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今日、2016年8月23日でブログ開設12年と123日となりました。きりが良いので記事をアップ。この記事で893個目となります。
もう12年も続いたのかと思うと共に、12年前とはネット界隈も大きく変わったなと感じる今日この頃。社長ブログということで私の会社のサイトトップページから、このブログはリンクされており、多くの方が私の会社を来訪される前に、このブログを確認される。よって、中途半端なことは書けず。もちろん、「Twitter」も実名で。
公私共々、12年間は長く、辛いことも多々ありましたが、お陰様でほとんど忘れました。某巨大掲示板で色々と言及されることも多々ありました。ただ、「緑内障になる」ことだけは想定外でした。
さて、実名かつ社長ブログなので、真面目な事を書き続けてきました(本人はそう思っております)。これが影響したか否かは不明ですが、リアルにブログで繋がった方が多々あります。あえてリンクは致しませんが過去には何度もブロガー花見会や忘年会を開催いたしました。
また、Twitterで繋がった方も存在します。これもブログの中身を確認してからなのかなとも思っています。そして最終的にはFacebookへと繋がっています。
実際に私に会われた方がどう思っておられるか不明ですが、ブログもTwitterも、そのままの私を反映させていると考えています。ということで、過去のお気に入りのエントリを列挙しました。お時間のある方はどうぞご覧下さい。結構、まともなことを書いておりますので。
特に昨今は短い情報量が好まれる傾向にあると思います。タイトルだけで反応する時代です。そんな中、これからもそれなりに長文を書き連ねていければと考えております、中身はともかくも。
では、皆様、これからもよろしくお願い致します。
ある眼鏡屋での店員さんの涙
いつもお世話になっている眼鏡屋が閉鎖される直前の店員さんと長男との出来事。今、読み返しても、その時の光景が浮かび、涙が出てくる。
ベンチャー企業とは何か
このエントリは上述したように、Yahoo!で1位に表示される。内容も、私の会社で副社長をしている弟の涙を流した物語となっている。ベンチャー企業と中小企業との違いについて、私なりに書いたもの。
誰もいじめを無くすことはできないと私は思う
昨今、子供への親の虐待が続いている。このエントリは2006年10月19日。子供自身の自殺が続いた頃、私なりに思うことを書いた。エントリ中にも書いているが、私も、いじめられ、いじめた子供だった。その経験をふまえ、私なりの持論を。
他者を変えるためには、まず自らが変わらなければならない
誰しも自らの価値観を持っている。当たり前かもしれないが「物事はこうあるべきだ」・「相手はこうなっているべきだ」という自らの価値観の多くは客観的で はなく、実は主観的なもの。第三者、他者を変えるためには、自らの価値観を変えなければ、他者は変わるはずが無いということを書いている。少し哲学的な内容のため詳細はリンク先を。
批判することは簡単なこと
誰しも批判はできる。ただ、「それではお前がやってみろ」と言われてできるかどうか。第三者を批判するなら、「それなりの覚悟を持ってやれ」といったこと、そして批判されている側の気持ちを考えろ、といったことを書いている。
賛同者を増やし、夢をかなえること
私の祖父の話を元に、私なりの経験をふまえて書いたエントリ。誰しも一人では何もできない。損得勘定無しで応援していただく方を増やすことが、結局、夢をかなえる道筋の一つだと私は思っている。
父との誓い
親会社が倒産し、いろいろと誘いがあった中、それを断り、まったく違う事業を開始し10数年。その経緯・発端が私の父との誓いです。私の原点と言えるかもしれない。
祖父の教え。法華倶楽部の資金調達
是非、ご一読を。約120年以上前に生まれた私の祖父の生き様を書いたもの。一度は宿泊されたことがある方も多い法華倶楽部。ビジネスホテルというビジネ スモデルを作り上げた祖父。このビジネスホテルを広げたいという思いから一年半、全国を歩き、4000人の方から資金提供を受けた実話。恐らく、今、この ようなことをされている方は皆無でしょう。
以上、他にも「新潟の地震」のエントリや、我が子供達へのメッセージなど紹介したいものは多々あるが、まずは多くの方の参考になるエントリを中心に、紹介。
例外として、私の子供達のメッセージで大きな反響があったものが次のエントリ。
正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ
是非ともご一読を。そして再度になりますが、これからもよろしくお願い致します。
※「ベンチャー企業社長ブログトップ10位へ」
私は小学4年生まで「いじめられっ子」でした。厳密には3年から4年生までの2年間、様々な手法を用いて、クラスの仲間にいじめられました。何がきっかけだったか、すっかり忘れましたが、自分でも良く耐えたなという記憶は残っています。ただ、あの経験が2年間以上、続いていたとすれば、今となっては想像できませんが、私も大きな心の傷を負っていたのかもしれません。
そして、5年生になると突如として、「いじめっ子」に私は、なりました。私の親も相手の子に謝りに行ったり、先生にも、何度もやめるように言われました。
(中略)
眼鏡についても、自分の容姿についても、今では何のコンプレックスも感じていません。ただ、やはり思春期といわれる時代には、誰もがそうだと思いますが、コンプレックスを持っていたはず。私の場合は、「眼鏡をかけた自分の顔」であり「短い足」だったわけです。
ネット上でも議論されている。批判の声が多数派だが、子連れ派は「たまに居酒屋で飲むのはストレス解消になるし、子供も変わったものが食べられて喜ぶ」「核家族で子供をみる祖父母がいない。夜(飲みにいくとき)どこかに預けるのもヘン」「子供ができたからと、夫婦で飲みに出るのを何年も我慢できない」といった声が多い。
“子連れマダム”が多い東京・麻布十番で、昭和30年代の雰囲気が人気の「ラッキー酒場」は子連れ入店を謝絶している。オーナーの廬紫桜(ろ・しおう)さん(41)は「夜遅く焼鳥屋や寿司屋で親の隣に座らされ、勉強している子さえいてかわいそう。店の雰囲気としてもよくない。親の身勝手はだめ」ときっぱり。
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