を隠しながら、深く頭を下げ続けている彼女の姿があった。

 そして、私も長男も、店の外ではあったが、再度、深く頭を下げ、車に乗り込んだ。

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2007.10.22 Monday | 私のお気に入りエントリ | comments(0) | trackbacks(0)

ベンチャー企業とは何か



 最近、突如として私のサイトがYahooで「ベンチャー企業」と検索すると10位内外に入っており、「ベンチャー企業」という検索語句で私のサイトにYahoo経由で来訪される学生各位が多い。
 学生各位の参考になるかどうかはともかく、ベンチャー企業の社長をしている私が思う、「ベンチャー企業」とは何かについて少し書いてみたい。私の会社、私自身を紹介しているわけではないが、私の会社も私もこれから書くような企業・社長に少しでも早く近づきたいと思っていることだけは確かだ。

ベンチャー企業に欠かせないモノ

 私はベンチャー企業に欠かせない最たるものが「成長志向」にあると思う。もう少し詳しく言えば、「自らが持っている技術やサービスをできる限り、多くの人々に提供していきたい」という強い気持ちがあるということ。「できる限り、多くの人々に提供する」ためには、自らの企業が大きく成長しなければ、ごく僅かの人々にしか喜んでいただけない。それでは駄目だと考えることが結果として「成長志向」に繋がるのではないだろうか。
 よって、たった一人であったとしても「自分が自信を持つ技術・サービスを早く世に広めたい」と考えているのならば、立派なベンチャー企業だと私は思う。社員の人数や、資本金の額など関係ない。

ベンチャー企業と中小企業の違い

 中小企業とベンチャー企業に明確な区分は無い。あえて言うならば、上述した「成長志向」があるかどうかだと思う。「現状維持」で満足するか、もっともっと今以上に、それこそ明日、明後日という単位で、成長したいと考え続けているか、いないかだろう。
 中小企業の経営者の皆様とも様々な形でお付き合いさせていただいている。ただ、わずかばかりの違和感を覚える時がある。それが先に述べた「現状維持」で利益が出ているから良いじゃないか、という雰囲気を感じることなのかもしれない。

 ベンチャー企業、中小企業いずれも経営危機に直面する可能性は必ずある。しかし、ベンチャー企業の方が危機に直面する可能性が高い。なぜなら「リスク」をとるからである。常に冒険しているといってもいいだろう。「冒険・挑戦」と「リスク」は表裏一体であり、失敗すれば即座に大きな危機に陥る。
 ただ、「世間の人のためにこの企業は存在している」という確固たる自信があれば、そしてそのことを第三者も既に認めていてくれれば、応援してくれる方が必ず存在し、危機に直面した時に「救いの手」を差し伸べていただける。
 換言すれば、損得勘定無しにこの会社のためならと考えていただく「外部の応援団」・「多くの救いの手」の数が多い企業が「ベンチャー」なのではないかと私は思う。
 もちろん、中小企業の方々にも「応援団」は多数、存在するだろう。ただ、危機に直面した時、応援団は助けてくれるかもしれないが、内部の人間、いわゆる社員、そして外部の人間、いわゆる取引先が逃げていく可能性は高い。危機に直面した時こそ、入金を早めてくれるお客様、支払いを延ばしてくれる取引先が多数、存在する企業が「ベンチャー」だと私は思う。

 そして、単なる「金儲け集団」に「本当の応援団」は存在しない。「金儲け集団」こそ危機に直面した際に、見せかけの応援団だけでなく内部からも人はすぐに逃げていくだろう。この点については、昨今の経済・金融関連の事件で社会を騒がせた事象からも明らかだ。

ベンチャー企業の社長とは

 基本的に「社長」というものは、なってみなければ、どんなものか想像できないものだ。また具体的に「社長とは何か」と定義することも簡単なようで難しい。

 ベンチャー企業、中小企業、いずれも「社長」というものは、常に重圧を感じ、すべてにおいて最後の責任を負う。この点については「社長」となった瞬間に誰しもが同じだ。恥ずかしい話だが、私も何度も眠れない夜を過ごした経験がある。
 これらは「社長」であれば避けて通れないこと。避けられるはずも無いことだ。ただ、「ベンチャー企業の社長」は、多くの場合、辞めることはできない。他に頼む人間が存在せず、辞めようにも辞められないということだ。

 経営的観点から見れば、社長に大きく依存し、他に社長にふさわしい人間が存在しない企業はリスクが高く、不安定な状態といえる。しかし、多くのベンチャー企業では「社長は一人」というのが現状だろう。もちろん、会社が社会的な不祥事を起こしてしまえば、責任をとって辞めることがあるかもしれない。しかし、その時には、既にベンチャー企業は破綻したと同じ状態になっているだろう。
 換言すれば、「社長は一人」であり、「社長が辞めざるを得ない状態になれば終わり」といった状態の企業がベンチャーだろう。だからこそ、「ベンチャー企業の社長」には「大きな責任と覚悟」、そして「繊細なる戦略が伴う挑戦」が必要だと私は考える。

学生ベンチャーについて

 昨今、「学生ベンチャー」という言葉が使われるようになった。

 私も交流会などで名刺交換する機会も多くある。ただ、先に述べた中小企業経営者とは、少し違った違和感を覚える。学生ベンチャーを否定するつもりはもちろん、まったく無い。学生ベンチャーには「成長志向」もあり、素晴らしい技術を持っている方も多数、おられる。

 ただ、「自分の人生をどんな一生としたいのか」・「自分は何を成し遂げたいのか」を明確にしてから、事業を始められればいいと私は思う。そしてもっと重要なことは、事業には「責任と覚悟」が必要ということを十分に理解してからという点だ。この「責任や覚悟」といったものが、学生各位にはあまり伝わってこない。
 「技術・サービス」が先にあるのではなく、「自分はどんな人生を歩みたい」かを明確にし、覚悟を決めた上で、自らの技術やサービスを世に広めることが自分の人生計画と合致するのであれば、高校生であろうと大学生であろうと、胸を張って起業されればいい。

私の場合

 私は、米国留学後、将来、人生すべて捧げるつもりで、ある会社に入った。そして、少ししてから、グループ会社へ出向した。しかし、数年後に親会社は倒産した。自分の祖父が創り上げたホテルチェーンだが、事実上、つぶれたわけだ。

 親会社の倒産後もグループ会社は事業を継続していた。しかし、こちらで働かないかという多くのお誘いを受けた。ありがたい話であったがお断りした。
 なぜなら、「これが私の運命なのだ」と考えていたからだ。親から留学費用を出してもらい、将来は恐らく社長になるであろう祖父が設立した会社に入ったが、数年後にその会社は倒産。私に与えられた運命がこれなのだと受け止めた。
 そして、私はグループ会社の取締役を続け、今、緑化関連の事業を続け、社長となった。学生時代には想像もできなかったことだ。

 倒産など想像もしない時にも「自分はどんな人生を歩みたいか」について、もちろん考えていた。ただ、倒産後、その人生計画は大きく変化した。ただ、ホテルマンから緑化関連とまったくの異分野の仕事であるが、「多くの方々に喜んでいただく」という気持ちに変わりは無い。
 そして、倒産という経験をしたからこそ、本当の「責任や覚悟」・「社長の重み」・「お金の大切さ」というものを実体験から学んだと私は考えている。

ベンチャー企業に欠かせないこと

 私の会社の副社長は私の弟である。二年ほど前に取締役から副社長へと昇格した。

 彼と共に、ある企業へ訪問した。私は何度か訪問しているが弟は初めての会社だ。相手先の社長と話をしている際に、私の弟は突然、泣き始めた。

 何とかその場を終え、私は弟に聞いた、「なぜ泣いたのかと」。

 弟は答えた。「我々は相手先の社長が思っている以上に心を込めて仕事をしている。それがほとんど評価されていないように残念ながら感じた。それが悔しかった」と。

 自分の仕事に誇りと熱意を持ち、その誇りや熱意が伝わっていない時に、悔し涙を人前でも流す人間がいる。

 これがベンチャー企業にとって、絶対に欠かせない側面の一つだと私は考える。

追記
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2007.07.26 Thursday | 私のお気に入りエントリ | comments(6) | trackbacks(0)

誰もいじめを無くすことはできないと私は思う

 昨今、子供たちがいじめによって自殺をするという残念な事件が起きている。そして様々な報道がなされると共に、「いじめ」について今さらながらにして再度の議論がなされている。しかし、私は、誰がどのような議論を行い、行政や教育現場、そして家庭においてどんな具体策や防衛策を尽くしたとしても、子供たちが関わる「いじめ」は無くならないと考える。
 「いじめ」や「いじめによる自殺」は今だけでなく、少なくとも私が小学生であった20数年以上も前から存在するという事実、そして今もって「いじめという行動」について何の変化も結果も私には見出すことができない。昨今のいじめに関する事件が氷山の一角では無いことは、誰しも否定できないのではないだろうか。
 「現代の社会変化によるいじめの急増」などといった論調がもしあれば、私は大きく反論したい。そして、残念ではあるが「いじめ」を無くす、あるいは「いじめによって自らの命を絶つことを防ぐ」という事象に対する手段は皆無に等しいのではないかと私は考える。

私も、いじめられ、いじめた子供だった
 私は、いじめられた経験もあり、同級生をいじめた経験もある。私の過去のエントリである「私のコンプレックス、そして親として」で当時の様子を下記のように書いた。
私は小学4年生まで「いじめられっ子」でした。厳密には3年から4年生までの2年間、様々な手法を用いて、クラスの仲間にいじめられました。何がきっかけだったか、すっかり忘れましたが、自分でも良く耐えたなという記憶は残っています。ただ、あの経験が2年間以上、続いていたとすれば、今となっては想像できませんが、私も大きな心の傷を負っていたのかもしれません。
そして、5年生になると突如として、「いじめっ子」に私は、なりました。私の親も相手の子に謝りに行ったり、先生にも、何度もやめるように言われました。
(中略)
眼鏡についても、自分の容姿についても、今では何のコンプレックスも感じていません。ただ、やはり思春期といわれる時代には、誰もがそうだと思いますが、コンプレックスを持っていたはず。私の場合は、「眼鏡をかけた自分の顔」であり「短い足」だったわけです。

 このように私は、小学生の頃、「黒ぶちの牛乳瓶の底」のようなレンズの眼鏡をしていたことや、「短い足」といった容姿が原因で「いじめられて」いた。重複になるが小学3年から4年までの2年間はクラスメートから完全に無視され、毎日、学校へ通うことが嫌で仕方が無かった。
 しかし、小学5年の頃、急に背が伸び、他のクラスメートより体格が良かったというたった一つの理由で、「体格や容姿」が変であると思った同級生を「いじめる」という毎日を過ごした。私が「いじめられていた」ことについては、誰に相談することも無く、恐らく教師だけでなく親さえも知らなかったであろう。ただ、引用部分にあるように私が同級生を「いじめていた」ことは、親も教師も把握し、私は注意を受けていた。しかし、注意を受けることだけで「いじめをやめよう」という意識は私には芽生えず、卒業するまで同級生をいじめていた。2年間、自分がいじめ続けられたという経験があったにも関わらず、親や教師からの口頭での注意だけで、「いじめをやめよう」とは思わなかった。今、考えても何故だかわからない。「子供であり、心が未成熟だった」という言い訳が通用するかどうかすら、大人になった今、情けないと思いつつも曖昧である。

いつになっても「いじめ」は無くならない
 「どこからどこまでが誰にとっていじめなのか」という点について、明確な定義は存在していない。また、「この子供はいじめをしそうだ」、あるいは「この子供はいじめられそうだ」といった予測を完全に行うことは誰もできない。教師・親・同級生、そして自分自身それぞれ「いじめているのではないか」、また「いじめられているのでは」といった予兆のようなものを感じることはあるかもしれない。しかし、「いじめられたという認識、いじめているという認識」は誰しも受け止め方が違うのである。
 「いじめられた」と思っていても、いじめている本人には自覚がない場合、あるいは「いじめた」と思っていても相手は何とも感じていない場合など、明確に線引きすることは同様に誰もできない。よって、上述したように教育現場や家庭がどんなに対策をしたとしても、「いじめという明確な線引きが不可能な行動」はいつになっても完全に無くなることはあり得ないと私は考える。また、私のように「いじめをやめろ」と口頭で注意されても、やめようと思うことすら無いという場合もある。このように「いじめ」とは、個々にとって極めて曖昧な事象ではないだろうか。

誰がいじめを減らすことができるのか
 結論から言えば、私は誰も「いじめを減らす」ことはできないと考える。マスコミが盛んに報道することで「いじめ」が減るはずがないことはわざわざ根拠を述べなくても誰しもが納得するだろう。行き過ぎた報道が逆効果になることを説明する必要も無いだろう。また、行政や教育現場が、昨今の「いじめによる自殺」という事件に対し真正面から捉え、何らかの対策を今から実施して「いじめ」は減るだろうか。減るはずは無いと私は考える。
 何度も言うが「いじめ・いじめられるという過程」には明確な線引きが無く、行政・教育現場・子供たち・家庭それぞれに、表現が不適切かもしれないが、いじめに対する「温度差」に似たようなものが存在するのではないだろうか。そして、子供だけでなく大人たち、そして行政など様々ないじめに関与する人間それぞれの「温度差」の大きな違いが残念な結果を招き続けていると私は考える。

いじめによる自殺を無くすたった一つの方法
 個々の事件に限って見れば、誰が加害者であるのか、何が原因なのか明確なものがあることは否定できない。ただ、「いじめによる自殺」という残念な結果に共通して言えることは、当然、異論もあると思うが、「いじめられた本人が命を絶つという最後の決意をした」ということだと私は考える。もちろん、自ら命を絶つ選択肢を迫った第三者やその過程にこそ大きな問題があることは当然のことである。
 「最後の決意」をしてしまったことを非難する考えは毛頭なく、また、暴論と思われる方、突き放した論理と思われる方も多数おられるかもしれないが、いじめによる自殺を無くすには「最後の決意をさせないようにすること」が唯一無二の方法ではないかと私は考える。

本人が最も命を絶ちたくないと考えているという現実
 このように、「最後の決意をさせないようにすること」が自殺を無くす唯一の方法だと私は考える。しかし、「最後の決意をさせない」ための抑止策が見当たらないという矛盾が存在している。どんな場合でも、様々に追いやられてしまった過程において、もがき苦しみ、誰に相談することもできず、「最後の選択肢として残った決意」をしてしまったという結果しか残らない現実。いじめを受けた本人こそが、苦しみの過程で命を絶つことの大きな意味を最も理解しているのではないだろうか。だから、「最後の決意をさせない」ための抑止策など存在しないと私は考える。「命の大切さ」などを教育現場で何度、伝えたところで、解決できる次元の話だとは私には到底思えない。

 引用もリンクもしないが、今回の福岡の中学生の遺書は、彼自身が本当にもがき苦しみ、そして命の大切さを心から理解しながらも、迷い続け、最後の決意をしてしまったと私は思う。同じように苦しみ、迷い続けた結果、同じ行為に至ってしまった子供も少なからず存在するだろう。
 私も子供を持つ父親である。見ず知らずの人の命についてこのように書き続けることすら苦しい。私の子供が同じ立場になり、同じ決断をしてしまうことなど想像もできない。もし親として当事者になれば、私自身がどのような行動に出るか予測することすらできない。
 大きな矛盾を孕み、解決方法や手段が無いということ。そして子供を持つ親なら誰しもが経験する可能性があるという現実。これほど大きな深い問題に何の解決策や対処方法も見つけることができない自分が、もどかしく、情けなく、そして悲しい。

2006.10.19 Thursday | 私のお気に入りエントリ | comments(4) | trackbacks(8)

幼い子供と酒場に行っては駄目だと私は思う

 居酒屋などで夜遅くまで子供を連れたまま飲酒をする若い親が増えているという。「子連れで酒場現象」なる言葉もあるようだ。私としてはこのような行為は信じられないばかりか、教育的な効果もまったく無いと考える。

子連れで酒場現象
 「わが子と飲み屋、感心しません 非行の入り口と懸念の声-話題!ニュース:イザ!」では、子供を連れて居酒屋へ行く親たちの意見として以下が挙げられている。
ネット上でも議論されている。批判の声が多数派だが、子連れ派は「たまに居酒屋で飲むのはストレス解消になるし、子供も変わったものが食べられて喜ぶ」「核家族で子供をみる祖父母がいない。夜(飲みにいくとき)どこかに預けるのもヘン」「子供ができたからと、夫婦で飲みに出るのを何年も我慢できない」といった声が多い。

 確かに、夫婦やたまにしか外出できない方が居酒屋で飲むことはストレスの解消になるだろう。また、夫婦で飲みに行きたい、しかし面倒を見てくれる祖父母などがいないため、子供を連れて行かざるを得ない、といった主張は完全には否定できない。身近な祖父母や友人などに「久しぶりに夫婦で飲みに行くから子供の面倒を一晩、見ておいて欲しい」といったお願いをすることに躊躇する方もおられるだろう。

もし私が飲んでいる時に隣に子連れのご夫婦がいたら
 今は、喫煙しない私だが、もし喫煙していて、お隣に子連れのご夫婦がいた場合、タバコを吸うことを私は遠慮するだろう。また、もし23時といった深夜に小学生くらいの年齢の子供が隣で両親と同席していれば、何とも気になって仕方が無い状態に私は陥ってしまうだろう。このような態度や気持ちになってしまうのは私だけではないと思う。周囲の客だけでなく店主も気になるのではないだろうか。もちろん、「また、来たか」とやり過ごす店主もいるとは思うが。
 しかし、今回、紹介した記事では以下のような店主の言葉もある。
“子連れマダム”が多い東京・麻布十番で、昭和30年代の雰囲気が人気の「ラッキー酒場」は子連れ入店を謝絶している。オーナーの廬紫桜(ろ・しおう)さん(41)は「夜遅く焼鳥屋や寿司屋で親の隣に座らされ、勉強している子さえいてかわいそう。店の雰囲気としてもよくない。親の身勝手はだめ」ときっぱり。

 この意見が店主としても正論ではないだろうか。かなり議論が飛躍するかもしれないが、ある程度、高級なフレンチレストランでは「ノーネクタイ」では入店禁止である。いわゆる「フレンチでの最低限のマナー」である。ましてや、親の都合で子供を酒場に入店させ、子供をあまり構うこともなく、深夜まで飲み続けることは、飲食業を営む方々にとっても、またそこで偶然、隣り合わせとなった客にとっても「マナー以前」の問題と認識するはずだと私は思う。

居酒屋での子供の気持ち
 私は子供の頃に親に居酒屋に連れられ深夜までいたという経験が無い。よって、居酒屋で両親の横に座っている子供の気持ちは推測でしか判断できないが、「あぁ、またか」という気持ちが大半を占めるのではないかと考える。あるいは何も感じないのかもしれない。「いつもと違って、今日は外食だ、おいしいものが食べられる」といった気持ちは子供たちにとっては皆無だろう。なぜなら、「子連れで酒場」は楽しむ主体が両親であり、子供は代替手段が無かったため仕方なく連れてきた脇役としての存在であることくらいは何度か連れて行かれた子供は、経験として敏感に察知するからである。
 恐らく、子連れで居酒屋に行っているご夫婦も最初は、「子供を連れて行く」ことに躊躇いを感じられたと私は思う。しかし、二度、三度と回数を重ねるうちに躊躇いはなくなり、大半の方が「常習化」してしまい、子供の存在や悪影響などについて、既にまったく気にしない状態に陥っているのではと私は考える。この時点で、もう子供にとっても、店の他の客にとっても、「迷惑な存在」あるいは「可哀想な信じられない存在」でしかありえない状態となる。なぜなら、22時や23時頃まで小学生や、小学生にも満たない子供を寝かせないという行為自体が私や大多数の人々にとっては「常識ではあり得ないこと」と考えるからである。もちろん中学生や高校生を連れていても同様の思いを抱くだろう。

どうしても飲みたくても我慢すべき
 上述したように、「夫婦で外で飲みたい、ストレスを解消したい」という気持ちは理解できる。しかしどうしても行きたければ、まず誰かに子供を預けられる体制の必要性を自らの家庭の問題として認識し解決すべきである。この体制ができなければ、私は「やはり我慢すべき」と考える。なぜなら、子供が数年後、あるいは十数年後に成長した段階で、夫婦だけで飲みに行く機会はいつでもあるからだ。「そんなに何年も待てない」と思う方は、子供の立場になって自らの行動を省みればいい。「常習化」した「子連れで深夜まで酒場」という行為は、幼い自分の子供にとって何も利点を生み出さないことに気付くだろう。

食事のマナーを学ばせ、成人してから一緒に飲みに行けばいい
 私は中学生程度の年齢に達した段階以降、年に数度、フレンチのレストランに連れて行ってもらった経験がある。この経験でナイフやフォークの扱い方やフレンチのマナー、そしてサービスというものを体得した。もちろん将来、ホテルマンにさせるという背景もあったかもしれない。ただ、今は亡き祖母だけが当時、柔らかいトーストを頼みもせずにサービス(サーブ)されていたことは今でも大きく印象に残っている。これが「本当のサービスというもの」なのかと子供なりに感じ取っていた。また、フレンチ以外の料理屋にも定期的に連れて行ってもらい、様々なマナーを学んだ。
 食に関する様々なマナー・知識は中学生程度の頃から家庭内で、あるいはある程度のランクのレストランや料理屋で学ばせ、体得させることは親として、できる限りやるべきことであると私は考える。もちろん幼児期に深夜まで居酒屋に連れて行くことで子供がマナーを得られるはずも無い。
 今まで述べてきたように子供の段階で深夜まで飲みに連れて行くことは、私は反対である。しかし、子供たちが成人になった段階で、一緒に飲みに行くことは、むしろ「やるべき」だと私は考える。上述したフレンチのマナーや、日本料理のマナーなどとは違った、酒を飲むという「大人のマナー」をこの時点で親は教えるべきだと思う。

 自分の子供たちが十数年後に成人し、「大人のマナー」を伝える時が早く来ないかと待ち望むこと。親にしかできない、貴重な、そして大切なことではないかと私は考える。

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2006.10.17 Tuesday | 私のお気に入りエントリ | comments(4) | trackbacks(1)

他者を変えるためには、まず自らが変わらなければならない

人間は感情の生き物か?
 よく人間は感情で動く、感情に左右されやすいと言われます。そうかもしれません。あるいは、まったくの感情のみ、直感だけで動く方もおられるかもしれません。感情を中心に意識的に、また無意識かはともかく自らの行動を決めてしまう方を非難するつもりは毛頭ありません。ただ、「感情で動く」時には、必ず「相手や物事が存在」します。この「相手や物事」に対し、実は一種のフィルターを通して人間というものは見てしまいがちです。換言すれば「フィルター」こそが個々の世界観であり人生観なのだと私は考えます。

本末転倒な悪循環とは
 例えば、私も子を持つ親なのですが、子供たちの成績や振る舞いが良い方が自分としても嬉しいに決まっています。逆に悪い成績を取った場合、がっくりとしてしまうでしょう。「良い成績・悪い成績」というものは結果であって、その結果に左右される自分は、結局、子供を中心に考えているのではなく、「できることなら子供は良い成績であって欲しい」という「フィルター」を既に自分の心に持ってしまっているということです。極論すれば、できれば良い親でありたい=しかし子供が良い成績をとらない=結局、悪い親と思われてしまうのは嫌だ、といった本末転倒な循環に陥ってしまい、一旦、この悪循環に陥ると子供に対する気持ちや態度はゆがんだものに常に変化してしまう危険性をあると私は考えます。
 「子供の成績が良い」=「心が安定する」というような自らの心のあり方は、子供に対する考えだけでなく、自分自身の行動や感情の多くが他者中心・他者に依存してしまうことにつながってしまいます。

勝手に思い込んでいると考えるべき
 人はそれぞれ、自分なりの考えを持っています。「価値観のようなもの」と表現しても良いでしょう。しかし、「物事はこうあるべきだ」・「相手はこうなっているべきだ」という自らの価値観の多くは客観的ではなく、実は主観的な思い込みの場合がほとんどだと私は考えます。
 そして、この「勝手な思い込み」が自らの行動・相手への態度・考え方すべてを左右しているといっても過言ではありません。換言すれば、相手や事象に対し、素直に見ている・理解しているのではなく、無意識のうちに自分の都合の良いように解釈しているということです。よって、少しでも自分の考えが相手に受け入れられなかったり、相手が自分が正しいと思っていない行動をすると、すぐに相手が間違っていると解釈してしまいます。

自分の心のフィルターを見つめなおす
 今まで述べてきたように、相手や事象に対しては、自らが今まで経験し積み重ねてきた「心のフィルター」で我々は判断します。換言すれば「自らの心のフィルター」のあり方次第で、自分の行動だけでなく相手への思い、相手への接し方が変わるということです。
 より良い心のフィルターとは何か。私は、この出発点は「自分自身の内面をまず変えていくことにある」と考えます。相手が変わることや相手を正そうとするのではなく、自分を変えていく、あるいは相手が変わらない理由は自分に責任があることをまず「認める」ことではないでしょうか。

自分を傷つけることができるのは自分だけ
 例えば、相手が何らかの言動を悪意があるかないかはともかくも、自分に対して投げかけたとします。多くの人は相手の言動を受けてショックに陥るでしょう。しかし、「相手の言動を自らが受け入れて、はじめて自らの心は傷つく」と考えればどうでしょうか。少し違った角度から見ると、相手の言動に自らがわざわざ左右されてしまった状況に陥ったとも言えます。
 そうではなく、本来は、「人間というものは周りや自らが置かれた状況に左右されるのでなく、周りの状況や言動に作用を与えるくらいでなければならない」と考えるべきです。人によっては、些細な環境の変化や相手の言葉で自分の心が揺らいでしまう方もおられると思います。
 しかし、これではいつになっても自分をコントロールすることはできず、周りの環境変化に振り回され続けてしまうことになります。そうではなく、最終的には自らを取り巻く環境そのものまでも自分で作り出すことができなければならないと私は考えます。

自分の心のあり方を変える
 相手が動くのを待っていれば必ず相手の行動や言動に左右されます。その結果、「言われたからやらなくてはならない」=他人の都合によって自分の行動が強要されてしまう、「締め切りを決められたが時間が無くてできない」=これも他人が決めた都合によって時間という制限が自らの行動をコントロールされる、といった上述した悪循環に似た傾向を常に持ってしまうこととなります。「すべての問題は自分ではなく相手や周りの環境にあると決め付けてしまう」ことにもなりかねません。「外に問題があると決め付けてしまうことこそが最大の問題の根源」ではないかと私は考えます。
 よって、このような経験をされている方は、まず、自分の心の中にあるものを変えることから始める必要があると私は考えます。

まずは、自らの選択肢を出すことで確信が生まれる
 まずは自分が直面している状況やその時々の感情から一歩、身を引きます。そして、「自分で解決策を考え、自分で選択肢を相手に提示する」という流れが最も大切なのではと私は思います。誰が何を言おうと、どんな状況下にあったとしても「自らが決断する」ことによって、誰にも左右されなかったという、あるいはこの決断で正しかったという「確信や自信」が必ず生まれます。

私の経験から
 最後に私の経験です。立場上、私は社長です。最終的な判断や決断の結果は私に責任があり、その判断や決断が結果的に間違っていた場合の責任は当然、私が負います。これが日常茶飯事なわけです。
 こんな状況下において、他人の言動、もちろん判断を下すに当たっての貴重な助言も受けた決断が、結果として間違っていたとしても、その原因を「助言した他人が悪い」などと考えれば、きりがなく、かつ身体も心も安定を保てるはずもありません。
 また、第三者、例えば競合相手や取引先、お客様といった周りの環境・意向等に左右され、そこから決断や決定を下すという習慣で行動していれば、「間違った私の決断は第三者が悪いのだ」と考えてしまいます。しかし、現実として、そのような思いを持つことや吐露することも許されません。
 結局、上述したように常に周囲の環境や感情から少し距離を置いて、「自分の心のフィルター」を通して、何事も決断することが最も合理的ではないかと私は考えます。誰に左右されるわけでもなく、どんな環境に左右されることもなく、自分自身で判断したこと。判断が結果として間違っていたとしても、「判断した瞬間には、自分にとしては正しいという確信が確実に存在」します。この点が重要なのです。何度も繰り返すようですが、第三者や事柄に左右された決断よりも自ら確信を持った決断の方が、結果はともかくも自信につながっていきます。そして失敗を繰り返したとしても、その責任・原因は自分にあるわけで、第三者が悪いと言えない、という点も非常に重要なことです。
 言われたからやる、なんていう人生を毎日、過ごしていたら必ず後で振り返って後悔する人生となるのではないでしょうか。

「心のフィルターを磨くには」
 簡単です。今までの人生で「自分にとって最もプレッシャーがかかった」と思われることを思い出してください。今でも冷や汗がでるような、今でも赤面しそうな事柄です。そして、もう一度、同じ場面に遭遇しても、自分はまったく意に介せず逆にリラックスできるようにイメージすれば良いわけです。このイメージトレーニングを繰り返していけば、少しずつ自分が変わっていくことを感じることができます。私も最近、今、書いたようなことを無意識のうちにやっているなと実感した場面がありました。

最後に
 何度かコメントを頂戴している「かき丸」様が「こどもが理由」というエントリを書かれています。ご自身で仕事をお持ちでいながら子育てもされておられる方です。
 エントリではお子様の体調が悪いという原因でクライアントに納期について相談されたとのこと。その時のクライアントの回答が「子供のこと言われても、困るんだよね」ということだったとのこと。詳細は「リンク先記事」をまず、ご覧ください。
 僭越でありかつ内情をまったく知らない私ですが、今回、エントリしたように周りの環境に左右されず、第三者の影響も受けず、まず自分自身が最適と思う選択肢を選ぶ。そして、相手に提示することが重要だと私は考えます。「自分が納得した選択」とも言えるでしょう、その結果、相手が何と言おうとも。自分が納得し確信した選択を続けていくことが、最初は難しいかもしれませんが、遠いようで最も近道のような気がします。

 以上、少々、哲学・心理学のようなエントリになりましたが皆様のご参考になれば幸いです。

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2006.07.21 Friday | 私のお気に入りエントリ | comments(2) | trackbacks(0)
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私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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