ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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再度:失明したくなけりゃ40代は必ず健康診断で眼圧測定を:緑内障で年間600時間を失った私

緑内障

 昨今、緑内障になった同級生がいたため、再度、過去記事をアップします。

 

眼圧の異常に不幸中の幸いで気付いた

 40代後半を超えた数年前の私。その頃、私はメガネを新調すべく、眼科へ。気楽なものだったが、下記の通り、新たな歴史が始まった。新たな試練として。

視力計測と同時に、その間に基本的な検査を受けた。

 検査終了、眼科医の最後の診断。先生曰く、視力はともかくも眼圧が極めて高いので、1ヶ月以内に必ず再診するようにとのことだったが、意味が分からず。
 ただ、帰り際のこの言葉が強烈だった。「今は失明しないけど、何もしなければ1ヶ月後、どうなるかわからないから」と。
 血圧は知っているが眼圧など言葉さえ気にもしていなかった私。「眼圧」について、ネットで調べたが、ある程度は理解できても、実感は皆無。その後、眼圧との戦いに生涯を共にするなど思いも寄らなかった。

眼圧が高いということ

 テニスボールを想像して欲しい。

 膨張したテニスボールは、プロであれば見た目や感触でボールに異変を気付くが、普通の人は異変に気付かない。ただ、異変のあるボールをラケットで打てば、自ずとボールは破裂する。
 いわゆる「パンパンになった」空気圧が高いボール。これを「眼圧が高い状態」と考えてもらっていい。内圧が高いボールは、徐々にボールとしての性能を無くし、最後に破裂する。眼圧も同じように、原因は不明ながらも徐々に高まっていき、徐々に視神経を圧迫していく。
 
 それが、緑内障である。

緑内障の治療

 食生活の改善などの必要は皆無。目薬による点眼だけ。症状によるが、目薬をして5分間、眼を閉じて、その後、約10分間の間隔をあけて次の目薬を点眼する。10分間の間隔は、最初の目薬が浸透するまで、そして次の目薬と混ざらないようにするためだ。
 この「5分間、眼を閉じる、その後、約10分後、次の目薬を点眼という流れ」は、緑内障の方であれば誰しも同じ。この工程は緑内障の進行を阻止するためであり、点眼は生涯続く。何があっても、どんな状況下でも、点眼を「生涯」続けなければならない。繰り返すが「生涯」である。

緑内障の治療を一年で見ると気が遠くなる

 緑内障の方は、上述通り、点眼だけが治療方法。手術もあるが、これは最終手段となる。
 さて、点眼である。驚くなかれ、目薬1種類で終わるはずもない。さらに上述通り、失明したくなければ、点眼は生涯続く。

 私の場合、4種類の目薬を朝と晩に行う。4種類であるから5分、10分(休憩)というパターンを4回、行う。1セット15分として、4セットで60分。それを朝晩やるので一日にして2時間。10日間にして、20時間。1年間にして約600時間。

 これからも、そして生涯何があっても、どんな時でも、私は、年間600時間以上を点眼に費やすこととなる。緑内障に平日も祝日も無い。ちなみに600時間は、1ヶ月に相当する。もうこれ以上、言うことは無い。

だからこそ、40代で眼圧測定を

 血圧などは、自宅でも計測でき、かつ身近なもの。ただ、眼圧は、少なくとも私自身は近しい存在ではなかった。35歳を過ぎると、いわゆる「生活習慣病予防健診」を受けることができ、会社からの補助もある。多くの方々は、この健診を受けるだろう。
 ただ、そこに「眼圧」の項目は無い。また人間ドッグも半日ではなく一日でやっと眼科健診がある。

 35歳から健診を受け続けた私。眼圧の項目は無く。重複になるが「メガネを新調」というアクションが無ければ、「眼圧が高い」という結果は知り得なかった。

 だからこそ、健康診断、あるいは日々の治療において、眼圧測定をおススメする。
 私のような人生を歩んでほしくないから。

※「ベンチャー 企業社長ブログトップ10位へ

2016.10.07 Friday | 私の人生 | comments(1) | trackbacks(0)

失明したくなけりゃ40代は必ず健康診断で眼圧測定を:緑内障で年間600時間を失った私

眼圧の異常に不幸中の幸いで気付いた

 40代後半を超えた数年前の私。その頃、私はメガネを新調すべく、眼科へ。気楽なものだったが、下記の通り、新たな歴史が始まった。新たな試練として。

視力計測と同時に、その間に基本的な検査を受けた。

 検査終了、眼科医の最後の診断。先生曰く、視力はともかくも眼圧が極めて高いので、1ヶ月以内に必ず再診するようにとのことだったが、意味が分からず。
 ただ、帰り際のこの言葉が強烈だった。「今は失明しないけど、何もしなければ1ヶ月後、どうなるかわからないから」と。
 血圧は知っているが眼圧など言葉さえ気にもしていなかった私。「眼圧」について、ネットで調べたが、ある程度は理解できても、実感は皆無。その後、眼圧との戦いに生涯を共にするなど思いも寄らなかった。

眼圧が高いということ

 テニスボールを想像して欲しい。

 膨張したテニスボールは、プロであれば見た目や感触でボールに異変を気付くが、普通の人は異変に気付かない。ただ、異変のあるボールをラケットで打てば、自ずとボールは破裂する。
 いわゆる「パンパンになった」空気圧が高いボール。これを「眼圧が高い状態」と考えてもらっていい。内圧が高いボールは、徐々にボールとしての性能を無くし、最後に破裂する。眼圧も同じように、原因は不明ながらも徐々に高まっていき、徐々に視神経を圧迫していく。
 
 それが、緑内障である。

緑内障の治療

 食生活の改善などの必要は皆無。目薬による点眼だけ。症状によるが、目薬をして5分間、眼を閉じて、その後、約10分間の間隔をあけて次の目薬を点眼する。10分間の間隔は、最初の目薬が浸透するまで、そして次の目薬と混ざらないようにするためだ。
 この「5分間、眼を閉じる、その後、約10分後、次の目薬を点眼という流れ」は、緑内障の方であれば誰しも同じ。この工程は緑内障の進行を阻止するためであり、点眼は生涯続く。何があっても、どんな状況下でも、点眼を「生涯」続けなければならない。繰り返すが「生涯」である。

緑内障の治療を一年で見ると気が遠くなる

 緑内障の方は、上述通り、点眼だけが治療方法。手術もあるが、これは最終手段となる。
 さて、点眼である。驚くなかれ、目薬1種類で終わるはずもない。さらに上述通り、失明したくなければ、点眼は生涯続く。

 私の場合、4種類の目薬を朝と晩に行う。4種類であるから5分、10分(休憩)というパターンを4回、行う。1セット15分として、4セットで60分。それを朝晩やるので一日にして2時間。10日間にして、20時間。1年間にして約600時間。

 これからも、そして生涯何があっても、どんな時でも、私は、年間600時間以上を点眼に費やすこととなる。緑内障に平日も祝日も無い。ちなみに600時間は、1ヶ月に相当する。もうこれ以上、言うことは無い。

だからこそ、40代で眼圧測定を

 血圧などは、自宅でも計測でき、かつ身近なもの。ただ、眼圧は、少なくとも私自身は近しい存在ではなかった。35歳を過ぎると、いわゆる「生活習慣病予防健診」を受けることができ、会社からの補助もある。多くの方々は、この健診を受けるだろう。
 ただ、そこに「眼圧」の項目は無い。また人間ドッグも半日ではなく一日でやっと眼科健診がある。

 35歳から健診を受け続けた私。眼圧の項目は無く。重複になるが「メガネを新調」というアクションが無ければ、「眼圧が高い」という結果は知り得なかった。

 だからこそ、健康診断、あるいは日々の治療において、眼圧測定をおススメする。
 私のような人生を歩んでほしくないから。

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2015.10.03 Saturday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

10分と15分の差、たったの5分だが極めて違う。

緑内障
過日の京都直撃の台風。

京都は台風直撃の夕方から深夜までが暴風。夕方、帰宅時に傘が崩壊。

そして、先週金曜日、台風の中、10時半に眼科へ。風も強くなく午前の時点では小雨。

「緑内障」の私ですが、お陰様も持ちまして、右眼の眼圧は15、左眼の眼圧は14。

ということで、今まで1ヶ月毎の診察を、ここ数ヵ月間良好なので、先生曰く、2ヶ月後にしましょうかとの提案。結果として1ヶ月半後に診察を予約。

昨年7月は、入院を一週間要する状態でしたが、目薬を続ける限り、この調子で安定すると期待しております。生涯、続きますが、もう慣れました。

薬剤師の方の指導通り、目薬をさして5分、眼を閉じて、15分後に次の目薬という感じで、3年間。

眼科の先生曰く、5分間点眼後、次の目薬まで5分後で吸収されますから、そんなに15分も必要ありませんよとのこと。

「早くそれを言ってくださいよ」と、先生とお互い笑顔で。

5人の子供達の話題になり、「頑張って、稼いで下さい」と、これまた、笑顔で。

いずれにせよ、良き先生に巡り合えたことに感謝しております。

今週末から、15分から10分に変えた私。

今も、目薬中ですが、たったの5分ですが、精神的にまったく違います。

重複になりますが、目薬は生涯続きます。ただ、たった5分の差で、これ程、楽になるとは、本当に有難きことです。

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2015.07.20 Monday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

ここ半年、色々とありましたがブログを再開!



  2012年12月から、極めて更新していなかった私のこのサイト。2013年1月に「緑内障」と判断され、目薬のみの治療か、目薬では無理で手術するかどうかの判定が下ったのが7月19日。

 数ヶ月間、極めて長き日でしたが、お陰様で、当面は目薬で緑内障を抑えることができることが判明致しました。

 私のこの拙いサイトですが、「[K]Feedly Subscribers Checker | Knowledge Colors」で確認すると私のブログの購読者は僅かとは言え、39名。

 そして、「[TopHatenar]」をほぼ半年ぶりに確認すると、購読者58名。もちろん上記と重複するとは思いますが。いずれにせよ、「[TopHatenar]」を見ると、何においても上位2%内外なので、まだ、私のブログを見捨てておられない方が存在すると考え、重複になりますが、更新再開と決めました。

 以上、更新頻度は数年来程度に下がるとは思いますが、何とか踏ん張って更新致しますので、皆様、よろしくお願い致します。

追記(10月19日):もう少しお待ち下さい。目薬で緑内障を抑えることができないかもしない状態になりましたので。

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2013.08.03 Saturday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

失敗をチーム全員で楽しむ:まもなく中学生になる三男君へ

三男

 三男君、まずは卒業、おめでとう。

 卒園式や卒業式だけは必ず出席すると心に決めているお父さんですが、いよいよ明日が卒業式ですね。

 三男君には、いろいろな想い出がお父さんだけでなくお母さんにもあります。
 他のお兄ちゃんや弟、妹が風邪になっても、近くの病院へ行けば寝ているだけで直ぐに治りました。でも、君は、何度か大きな病院へ行き、一晩中、点滴を打ちました。入院したこともありました。

 しかし、数週間前、お父さんは見ていませんが、君が小学校で他の小学校相手にバスケットの試合で何点も獲得したことを聞き、一安心しました。

 また、生涯、君も含めて忘れることができない最後の運動会の60人の組体操。
 危険なため、過去には実施されませんでした。でも、君の運動神経と同級生の努力で、7段目の頂点に君は立ちました。その瞬間、本当に多くの人達が心の底から感動していました。

 さて、君が三年生や四年生の頃、週末に毎日のように近くの公園で一緒にキャッチボールをしましたね。君はその頃から、中学に入れば野球部に入ると確信していたから。5年生になってからは週末に、欠かさず友達と本格的な野球の練習をしている三男君。

 お説教のように聞こえるかもしれませんが、少しだけお父さんが思うことを聞いて下さい。

 野球部だけでなく、中学生になると悩むことも多いはず。
 もちろん君の悩みをお父さんやお母さんが聞くことは必ずします。でも、それでは「悩み」は解決しません。
 そんな時、一年後には「あんなことで悩んでいたんだ、くだらないことだった」と必ず思うと確信して下さい。「人生とはそんなもので、一年後の自分など分かるはずも無い」と考えれば「悩み」がすっと消えていきます。

 勉強も小学生とは大きく違うようになります。
 時には、「こんなことを勉強して意味があるのか」と思うことがあるでしょう。お父さんも、中学生時代に同じように思っていました。しかし、今となっては、違います。中学生でも高校生でも学校で教えられるのは「知識」です。しかし、その知識の積み重ねが大人になって、様々な経験や体験と共に「知恵」となり、君の人格を確立させます。だから「こんなことは意味が無い」などと思わず、中学だけでなく高校生になっても知識を積み重ねていって下さい。

 野球部に入った際、最初は玉拾いばかりでしょう。
 その後、やっと選手として練習する時期が来るはず。恐らく野球部の監督は試合前や練習中に「ベストを尽くせ」というでしょう。しかし、ベストを狙わないようにしましょう。それよりも、ベターを狙うことです。ベターの積み重ねがベストになります。最初からベストを狙うと往々にして、うまくいかないものです。

 最後に。

 野球とはチームでプレーするもの。
 試合に勝った際は、その喜びを、みんなで共有して下さい。ただ、それよりも重要なことはチームで失敗した時、負けた時に、その犯人を見つけるのではなく、失敗をチーム全員で楽しむこと。チームの荒探しなどで得るものは皆無です。それよりも失敗したなぁと全員で笑いましょう。監督が何を言われたとしても、全員で笑う中心となって下さい。そうすれば、失敗は必ず減っていきます。

 もう一度、言います。三男君、卒業、おめでとう。
 そして中学での活躍を願っています。

 しかし、君なら大丈夫だとお父さんは確信しています。

 なぜなら、君も覚えているように、60人の組体操の7段目の頂点に君は立ったのだから。そして、その頂点からの光景は君しか見ていないのだから。

 2012年3月21日 父、記す。

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2012.03.21 Wednesday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

私の人生を変えた青森県弘前市と弘前さくらまつり

 米国留学を終え、私はホテルマンになった。

  当時、全国に20店舗以上、展開していたホテルで私の祖父が「ビジネスホテル」という概念を導入したホテルチェーン。修行のため、横浜の某高級ホテルで身分を隠し、アルバイトとして働いた。
 しかし、突如として修行から約8ヶ月後、青森県の弘前市のホテルへ出向命令が出た。なぜ、青森かについては、このブログを長年、ご覧になっている方ならご理解いただけるため、詳細は記載しない。

 参考:「木村秋則氏:リンゴ・リンゴジュース

 ただ、夜に青森空港に到着し、弘前市内へ向かうバスの車窓から大雪の風景を見ながら思った。「米国でMBAを取得し、東京の新規オープンするホテルで働くために修行してきた期間になぜ青森、何だろうか」と。

 そして、初日から躓いた。いわゆる革靴は雪国では通用しない。小さなアパートの一室は既に弘前店の支配人が用意してくれていた。もちろん、自家用車まで用意してくれるはずも無い。
 アパートから近くの靴屋まで、注意しながら歩き(何度も転んだが)、やっと雪国用の靴を購入した。その後、滑らない靴を履き、生活必需品や車などを購入。

 その日から、ホテルマンでは無く「リンゴ農家」各位を対象とした「樹木の味方」という剪定後の切口の塗布剤を売るための営業の日々が続いた。
 ちなみに、「津軽弁」は英語よりも遥かに難しい。当初は農家の方が笑っていれば、こちらも笑い、怒っているようであれば、謝っていたが、一年間、土日関係無しに、農家の方々と触れ合うことで、ようやく「津軽弁」を理解することはできた。

 お陰様で、二年目には、それなりに営業の成果が現れ、少なからずとも多くの方々にご利用いただくまでになった。ある意味、見知らぬ地で、見知らぬ業界で、モノを売り歩いたこととなる。
 もちろん私もリンゴについて勉強したが、それよりも多くの方々に、多様なことを教えていただいたことが、結果として現れた。

 最も嬉しかったことは、弘前城、弘前公園のサクラの管理に我々の製品を利用いただいたこと。弘前市では、ゴールデンウィーク中に、サクラだけでなく、リンゴの花も満開となる。

 ゴールデンウィークで弘前公園のサクラを見る、いわゆる「弘前さくらまつり」は観光客数でいつも上位となる。そのため、2月から3月頃に、自衛隊の方々が3000本近い多種多様なサクラの剪定を行われる。高所作業になるためだ。

 その剪定切口に、我々の製品を塗布いただいている。

 専門的になるがサクラもリンゴもバラ科。剪定切口を塗布剤等で保護しなければ、切口から病原菌が容易に侵入し、腐っていく。従来は農薬を使われていたが、弘前公園の担当者の方が我々の製品を使うことを決められた。
 もちろん、利用いただくまでには様々な苦労があった。ただ、相手はサクラという嘘をつかない自然の一つ。何度か使っていただき、サクラが評価・実証してくれた。

 採用すると言われた際、若かった私は泣いた。

 そして、採用いただいた2年後だったと思う。私が属していた、祖父が築き上げたホテルチェーンが会社更生法を申請。その夜は、どのTVもトップニュースだった。生涯、忘れることの無い、テレビキャスターの声や画面。そして翌日の朝刊の一面。

 ただ、お陰様で、サクラや果樹の生育について数年間、書籍でなく現実を見続けたことで今の私の会社がある。
 人生とは不思議なもの。ただ、何事も手を抜かないことが最重要であることを、弘前市滞在中に学んだ。それだけでも今、思えば、ありがたい経験だったと思う。

 季節外れだが、私にとっては、忘れることのできない、想い出の弘前さくらまつりの動画をご覧いただければと思う。



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2011.11.10 Thursday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

誕生日を間もなく迎えて思う大切なこと

私の人生

 来週の土曜日、10月29日は私の誕生日。実質、一週間後だ。

 ただ、何とも表現できない大きな違和感がある。ほぼ、平均年齢の半分を終え、人生の半分を経過したが何も残していないと思っている。

 お陰様で、5人の子供達を授かり、彼ら彼女らは元気に育っている。そして、妻には本当に感謝している。

 ただ、何か物足りない。

 我が人生で最も大きな分岐点は、親会社の倒産。

 当時は生まれたばかりの子供が二人いたが、直後に、2年間給料ゼロ。20代後半の頃だった。

 その後、何とかここまで踏ん張ってきた。だからこそ、今までの努力を形に残したい。誰かに評価いただき、喜ぶのではなく、自分自身が本当に心の奥底で「良くやったな」と思うことができるものを、残したい。

 しかしながら、現時点では「良くやったな」と言えるものが、まったく見えていない。

 いつか見えるのか、結果として見えるのか、あるいは「自分は見えていなくとも他人は見えているのか」。いずれにせよ今、見えていない。

 一度限りの、人生。

 最後には、満足できる結果を残したい。

 明日でも、一ヶ月後でも、十年後でも。

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2011.10.22 Saturday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

本当に賢い人は本当に大切なことを知っている人:まもなく高校受験の長男君へ

長男受験

 ご承知のように、我が家には5人の子供がおります。

 お陰様で全員、真っ直ぐに成長しており、この4月に長男は高校生。今週金曜日が高校の試験、いわゆる最後の難関があります。

 毎晩、22時頃まで、長男は勉強で、遅い時は、23時まで勉強しています。最近はもうやり尽くしたような状況で、それはそれで良いと思っています。

 少し私のことを吐露しましょう。

 私自身は中学受験。とある私立中学に合格し、制服も購入済み。ところが数日後に、第一志望の中学から電話があり、「補欠」で合格だが、入学しないかとの連絡が。母から結論を迫られ、補欠ながらもその中学へ入学。
 その後、高校・大学と階段を上がり、バブル絶頂の頃、唯一、同級生の中で私だけが就職せずに米国のビジネススクールへ。もちろん、中学時代から英語が好きで、そして高校時代には米国へ行くと決めていましたので、それなりに大学時代も勉強しました(ビジネススクールには日本の大学の成績も反映されるため)。

 そして、紆余曲折の人生を歩み、なぜか社長に。

 ただ、基礎的な経営というものはビジネススクールで知識として得ましたが、机上の理論であり、駆け引きばかりの本当の経営に役立っているかといえば、残念ながらそうではないというのが実感です。もちろんビジネススクールの存在や私がそこで学んだ過程を否定するわけではありません。
 本当に毎日20時間程度、勉強し続けた若かりしあの頃を、もう一度、今やれと言われても無理な話です。

 さて、長男君へ。

 高校受験については、お父さんは「勉強しろ」などと言ったことが無いことは、君自身が最も良く知っていること。「寒くないか」くらいでしょう、お父さんが今までに君に言ったことは。

 ただ、受験が終われば、伝えたいことがあります。それは、「賢い人とは、豊富な知識や教養を持つ人ではなく、本当に大切なことを知っており実現している人」ということです。

 長男君、高校受験の結果がどうであれ、そして君のこれからの長い人生において、社会人5年間くらいまでは知識を得ることが日々の基本となるとお父さんは考えています。
 社会人になっても5年程は、いろいろなことを学び、その後、自分なりのスタイルで仕事がやっとできるということです。いわゆる一人前というものかもしれません。
 そして、教養も大切です。今、世界で何が起きているか、その歴史的背景は何かを理解するためには教養は必要です。

 ただ、どれほど豊富な知識を持っていても、どれほど教養にあふれていても、向かう道が間違っていれば、意味がありません。時には、豊富な知識を持っているがために悪い道へ歩む人も世の中には多数います。

 だからこそ、本当に賢い人は、本当に大切なことは何かを知っていて、それに向かって実現すべく邁進している人、実現している人だと、お父さんは考えています。

 まだまだ長男君には難しいことを言っているとお父さんは思っています。ただ、高校生になり、大学生になり、社会人になるまでのこれからの道のりにおいて、知識や教養を得ると同時に、これらを如何に「大切なこと」に向かって歩いていくか。
 「大切なこと」は人それぞれです。ある人にとっては大切でなくとも君にとっては大切なことかもしれません。何が大切かは君が決めればいいのです。

 そのための第一歩が、数日後にある高校受験なのかなと思っています。
 数ヶ月前、暑い中をお母さんと共に10ヶ所以上の高校を訪問し、この高校に決めたのは君の意志です。この高校で歩いていこうと考えたのは君です。

 長男君、君は既に「大切なこと」を一つ、自分で決めているのです。それだけでもお父さんは嬉しく思っています。

 長男君、落ち着いたらゆっくりとお父さんと二人だけで話ができればいいですね。

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2011.03.01 Tuesday | 私の人生 | comments(0) | trackbacks(0)

辛い経験こそチャンス

チャンス

 皆様、あけましておめでとうございます。

 さて、このブログを開始したのは実は2004年の元旦でした。開始から、もう7年が経過しました。

 ここ2年程度は極めて更新頻度が低くなっていますが、私のブログを開設当初から見ていただいている皆様は、私が紆余曲折の人生を経験していることをご存知と思います。

 ご存知の無い方は「私のプロフィール」をご覧下さい。

 この過去の経験から学んだこと、それは、

チャンスというものは、大半が、辛い経験に姿を変えてやってくるもの。だから、ほとんどの人はチャンスと気付かず逃してしまう。

 ということです。

 今年も私は辛い経験をすると思います。皆様もそうかもしれません。

 ただ、辛いと思うのではなく、冷静に俯瞰し、単なる辛いものなのか、それとも何かチャンスが隠れていないか否かを判断されれば、多くの場合、辛い経験の中に隠れている何かを見つけられ、チャンスに変えることができると思います。

 私自身、今年も新たなチャンスを見つけるべく、辛い経験に果敢に挑戦し続けたいと考えています。

 最後になりましたが、皆様にとって、良き一年となるよう心よりお祈り申し上げると共に、今年も、何卒よろしくお願い致します。

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2011.01.01 Saturday | 私の人生 | comments(2) | trackbacks(1)

生まれて初めて40度近い熱を出した私の一日の記録、そして感謝

 この週末、地蔵盆に参加したのみで、特に体調に変化はなかった私。

 そして昨日、月曜日、ふと目覚めた。いつ目覚めたか時間の記憶は無い。関節が痛く、あぁ、少し風邪気味かと思い、自室で朝、目覚めた際に常に一口飲む麦茶で葛根湯を飲んだ。

 しかし、何かが違う。何かが違った。動けないという表現が妥当かもしれない。

 そこで、枕元の携帯で自宅に電話。リビングにいた夏休み最終日の長男が電話に出てくれた。彼に私の自室まで体温計を持って来てもらうように依頼。ただ、携帯で長男に電話した時に呂律が回っていなかった。嫌な予感がした。

 予感は的中した。体温計は39.6度を示していた。
 私は、平熱が35.5度から35.9度と低い方で、37度程度で身体がだるくなる。成人になって、39度以上の熱など生まれて初めての経験だった。

 私は長男に近くの自動販売機でジュースを2本、買ってもらうように依頼。その間、パソコンを起動し、今日は会社を休むとメール送信。9時ちょっと過ぎのことだった。

 長男が買ってくれたジュースを1本、飲み干し、私は倒れ込むように寝た。

 11時半過ぎだったと思う。私の弟(私の会社の副社長)が自宅近くの病院へ連れて行くとの連絡が携帯か自宅電話かにあった。これもどちらの電話なのか記憶に無い。

 時刻を見ると、既に11時55分。私の弟は、まだ来ていない。
そこで、長男に、病院の診察券を見つけてもらい、39度以上の熱があることを私は電話で知らせ、それまで待って欲しい旨を伝えた。

 そして、ふらふらしながらも、一人で徒歩で3分程の病院へ。病院のソファに倒れ込んだが、すぐに先生から呼び出され、座薬と薬をもらった。まず帰宅後、すぐに座薬を。その後すぐに薬を。
 最初の薬を飲んで3時間後にもう一度、薬を飲めとのことだった。原因は不明と言われた。
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2010.08.24 Tuesday | 私の人生 | comments(6) | trackbacks(0)
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ティファニーのテーブルマナー
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私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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