ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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2018.08.01 Wednesday | - | - | -

スパイクよりも心がピカピカな野球少年である三男坊

スパイク
 年末となり、5人の子供達も、それなりに、掃除・整理整頓で、頑張っている。
 
 数日前、中学2年の野球少年である三男坊が熱心にスパイクを磨いて
いた。

 私は、「お父さんの革靴のクリーム、使ったら」と言った。

 
「えぇねん、お父ちゃんの革靴より、僕の手でピカピカにするから」と三男坊は言った。

 私は、その瞬間、「分かったで」としか言えなかった。

 低身長で本当に三男坊
に対して悩んだ私。もちろん、まだ背は低いが、心は大きく想像以上に伸びている証左。

 きっと、彼の心もピカピカなのだろう。

 いや、ピカピカだらこそ、三男坊は、このように発したのだろう。
 
 いずれにせよ、1時間以上、スパイクを磨いていた三男坊。嬉しい限りである。


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2013.12.30 Monday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

ゴメンね、次男坊と三男坊へ。


 数週間前、我が家の中学3年である次男坊と、中学1年の三男坊が、山科疏水というところから、毘沙門堂(私の会社がお借りしている場所)を往復するという、恒例のクロスカントリ―があった。

 私の会社の前を走ることとなる。

 次男坊も三男坊も、双方とも応援しないでと通告されていた。

 勝負事には、異常な程、興奮する私を知っているため、その様子を友達に見てもらいたくないがためのことである。

 しかし、事件は起こった。

 通常通り、出勤するため、自宅から歩いて10秒程のお借りしている駐車場へ。しかし、私の車でも狭い駐車場入り口に大型トラックが、何度も切り返しをしながら駐車場へ。お借りしている大家さんの改修工事である。

 15年近く駐車場をお借りし、大家さんとも仲良くしているため、クレームを言う隙間も無く、私は、大型トラックが入るのを待ち、やっと会社へ。

 結果として、10時少し前に、毘沙門堂の駐車場へ到着。

 そして、歩いて、会社へ行く途中で、次男坊・三男坊と遭遇。

 次男坊は、300人中36位。彼とは目があった。三男坊も見かけたが、彼とは目があわなかった。

 いずれにせよ、その晩、次男坊には陳謝し、寝ていた三男坊には、これまた陳謝の手紙を。次男坊・三男坊に、嫌われている私では無いと思うが、大声で声援する私の存在は、やはり恥ずかしいということが次男坊が小学生の頃、サッカー大会に出て、一人、大声を出している私に、妻が、やんわりと、苦言を呈した。

 勝負事に興奮する私はいつになっても変わらない。そして変わることも無いと思ってはいるが。

 子供達には勝負事には、熱くなってもらいたい。
 ちなみに私はギャンブルは、一切しない。

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2012.12.16 Sunday | 私の家族 | comments(4) | trackbacks(0)

雑感かつ我が家の日常

  極めて、ブログの更新が無いため、雑感と我が家の日常を。

 両陛下、パラリンピック選手らをねぎらう茶会


 以下、全文引用である。
 いずれにせよ、政府は何をやっていたのか。憤りを覚える。

天皇、皇后両陛下は5日、ロンドンパラリンピックで入賞した選手や競技関係者ら107人を皇居・宮殿に招き、茶会を開かれた。

 皇太子さま、秋篠宮ご夫妻も出席し、選手たちにねぎらいの言葉をかけられた。

 茶会には、金メダルを獲得したゴールボール女子の選手や、車いすテニス男子シングルスで連覇を果たした国枝慎吾選手らが出席。冒頭、天皇陛下は「皆さんが大きな成果を収められたことを誠に喜ばしく思います」とあいさつされた。

 視覚障害を持つゴールボール女子主将の小宮正江選手は、天皇陛下にオレンジジュースを手渡してもらったといい、「お心遣いしていただいて光栄でし た。今後も頑張りますと言いました」と感激した様子。国枝選手は「両陛下は私がひじの手術をしたこともご存じで、すごく感動しました」と興奮気味に話し た。

(2012年10月5日18時51分  読売新聞)

 さて、話を変えて、我が家の状況である。

 夕食時は、常に小学2年の末娘がナゾナゾを出す。
 そんな折、沖縄の修学旅行は「小学校か、中学校か」と、独り言。

「中学3年」と妻。それを聞いた末娘が、
「京都の隣が大阪で、沖縄はもう少し行った所」
「アメリカは、大阪と沖縄の間にあるから、お父ちゃんはアメリカに行かはった」。

 ここで、私の真正面にいる、中学1年の三男坊の含み笑いが始まった。私が、「北海道はどこにあるの」と聞くと「北極の近く」。

 最後に「アメリカで一番、偉い人は」と聞くと、末娘は「デヴィ夫人やで」

 三男坊が飲んでいた牛乳が、私の顔に直撃しかけた。

 あまり意味の無いエントリーだが、広告を消したいためお許しを。

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2012.10.06 Saturday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

少年が大志を抱くのは、本人であり親が押し付けるものでは無い

三男の軌跡

 ご承知のように、お陰様で我が家には、小学生から高校生まで、5人の子供がいる。

 お子様をお持ちの方は同感いただけると思うのが、自転車。小学生になる前に、自転車を乗ることができるようになるには、それなりの至難がある。
 自転車に乗ることができるようにすることが親も子供も最初の至難かもしれない。正直に言って「いらつく」場面もあったが、妻の尽力で、何とかなった。

 以下、このエントリの背景を述べる。

 5人の子供達は、年齢に応じて、将来、何になりたいかが、変化する。

 今、中学3年の次男は、小学生時代、消防士になりたいと言った。
 私は消防署に行って、その旨を伝えたのだが、色々と説明いただき、最後に消防署の方は願書を出されたのだが、「いや、実は私の息子はまだ小学生でして」と言った後に、極めてレアなポスター等を頂戴した。

 今、小学2年の末娘は幼き頃、パン屋さんになりたいと言った。
 もちろん、家族全員で近くのパン屋さんに通い続けたが、その当時、他に何もできることは無かった。今、末娘が将来、何になりたいかは不明だ。

 そして、小学4年の四男は、過去から今も、明確に何になりたいと発したことは無い。それはそれで良いと思っている。

 今、高校2年の長男は何になりたいかではなく、どの大学を目指すかが眼前の目標。
 「お兄ちゃん、京大は?」と次男。
 「お兄ちゃん、ハーバード大学は?」と突っ込む三男。
 長男は、無言である。怒ることもしない。
 恐らく、妻も私も長男も、現実に近付き、冗談では済まないことを長男は肌で感じているのだろう。

 さて、ここからが本題である。

 5人の子供達の中で、確固たる将来像を小学生時代に保持していたのは、現在、中学1年になった三男だけである。

 なぜだかはわからない。

 ただ、小学生時代に週末にキャッチボールを私と公園で真剣に続け、小学生高学年になった際には、お世話になっている近所の方と一緒に本格的な野球を土日に続けた。
 このような中で、本来であれば、周辺の小学生が所属する野球部に入るものだが、三男はなぜか入らなかった。理由は今も昔も聞いていない。

 お陰様で、過日、家庭訪問があった。妻曰く、小学生時代から野球をしている子供達と負けず劣らずの状態と先生は言われたそうだ。
 三男は、本当になぜか不明だが、ある時から野球が好きになった。高校野球もプロ野球もすべて見ている。

 三男は、明確に言っている。

 「僕は、必ず巨人に入団する」と。

 現実的に、野球だけでなく、いわゆる成功しているアスリート・名選手は、三男よりももっと早く、幼き子供時代に両親が教えたり、教室に通わせ、結果として成功している。

 我が家は、そうではない。

 単に子供達が思うように育て、見守っている。そこには押し付けは無い。

 三男だけでなく、既に他の子供達も大志を抱いているのかもしれない。ただ、我が家は、親の意向を押し付けることも無く、見守ることとする。応援してと言われれば、できる限りのことはする。
 
 本当に見守っていれば、悲鳴をあげていることもわかる。
 その際は、できる限りのことをする、親として。

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2012.05.21 Monday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

ある一晩の出来事、そして子供達の成長と妻に感謝

子供達、妻への感謝


 数週間前、三男が咳をしているのを見て、妻に聞いた。
妻曰く、三男は最寄りの病院で「副鼻腔炎」と診断され、薬を飲んでいるとのことだった。

小学校を休んだ三男

 その話を聞いた一週間後の朝、三男が、朝に突然、吐いたので、今日は小学校を休ませると妻から伝言があった。その日は、中学2年の次男がテストで昼には帰ると聞いており、午前の数時間のみ、自宅に三男が一人だけになる状態だったので何とかなると思っていた。

 会社から、私は昼間に一度、自宅に電話した。
 あまり元気には聞こえなかったが、三男は、「大丈夫」と答えた。熱も無いとのこと。何かあれば、「お父さんの携帯へ電話してね」とも伝えた。

 その後、次男が帰宅したと思われる頃に、再度、電話した。
 次男に「近くの自動販売機で三男君が欲しいと思うジュースを買ってあげて」と依頼した。次男は、即座に「分かった」と応じた。次男も三男の様子がおかしいことを理解していた。

一度、自宅へ

 過去の経験から何かおかしいと気になった私は、仕事が一段落した、その日の夕方、16時半頃に、自宅へ様子を見に行った。

 三男は寝ながら、テレビを見ていた。

 「大丈夫か」と聞くと、「冷たいお茶が飲みたい」と彼は言った。

 お茶を飲み干した姿を見た私は、「お父さん、今日はできる限り、早く帰るからね」と言い、会社へ戻ろうとした。その瞬間、彼は、洗面器に飲み干したお茶をすべて吐いた。

 背中をさすりながら、再度、「大丈夫か」と聞いた私。「大丈夫」と応じた三男。

 業務時間中であり、自室にいた次男に、三男に異変が起きたらすぐに電話してと伝え、10分程度の自宅滞在で帰社した。

妻への報告、そしてメール

 帰社し、17時過ぎに、上述した状況を妻にメールした。その後、17時半頃、妻から私の携帯に電話があった。

 「できる限り早く帰宅して」と。

 妻も三男に電話をしたようだ。ただ、私がメールで伝えた後から、三男は急速に悪化していた。妻は三男との電話の応対で直感したようだ。

 妻にメールで「何とか早く帰る」と返信した。

 ただ、いくら私が社長でも、最低でも18時までは会社にいなければならない。焦燥感を抱きながら、やるべきことをやり終え、18時半過ぎに帰宅した。

帰宅から緊急外来へ

 私が帰宅した30分前に妻は帰宅していた。

 そこには、16時半頃に見た三男の姿でなく、動くこともできず、呼吸困難と胆汁を吐き続け、倒れこんでいる小学6年生の三男の姿があった。

 私は即座に駐車場から自宅前に車を停めた。

 そして、長男と次男に「今晩の夕食は、レトルトのカレーを温めて食べて。それから食器洗いも自分達でするようにして」と言った。長男、次男は三男の様子を見ながら無言で頷いた。

 妻が三男を背中に背負い、私の車へ。ただ、車に乗る直前にも三男は吐いた。

 妻も私も、背中をさすりながらも「早くお医者さんに行こう、その方が楽になるから」と三男に声をかけ、やっとのことで病院へ向かった。

緊急外来到着

 大手病院の緊急外来に19時過ぎに到着。
 容態を見て、お陰様で優先的に診察を受けられることができた。

 レントゲン・点滴、その他、色々と。

点滴の始まり

 点滴の間、仕事で疲れている妻と久しぶりに十分にいろいろなことを会話した。ある意味、有意義な時間でもあった。

 そして、私は自宅へ電話した。21時頃だったと思う。

 食事は終わり、食器も洗い、全員、風呂に入ったと次男が応じた。

 私は一度、自宅に戻ることとした。洗濯機に入っているものを干すために。途中で、コンビニで軽食を購入した。この日、私は何も食べていなかったからだ。

一時帰宅

 21時半頃に帰宅した時、本来であれば末娘は寝ている時間帯だが、全員、起きていた。

 風呂場も綺麗に掃除されており、レトルトのカレーで油まみれの食器も綺麗に子供達は洗い終えていた。

 「今晩中には三男君とお母さんは帰るから、もう寝ていいよ」と子供達に伝えた。この一言で安心したのか、子供達は眠る用意を始めた。

 私は、前日の洗濯物を戻し、そしてその日の洗濯機のスイッチを入れた瞬間に携帯が鳴った。

 「あと30分後に、点滴が終わりそうなので、迎えに来て」という妻からの電話。

 私は洗濯云々は忘れ、病院へ行く用意をした。そして、出かける直前に、再度、子供達に「三男君とお母ちゃんは今日中に帰ることが決まったから、もう寝て下さい」と伝えた。

緊急外来、再到着

 深夜のため、渋滞も無く10分程度で病院に到着した。22時過ぎだったと思う。

 ただ、30分後に点滴終了のはずが、私が到着した時点で25%程のみ。妻は極めて疲れている様子だった。19時過ぎから22時まで、三男を見つめていたのだから。

 23時半頃、やっと点滴が終了した。寝ていた三男を起こし、帰路へ。

 食後に一錠という薬をもらったため、私がコンビニで買った軽食を三男は食べ終え、水分を摂った。30分後、吐くことも無く、大丈夫と判断し、薬を服用。本来、私の夕食であったコンビニ軽食だったが、逆に軽食を事前に購入して良かった。

 その間、妻は明日の準備をしていた。

 「本当に、お疲れさまでした」と私は妻に一言。

 その後、薬を服用後30分程度、見守っていたが、三男は変化無く、眠りに就いた。

 そして、妻も眠った。

 私は、1時間程度、再度の異変に備え、起きていたが、何も無かったため、私も眠った。極めて空腹ではあったが。

最後に

 今回のような、病気で緊急外来、入院などは、他の子供達も何度も経験済みだ。ただ、過去は、私と妻が自宅不在の場合、私の母親が面倒を見てくれていた。

 そして、子供が入院した場合、小さなベッドで妻は何度も添い寝をしてくれた。

 それが、長男が高校1年、次男が中学2年となると、申し訳ない気持ちはあるが彼らに託すことができる。そして彼らはそれに応えてくれる。

 いつになっても、私の子供達は、生涯、私の子供。

 ただ、親も子供達も、年齢を重ねるに連れ、託せること、そして彼ら彼女らが何も言わなくとも異変に気付き、自ら臨機応変に対応してくれる状況にある。

 子供達に感謝。そして、妻に最も感謝をしたい。

 そして、お陰様で、良き家族に恵まれていることにも感謝を。

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2011.06.04 Saturday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

言葉一つで人は変わり、変えてしまう、綸言汗の如し:中学生になる次男坊君へ

中学入学

 今日、晴れて中学生になる次男坊君。入学おめでとう。中学生になれば、小学生時代とは大きく違う形で、様々なことを学び、そして様々な体験をすると思います。そこでお父さんの経験もふまえ、お父さんなりに思うことを、これから初めての世界に挑む次男坊君へのお祝いのメッセージとして残すこととします。

小学校の卒業式後のお父さんの言葉

 数週間前、お父さんとお母さんは、小学校の卒業式に参加しました。お父さんは卒業式の間、ずっと目を閉じて、6年間の君の人生を想い出していました。長いようで今、思えばあっという間の6年間でしたね。
 そして、卒業式後、教室に戻ると、担任の先生にとって9回目の最後の卒業式であることも知りました。そして先生が「全員が20歳になったら、同窓会を開いて、みんなで楽しく、一杯やろう」と言っておられましたね。

 お父さんが、翌日に君に話した言葉を覚えていますか?

 「20歳になったら、絶対に先生と同窓会を開けよ」と話したことを。そして君は「わかった」と言ってくれました。

お父さんの失敗から学んだ言葉の大切さ

 少し、お父さんの経験を紹介しましょう。

 君も知っているようにお父さんは小さな会社の社長です。会社には社員という会社を支えてくれる仲間がいます。お父さんは、この社員という仲間から相談や報告を日々、受ける立場にあります。

 社員の人から、「今日は、このような感じでうまく仕事を終えました」と毎日、報告があります。お父さんが社長という立場になったばかりの頃、お父さん自身が忙しかった時は、社員の人に対して、「わかりました」とか「了解」といった単純な言葉だけを残していた頃がありました。こんなお父さんの一言を聞いた社員の人は、お陰様でまだお父さんの会社で働いていもらっていますが、お父さんの言葉で、逆に「やる気」を瞬時に失ったなと今は理解しています。

 だから、お父さんは、今、できる限り「いろいろと大変だったと思う。今日も一日、ありがとう。そして明日もよろしくお願いします」といった言葉を社員の人に発するように努力しています。こうすることで、社員の人は「明日もがんばろう」と言葉にせずとも、心の中で感じ取り、次の日も頑張って仕事をしてくれるとお父さんは考えています。

 たまに、お父さんが電話中に、社員の人が帰宅するために、お父さんの部屋に来て、「お先に失礼します」と言う時があります。こんな時も、余程のことが無い限り、電話している相手に「ちょっとだけお待ちください」と伝えて、帰宅する社員の人に「明日も、よろしく。気をつけて帰ってね」と言います。

 それほど、言葉というものは大切なのです。

一度、発した言葉は、二度と元に戻せない

 さて、中学生になる次男坊君。

 綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)という言葉があります。この言葉の背景は難しいので説明しませんが、「一度、出た汗というものは身体に戻ることは無い。このことと同じで、一度、発した言葉は、もう二度と取り消すことは、できない」といった意味のように考えて下さい。本来の意味は少し違いますが。

 これから、同級生や先輩、そしてお父さんやお母さん、君を含めた5人の兄弟。お父さんも想像できない程、いろいろな場面で、様々なことが生じると思います。時には悲しいこと、時には怒鳴りたくなるようなことがあるでしょう。

 そんな時、最初は、難しいかもしれませんが、言葉を発する前に、まず心の中で、一つ、二つ、三つといった感じで5秒間程、じっくりと考え、相手にとって一番、良い言葉は何か、あるいは相手も君も最も良き結果となる言葉を探し、その後、その言葉を君の口から実際に発して下さい。

 何も考えずに、すぐに感情が走るままに発した言葉は、時には良き結果を生むこともありますが、大半は、悪い結果を生み出します。そして一度、発した言葉は、流れ出てしまった汗と同じで元に戻ることはありません。

 君も知っているようにお父さんは小学生から高校生までサッカーの選手でした。高校時代、ふとしたことから膝に大きな怪我をしました。まったく歩けない状態になったお父さんは、病院に行き診察を受けました。お父さんの顔を見ずに、レントゲンだけを見ながら、お医者さんは一言だけ話されました。「これ以上は、無理だよ、君」と。

 お医者さんにとっては、何百人の患者と同じく接している通常通りの何気ない一言だったのかもしれません。ただお父さんにとっては、小学生から続けてきたサッカーを即刻、辞めろと言われたことに等しい言葉でした。お父さんは数日間、悩みましたが、サッカー部を辞めました。
 もし、お医者さんが「このような治療をすれば、半年後には復帰できるかもしれないよ」といったことをお父さんの顔を見つめて話していただければ、辞めなかったかもしれません。
 ただ、当時のお父さんには、「これ以上は無理」という一言のみが強烈に心に残り、他に相談する人も無く、自分で決めました。若かりし頃のお父さんにとっての大きな転機であり、今でも、恐らく一生、忘れることはないでしょう。
 
たった一言で、相手の人生は変わる、そして変えてしまう

 お医者さんのお父さんに対する瞬時の一言でお父さんのサッカー人生は終わりました。医学的には正しかったのかもしれませんが、いずれにせよ、お父さんのサッカー人生は、お医者さんの一言で終焉しました。 

 世の中には、いろいろな言葉があふれています。何気なしに発せられた言葉で傷付き、その言葉を一生、忘れられない人がいます。また、何気なしに発せられた言葉で、右往左往してしまう人や人生そのものが180度、変化する人もいます。それほど、一度、発した言葉というものは、自らも、そして相手の人生をも大きく左右することがあるのです。

 中学生では、まだ関係ないかもしれませんが、社会人になった時、あるいはそれなりの立場・地位にある人は、自らが発する言葉をかなり意識しなければなりません。
 時には、「言葉自体を発しない」ことも必要になります。このことを理解できている大人が数少ないのも事実です。

 態度や姿勢で、誰かの人生を狂わせてしまうことも多々、あります。しかし、「たった一言」だけで誰かの人生を変えてしまうこともあることを覚えておいて下さい。

 再度、言いましょう、次男坊君。

 お父さんにとっても難しいことですが、一つ、二つ、三つと心の中で数えて、君が思う最適な言葉を発するという大切さを。発した言葉が自ら、そして相手にとって正しいかどうかは別の問題です。ただ、このことを中学生になって、少しずつ、実践していけば、君の中学生生活、そして友人たちと歩む、君のこれからの人生が有意義になるとお父さんは確信しています。

 20歳になったら必ず、同窓会を開くように。これも次男坊君自身が既に発した言葉であり、元に戻せないお父さんとの約束です。

 2010年4月6日 父、記す。

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2010.04.06 Tuesday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

僕は「カ」じゃない!

政治家の失言、暴言

 ご承知のように我が家には5人の子供たちがおり、週末は、野球好きの三男坊を中心に、近くの空き地で野球をすることが日課のような感じになっている。

 この週末も、次男坊、三男坊、四男坊、そして末娘と私で「野球のようなもの」をしていた。長男は中学のクラブ活動で、手一杯の感じで、あまり参加できていない。もう5年もすれば家族全員での旅行も難しくなるかもしれない。これも時の流れのようなものだと思う。家族の成長とでも言えるかもしれない。

 さて、「野球場である空き地」の横には道路を挟んで田んぼがある。たまに、ホームランやファールボールが田んぼに入ることがあり、今は稲刈りを終え、容易にボールを拾うことができるが、水田状態の時は一苦労だ。水田に入ることは無理なため、農家の方に拾っていただくか、農家の方がおられない時は、手紙を田んぼに残し、後日、ボールを届けてもらうような流れになっている。
 いずれにせよ、田んぼへボールが入った場合は、入れた人間が取りに行くことが原則だが、末娘や四男坊は、まず田んぼに入ること自体が無理なため、多くの場合、次男坊の仕事となる。

 さて、この週末、キャッチャーは私、ピッチャーが三男坊、バッターが次男坊、そして四男坊と末娘は守備という状況で、ちょっとした「騒動」が勃発した。
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2008.09.29 Monday | 私の家族 | comments(2) | trackbacks(1)

恒例!:皆様、雨よ降るなとお祈り下さい

橋立ベイホテル
Copyright(c) 2008 HASHIDATE BAY HOTEL.All reserved.

 久しぶりのエントリとなりました。
 これも新規事業推進も含め、盆休みも僅かのみ休むだけで、日々、仕事に邁進し、年に一度の家族旅行実現のためです。ご容赦下さい。

 さて、2008年の5人の子供たちと私と妻の合計7名の大家族旅行、行き先は「天橋立」です。9月5日金曜から1泊2日です。本当は2泊したいところですが、やはりまだ子供たちの年齢的に日曜を自宅で休む日として確保しておかねばなりません。
 天橋立には、子供がまだ3人だけだった数年前の7月に行きました。その際は2日間、海で泳ぎ続けました。今回は二度目の訪問ですが、当時は、まだまだ子供たちが小さな時期だったため記憶に無いはずです。
 私も子供たちが溺れないように注意していましたが、少し目を離すだけで、「ぷっかり」と海に子供たちはうつぶせになって浮かんでいた記憶があります。それほど子供たちは幼かったということです。

 9月ということで、時期的に海で遊ぶことは難しいですが、今回、宿泊する「橋立ベイホテル」にはクアハウスが隣接しており、温泉やプールで遊ぶことができるため、子供たちとしては満足です(というよりも、プールがあって7人が宿泊できて、近場というコンセプトは、かなり厳しいものがあります)。

橋立ベイホテル和室
(7人が宿泊するであろう和室)
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 さて、いつもの如く、皆様にお願いがあります。何度も私のサイトに来訪いただいている方々にとっては、もうお分かりのことかもしれませんが。
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2008.09.03 Wednesday | 私の家族 | comments(13) | trackbacks(1)

変則的ですが、伝説達成!

寿司
(写真は途中経過です。)

 本日2008年4月7日は長男が中学校入学式、四男が小学校入学式。残念ながら京都は雨ですが、彼らの心は晴れ渡っていることでしょう。

 さて、二人の入学祝いということで、週末土曜日に私の家族全員と私の両親(子供たちにとっては、おじいちゃん、おばあちゃん)、そして私の弟という合計10名でいつもの回転寿司屋へ。
 テーブルは二つ。一方は、おじいちゃん、おばあちゃん、私の弟、次男、三男が着席。どうみてもこちらのテーブルの回転寿司の消費量は多いと事前に想定。そしてもう一方のテーブルには私、妻、長男、四男、長女(といっても一番下)。

 まずはジュースで乾杯。その後、何度もこの店には行っているため、お気に入りのネタをまず確保する子供たち。あちら側のテーブルはよく見ていませんでしたが、少々、驚いたのは四男(今日、小学一年)がよく食べるようになったということ。長男は相変わらずのペースで順調に食べ進み、合間にアイスクリームなどのデザートを食べ、気分を変えて、再度、寿司を食するパターン。
 いずれのテーブルも粛々と寿司が食され、口直しにデザートが数種類、消費されていきました。ただ残念だったのが、いつもの口直しの定番の「メロン」が今回は季節が違うということなのか無かったという点。我々家族だけでこの店に行く時は、細い輪切りにされているメロンが大量に消費され、結果的に「メロン一個」を食べてしまっていたのですが、今回、メロンが無く、プリン(長女は寿司よりこちらが好き)、マンゴーアイスなど数種類のデザートが約15皿ほど消費されました。

 約1時間半の入学祝いのパーティも無事、楽しく終え、最終的に食べ終えた皿を数える時が。果たして何皿食べたのか・・・

 結果として、あちらの良く食べると想定していたテーブル(大人3名)は予想外に少なく57皿。そして私の方のテーブルが55皿で合計112皿。それを聞いた次男坊は「伝説、達成!」と一人で叫んでおりました。
 
 私の方のテーブルが予想以上に多かったのは、私と長男がやはり大半を食したのでしょう。恐らく二人で40皿程度は食べたでしょう。(ちなみに私はスリムな体型を十数年、維持しております。)
 いずれにせよ、おじいちゃん、おばあちゃん、私の弟の参加ということで、我が家単独でなく、変則的ではありますが、過去の記録を超えたことは確かです。

 これから、次男も2、3年後には中学生。その後、2年ごとに三男、四男といった形で中学生になります。彼らが中学生になるたびに、回転寿司屋で入学祝いを続ければ、四男の中学入学祝いの頃には200皿を突破することは間違い無しです。

 長女は、まだ小学生にもなっていませんが、これから息子達、そして娘が順番に中学生、高校生となる将来を考えると、どれだけの食事・食費が必要となるか想像するだけで大変です。私も高校生の頃は一日5回は食べていました。
 ちなみに、今のところ、長男はステーキ屋か寿司屋、次男はサッカー選手、三男は野球選手、四男はパン屋さんと、それぞれ将来、なりたい職業が決まっております。次男と三男がサッカーと野球のプロで活躍し、試合後、メンバーを連れて長男のステーキ屋か寿司屋にて毎晩、過ごすことで経営は安定し、サッカーチームと野球チームと四男が経営するパン屋がパンの仕入れの年間契約を行うことで、これまた経営は安定。私と妻は子供たちの活躍で十数年後には悠々自適の日々を暮らすことができます。

 ということで、十数年後の我が家の将来は極めて明るい状況となっておりますが、そこまで到達するまでの我が家の家計をいかに運営していくか。何とかこちらも明るい状況としていかねばなりません。

 以上、某国営放送様の取材で数日間、ネットが繋がらない場所で仕事をしており、久しぶりのエントリで、かなり軽い内容となっておりますがご容赦の程を。

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2008.04.07 Monday | 私の家族 | comments(0) | trackbacks(0)

正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ

想像力

 もうすぐ小学生になる四男君、入学おめでとう。これから小学生になる君にお父さんから大切なメッセージを残すこととしましょう。
 保育園と違って、小学校や中学校には「黒板」というものがあります。教室の正面にあって、そこで先生は「チョーク」を使って、字を書いたり図を描いたりして、色々なことを教えてくれます。時には、君も黒板の前でチョークを使って何かを書くこともあるでしょう。

 さて、難しいことかもしれませんが、少しだけ想像してください。

答えは一つであるはずが無いということ

 先生が「黒板」にチョークで小さな印を書いたとしましょう。「小さな点」のようなものです。そして、先生が「この印は何でしょう?」と聞いたとします。四男君はどう答えますか?

 高校生や中学生のお兄さん達は、少しの時間だけ考えると思いますが、すぐに答えを出すでしょう、「チョークで書いた点」だと。そして誰もその答えに反論する人はいないでしょう。
 しかし、今のままの四男君は違うとお父さんは思います。「小さな雲」と思うかもしれません。「小さな白い石」、「ティッシュペーパーの切れ端」に見えるかもしれません。お父さんは、その方がはるかに良いと考えています。そして、そのように様々に思い付く力こそが大切なことなのです。単なるチョークの点にも答えは多様にあるということなのです。

答えは一つと考えてしまった瞬間に、大切なものを失う

 小学生になると「勉強」というものが始まります。多くの場合、「答えは一つ」と教えられます。足し算や掛け算などの算数、理科も社会も多くは「答えは一つ」です。そして中学生、高校生になるともっと難しいことを勉強することになりますが、いずれにせよ、「答えは一つ」であり、その一つしかない答えをどうやって見つけ出すかについて「学ぶ」こととなります。
 「答えはたった一つと思うこと」あるいは「たった一つの答えを探し出す」ことばかりを続けると大切なものを失う可能性があるとお父さんは考えています。先生がチョークで小さな印を書けば、「チョークで先生が点を書いた」とすぐに考えてしまうことも同じことなのです。「チョークで点を書いた」ことが「本当の答え」とは限らないのです。小さな雲に見えれば、それが答えであっても良く、時には多くの答えの中の一つなのかもしれないのです。

 一つの答えが見つかった時点で、安心してしまい、そこで考えることをやめてしまうこと。これがお父さんが思う本当に大切なことを失うということなのです。今の君には、「答えは一つ」という考え方も無ければ、「答えが見つかった」ことで考えることをやめることもないはずです。逆に、「このチョークの白い印は何だろうか?」といろいろと考え、想像し、たくさんの答えを思い付くでしょう。
 君がお父さんのように大人になると、毎日、いろいろなことに遭遇します。多くの場合「答えは一つ」ではありません。そして「答えや正解」すらない場合がたくさんあります。しかし、お父さんは小学生から大学、大学院でずっと「唯一無二の正解」を見つけることしか頭にありませんでした。そしていろいろと自分なりに考え、やっと自分で「正解」を見つけたり、結局、わからずに先生から「答え」を教えてもらっていました。いずれにせよ「正解は一つ」でしかありませんでした。

本当の正解などあり得ない、しかし想像力があれば、正解に近づき新たな視野が見えてくる

 でも、大人になれば、「正解」を自分で見つけなければなりません。「正解」を教えてくれる先生もいません。もっと重要なことは「答えが一つではない」場合がたくさんあるということです。これが「正解」だと自分で考え、結局、失敗し、そして「もう一つの正解」へと一歩近づく。でも本当に、「これが最後の正しい答え」かどうかなどわからない場合がほとんどです。正しい答えなど無いといっても良いかもしれません。
 だから、「答えは一つだ」と思うこと、そして「正解だと思った時点で考えることをやめること」は、君が今、持っている素晴らしい想像力を失うことになるとお父さんは考えます。

 今の四男君には少し、いや、かなり難しいことをお父さんは書きました。

 ただ、何度も言いますが、「答えは一つではないことがある」、「本当にこれが正しい答えなのか常に疑問を持つこと」、「答えが見つかったと思った瞬間に考えることをやめてしまうこと」は、大きな可能性やチャンスを失うことに繋がる場合があります。

 考えてみよう、想像してみよう、四男君。

 君のこれからの小学生である6年間、常に「答えは一つとは限らない」と思い続けることを。そう思い続けることで、君はいろいろなことを自ら調べ、わからないことは先生に聞くとお父さんは考えます。それが結果として大きな、そして広い世界を学ぶこととなり、君の視野は確実に拡がり続けるはずです。「正解はただ一つ」と思ってしまえば、自分としての正解はこれだと考えた瞬間に、それ以上、何も調べることも考えることもなく、新たな世界を見ることもできません。

 今、日本のいろいろなところで、ある人は「これが正解だ!」と言ってそれ以上、何も視野を拡げない人、人の意見を聞かない人がいます。逆に「こんな答えも正解の一つだろう」と強固に主張する人もいます。これらの人々に、賛成する人もあれば、最初から違和感を抱く人もいます。少し難しい話ですが「想像力を失った固定観念しかもたない大人」が存在するということなのです。このように大人の世界では、人それぞれ立場や考え、理念に基づき「正解」が違う場合が多々あるということを覚えておいて下さい。そして、その正解が他の人によっては「大きな間違い」と思っている方が存在するということも。

 正解はたった一つで無いと確信し、未知なる正解を見つけ続ける努力をすることは、本当に君にとって必要であり、逆に大人達が忘れてしまっていることとも言えるのです。

 お父さんができなかったことも、今の君ならできるはず。是非とも、「答えは一つではないと思い続ける」ことができる今の君のままで小学生時代だけでなく、それ以降も過ごして欲しいとお父さんは心より祈っています。

 2008年3月28日 四男へ、父記す。

【参考書籍】

頭にガツンと一撃
ロジャー・フォン・イーク,城山 三郎

世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく
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渡辺 健介

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2008.03.28 Friday | 私の家族 | comments(4) | trackbacks(3)
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