ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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何気ない言葉が痛みや辛さを抑えてくれる。

 

 ※ 20年近くお世話になった近所の年配の方、現在、危篤状態です。(2018年6月13日)

 

 「というふうに、あんた、愚痴こぼしているんやな」と年配の方は言った。

 

 「すいません、わかりましたか」と私。

 

  「無理せんように、わかっているやろけど」とさらに言われた。

 よくある「お大事に」ではなく「無理せんように(無理するなよ)」だ。

 何気ない言葉だが、受け手には大きな違いがある。

 ご承知のように私は緑内障。毎月一回は薬局で目薬をもらった後、「お大事に」と言われる。それはそれでいい。

 さて、冒頭の言葉。近所に住む80歳のご老人から。ゼネコントップの運転手一筋だった方。お互い名前は知らない。ただ、会えば世間話で盛り上がる。いや、相手をしていただいている。

 先週、視野検査だった。残念ながら左眼の周囲だけでなく黒目、いわゆる眼の中心部まで欠損していることがわかった。検査しなくとも体感で左眼が極度に見えなくなっていることはわかっている。しかし改めて検査結果を聞き、その話をちょうどご老人にしたところ冒頭の言葉となった。

 そう、私より30年も先輩の方だからこそ愚痴をこぼしたのだ。そして人生の先輩は、愚痴だなと理解され、私に対し「無理するな」と言われた。まさに私にとっては的確な言葉。

 「お大事に」もうれしい。ただ、人それぞれ受ける気持ちは違う。もう失った視神経は蘇らない。ただ「まだ気概だけは失うなよ、自分。まだまだ自分を必要な人はいるのだから」と、老人の一言で再確認した。

 

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2016.12.11 Sunday | 一人の人間として | comments(0) | trackbacks(0)

白状します。

評価:
ジェームズ アレン
サンマーク出版
¥ 1,296
(2003-04)

 私は一応、米国でMBAを取得している。卒業後、祖父が創立したホテルチェーン法華倶楽部に入社。バイトを装い何ヵ所かのホテルに出向し修業。出向先のホテルの同僚達はすべて高卒だった。下働きと肉体労働の日々で、表面的には馴染んでいたが、何名かは私が発する臭いを感じ取り、露骨に嫌われていた。
 当時、心の奥底に「俺はMBAだ、お前らとは違うんだぞ」という気持ちが常にあった。もちろん言葉には発していないが、やはり身体が発していたのかと今となっては思う。

 そして、修業後、青森県弘前市の法華倶楽部弘前店へ出向命令。初めて青森空港からバスに乗り、弘前市内へ向かう際、窓から見える雪を見て、「なぜ、私がこんな田舎で働かねばならないのか」と正直に思った。
 創業家の孫が弘前店に配属ということで、逆に社員各位は表面上、通常通り接してくれたが、私としては腫れ物に触るような感を常に覚えた。そして、弘前店滞在から数年後、法華倶楽部は会社更生法で倒産した。

 当時、常務取締役であった父に、「なんで、こんな人生にならな、あかんの(なぜ、私はこんな人生なのか)!」と声を上げた。父は「すまない」とだけ言った。
 今思えば、私は当時、本当に子供だった。今も子供に近いが。ただ、この年齢になって、1902年に書されナイチンゲールなども参考にした本書が示唆することが身に染みてわかるようになった。

 以下、本書から。

「人は誰も、内側で考えているとおりの人間である」
「心の中の想いが私たちを創っている」
「私たちは、自分の思いによって創り上げられている」
「人間は想いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」


 出向先のホテル、弘前店での待遇、そして倒産も環境の変化に違いない。でも、その環境をどう捉えるかは他者ではなく自らが創り上げたもの。そして、第三者から受け取った印象、第三者が感じた印象も、実はすべて自分自身が創り上げたもの。そう考えると若き頃の気持ちも結局、自分自身の気持ちにしか過ぎない。
 数年前までは、倒産しなければ人生は変わっていたなと考えていたが、今は、倒産して良かったなと考えている。

 少しだけだが、自分の想いという「原因」が、すべての「結果」を形作るということが分かったから。

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2015.03.28 Saturday | 一人の人間として | comments(0) | trackbacks(0)

ある女の子の軌跡と私

共に歩もう

私の会社の通勤経路に小学校がある。

ある女の子が毎日、登下校していた。
かなりの坂道を彼女は毎日、通っていた。

車椅子で、自ら手で動かしながら、6年間。

毎日とは言えないが、私は彼女の登下校を見ていた。

小学1年から6年生になるまで、できる限り、見守っていた。
私の会社の通勤経路に100メートル程、細い道があり、
工事の関係で猛スピードで走る車がある。

近所の方は、もちろん、彼女のことを知っており、
彼女が細い道を通り過ぎるまで徐行運転する。
宅配便の方々も同じだ。

ただ、仕方が無いことだが上述したように、
工事などで初めて通る車はスピードを緩めない。
工事の車はちょうど登校時間に現場に向けて走る。
私や近所の方々は、工事の車の方にスピードを緩めるように、
何度も依頼していた。

時には、彼女は、同級生と共に下校していたが、
同級生が車椅子の彼女を助けることは無く、
談笑しながら、下校していた。

なぜ、彼女が車椅子の生活となったかは知らない。
会話もしたことも無い。
そして、同級生が車椅子を押してあげないことも知らない。

そんな彼女が今年の春に卒業した。

私の自宅前は我が子供達が通った、通っている小学校の登下校通路。

当番制で、登校時に立ち番をする。
過日、私は8時から30分間、立ち番をしていた。

その時、なぜか彼女が、彼女のお母様と共に私の眼前を通り過ぎた。
一瞬のことだが、なぜ彼女が通り過ぎたのか分からなかった。

その後、ゆっくりと考えてみれば、私の子供達が通っている中学校はエレベーターがあり、車椅子の彼女にとっては、近くの中学では無く、私の子供達が通っている中学校が、唯一の選択肢だと、気付いた。

恐らく、最寄駅までお母様と共に地下鉄に乗り、そして、お母様と共に中学に登校していたのだろう。

数日前、偶然にも一人で車椅子で登校している彼女に出会った。
「おはようございます」と私は何気なく、彼女に言った。

「何年間も、見守っていただいてありがとうございます」と彼女は下を向きながら一言。

私はその一言で、涙が流れ続けた。
「気を付けてね」と発するだけで精一杯だった。

小学校時代に、急な坂道を一人で車椅子で登っていた彼女。
数週間は、お母様と共に、中学に通っていた。

しかし、お母様と共に通うことも、中学入学して、2ヶ月程度で、
一人で登校すると彼女は自分で決めたのだろう。

きっと、彼女は自ら道を拓き、自ら、これからの人生を歩んでいくのだろう。

既に、小学校時代から、彼女は大空に羽ばたいていたと私は思う。

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2012.06.09 Saturday | 一人の人間として | comments(2) | trackbacks(0)

なぜ、真夏の今、人々は無視するのか、そして責任回避と人々の劣化。

悲しみ

 数日前の夕方に大手ドラッグストアへ。

 車を停めて、ドラッグストアの入口近くに、倒れこんでいるご老人が。「大丈夫ですか」と私は聞いたが返答は無かった。ただ、焼酎のパックのようなものがあった。

 入口にある簡易椅子に座ろうとされていたのだが、恐らく、一度は座ることはできたのかもしれないが、ずり落ちてしまわれたと思う。換言すれば、ずり落ちた瞬間に頭を強打された可能性があったと私は直感した。

 私は、自分の買い物など関係なく、急遽、ドラッグストアの店員にご老人が倒れこんでいると女性店員に伝えた。女性店員は、様子を見て、「店長を呼びます」と一言。
 この真夏の中、早急な対応が必要と思いながらも、店長が来られた。

 店長と私とで、ご老人を椅子にしっかりと座れる状態にした。眼を覚められたご老人は手を合わせ、ありがとうございますの意思表示。ただ、話すことも居場所・連絡先も聞くことができない状態。

 「店長、救急車を呼びましょう、このままでは危ないですから」と私。
 「いえいえ、当方で注視致しますので、救急車は必要ありません」と店長。

 私は、自分の買い物を終え、再度、簡易椅子に座っておられるご老人に声をかけたが返答は無かった。

 「店長、やばいですよ。ご老人の意識が無いように見えますが」と私。
 「お客様(私)、これ以上は我々で何とかしますので」と店長。

 その言葉を聞いた瞬間に救急車を呼んだ私。そして、店長に対して、救急車を呼んだのは私自身ですからと伝えた。

 その瞬間に店長の顔が緩んだ。要するに、自分の失点を本部に伝えられない状況を回避できたからだろう。

 いずれにせよ、この真夏にご老人が倒れこんでいる状態を誰しも、伝えなかった人々。そして、ご老人が倒れこんでいることを知らずにいたことを失点と捉え、責任回避したドラッグストアの店長。

 私がドラッグストアへ行く前に、ご老人が倒れこんでいる姿を多数の方は見ているはず。真夏の今、死に至る可能性があるというのに。

 そして、倒れこんでいることを知らなかったという事実を隠蔽しようする店長。サラリーマンである店長の気持ちは分かる。だから私が救急車を呼び、彼の責任を回避した。
 しかし、誰が見ても、危険な状況であるご老人が倒れこんでいる姿を見ても、ドラッグストアで買い物する誰もが店のスタッフに言わなかった事実。

 極論だが私がその日にドラッグストアへ行かなければ一人の生命が失われていたかもしれない。

 日本人はここまで、劣化しているのだろうか。

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2011.08.07 Sunday | 一人の人間として | comments(2) | trackbacks(0)

忖度(そんたく):母が手術前に私に残した言葉

今日、母が入院し、明日、手術となる。

大病で無く、手術も短時間で、かつ一週間ほどの入院で終わる。

母に対し、私は「手術が成功し、無事、退院されることを心より祈念しております」というメールを送った。

母からは「忖度」と一言のみ書かれたメールが帰ってきた。

忖度とは、「相手の心を推察する」といった意味がある。

換言すれば、自分で言うのも何だが、私は母の心を十分に推察できたため、ありがとうという意味を込めて、母は「忖度」という言葉のみをメールしてきたと勝手に解釈している。

明日の今頃から手術が始まる。

まずは、無事に、そして手術が成功することを息子として祈る。

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2011.05.09 Monday | 一人の人間として | comments(0) | trackbacks(0)

七つの「るな」:年末の皆様のメッセージとして




 少し早いご挨拶ですが、今年、一年間、多くの皆様のご尽力で、お陰様で無事、2010年を終えることが公私共々できることとなりました。

 まずは、関係各位の皆様に心より御礼申し上げます。

 2010年において、私が実現したいと意識し、努力してきたもの、それが以下の七つの「るな」です。

 「怠けるな」
 「怒るな」
 「威張るな」
 「焦るな」
 「腐るな」
 「偽るな」
 「驕るな」
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2010.12.26 Sunday | 一人の人間として | comments(0) | trackbacks(0)

今年、なぜか身体に異変が続くのはなぜだろうか?

 今まで大きな病気や怪我をしたことが無い私。

 ところが今年は、5月4日のGW中に、「とう骨神経麻痺」になった。

 右手がまったく動かない状態が約1ヶ月。次にコーヒーカップすら持てない状態が1ヶ月、続き、その後、徐々に回復していった。
 8月初旬にほぼ完治と言われたが、まだ連続して字を書くことができない。ERで「とう骨神経麻痺」と診断された4日後に東京出張。これがきつかった。そして、出張から帰って病院へ直行。右手の握力は4kgだった。この数値を想像していただければ、1泊2日の東京出張の辛さもご理解いただけると思う。

 そして、8月20日金曜日に定期健康診断。問診では何の異常も無いと言われた。

 その週末を挟んで、8月23日に「40度近い熱」が出た。朝に39.6度。それが夕方には36.7度まで下がった。通常であれば、一日で熱が下がるはずも無いため、医者も原因不明としか言わざるを得なかった。
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2010.09.21 Tuesday | 一人の人間として | comments(3) | trackbacks(0)

「とう骨神経麻痺」になった私が思う当事者しか体感・理解できないこと

 GW中、5月3日深夜まで仕事。翌4日は完全に休日としたため朝10時に起床。起床後、右手がまったく動かないことに気付く。通常より4時間程度、長く寝たため、寝違えのように右手が痺れていると安易に考えていた。

その後も、まったく動かない右手

 昼食時、妻にその旨を伝えた。40歳代という年齢から「手の痺れ=脳梗塞の前兆」と妻は考え、緊急外来に行くよう懇願されたが私は数時間もすれば治るだろうと考え、昼寝。目覚めたのが17時頃。残念ながら期待に反し右手がまったく動かない状況に変化は無かった。

 18時過ぎ、車で15分程度の緊急外来対応の病院に直行。車の運転も困難だったが左手が利き腕で何とかなった。心配してくれたのか、子供達の夕食準備を終えた後、妻も自転車で病院到着。「脳・心臓」関連かと妻は思ったのだろう。

 病院で待たされること30分。まず内科のレジデントの先生の診察。ここ数年間の健康診断結果(お陰様でこのような日々を過ごしていながらも、すべて完璧な標準値)を提示。レジデントの先生の知識・経験から脳梗塞や心臓関連の簡易チェックを受けるが問題無し。次に先輩格である内科医の先生が登場。似たような診断をされるが問題無し。重篤な病気で無いことが判明し「整形・神経関連」の先生の判断を待つこととなった。

診断結果:全治3ヶ月の「とう骨神経麻痺」

 整形外科の先生がやっと登場。即座に「とう骨神経麻痺:橈骨神経麻痺」と断定。脳や心臓に関係ないことに安堵するが、正常に右手で字を書けるまで、通常は3ヶ月を要すると明言された。薬も痺れを抑えるビタミン剤だけで、断裂した神経が自然に回復するまで時間の経過を待つのみということ。いつ完治するか、まったく不明の状態と告げられた。

 帰宅途中、どうしてこのような事態を誰が与えたのか、何を知らしめているのかと考えたが、何も思い浮かばず、その日を終えた。そして、何らの家族サービスもできず、連休が静かに終わった。
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2010.05.10 Monday | 一人の人間として | comments(27) | trackbacks(0)

木村拓也コーチへ

別れ

 木村拓也コーチへ。

 私は思います。貴殿が、まだコーチとして戦っておられることを。

 外形的には、球場で意識を失い、そのまま目覚めることなく、旅立たれました。
 しかし、貴殿の心の中では、旅立ったことすらご存知ないはずです。

 少しだけ、私の経験を。

 私も、過労やその他、いろいろなことが原因で、夜に会社近くの路上で意識を失い、倒れている私を見た近所の方が救急車を呼んでくれました。もちろん、私は覚えていません。
 そして、ふと目を覚ますと、「ここはどこだろう」と周囲を見渡し、身動きが取りにくい状態で、横を見ると妻が立っていました。一晩以上、意識を失っていたようです。その間の意識を失ったという記憶すらまったくありません。

 球場で意識を失ったまま倒れられ、病院に運ばれたことさえ知らずに貴殿は、多くの人々の願いを背負いながらも、目覚めることなく新しい場所に旅立たれました。

 だから私は思うのです。貴殿ご自身は、まだコーチとして戦っておられるということを。

 貴殿の同僚、ご家族、ご友人の皆様が、どのように思っておられるか、私には到底、分かり得ません。

 ただ、私自身は、仕事場である球場で、「おい、次、行くぞ!」とノックをしながら叫び続け、そして試合中、選手を見守り、まだまだコーチとして戦っておられると思っています。

 最後に、私が昨年、久しぶりに夢中になった貴殿の活躍の動画を以下に記録として残し、これ以上の僭越な言葉を発することを終えるとします。

 これからも、いつまでも、コーチのままで。

2010.04.08 Thursday | 一人の人間として | comments(0) | trackbacks(0)
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私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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