ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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2018.08.01 Wednesday | - | - | -

お客様がいる限り、廃業しませんという決断の重み

老夫婦の決断

10年以上、お世話になっている酒屋さんがある。
会社からの帰路にあり、夜8時頃までは空いている。

少し、早く帰宅できた場合、ビールを買う。
単にビールを買うだけでなく、色々と世間話をするため、
長い時は30分程度、立ち話をしたこともある。

昼間に、店の前を通った時も、時間があれば、少し世間話をする。

私にとって大切な馴染の酒屋さんだ。

ご主人は酒の配達がメイン。店番は奥様。
奥様曰く、単に主人は配達だけで、店番などしたくないのですと、
同じ愚痴を何度も聞いていた。

世間話というよりも奥様としての私は、
数少ない愚痴をこぼすことができる相手だったのかもしれない。

もう既に70歳近い老夫婦の酒屋さん。
最近は、まったく配達されているご主人の姿を見ない。

3年ほど前に、店に行くと、ほぼ商品が無い状態だった。
近くにコンビニがあり、かつ量販店の酒屋に行く時代なので、
もう廃業しますと言われた。その際は2,3ヶ月後と言われていた。

その言葉を聞き、馴染の店が時代の変化と共に消えていくと、
私は悲しくなった。しかし、そんな気持ちなどは顔には出さず、
「頑張って、毎日、通うようにします」とだけ言って、
その場を去った。

あれから3年。

まだ酒屋さんは店を閉めておられない。
私も、その後も時々、買い物をしていた。
「いつ、閉店するのですか?」など聞くことなどできない。

ただ、ほとんど在庫が無かった。
私がいつも買うビールも最低限の在庫を確保されていた。

数週間前、極めて早い時間にシャッターが下りていた。
「とうとう閉店か」と思いながら、
「最後の挨拶がしたかったな」とも思いつつ車を走らせた。

そして、3日前。
帰路途中、店は空いていた。

いつものビールもあった。

私は思わず、聞いた。
「いつ、閉店されるのですか」と。

下を見ながらビールを袋に入れておられた奥様は、
私の言葉を聞いた瞬間に、顔を上げ、私の眼をしっかりと見ながら言われた。

「お客さんがいる限り、廃業しないことに決めました」と。

私は、瞬間的に、言葉を失い、
「おおきに」と一言だけ残し、車に戻った。

そして、車内で自然に涙が出てきた、少しだけだったが。

酒屋さんの店内は、明らかに私のためのビールの在庫を含め、
恐らく、数名分程度の量しか残っていない。昔はあった、
アイスクリームの冷蔵庫も無い。

ビールを冷やす冷蔵庫も3つのうち、1つのみに灯りが。

換言すれば、私がビールを買う限り、廃業されないということだ。
そして私以外の残りのお客様がおられる限り、廃業されないとも言える。

帰宅途中、次に酒屋さんに寄る時にどんな言葉を奥様にしようかなと考えた。

しかし、通常通り、私は奥様と接することに決めた。

一度は、閉店しようと思われた老夫婦。
そのお二人が十分に、話し合われ「お客様がいる限り、廃業しない」という重い決断をされたのだから。

その決断に私が異論を挟む立場には無い。

ただ、お二人の重みのある決断には、大きな敬意を表したい。

※「ベンチャー 企業社長ブログトップ10位へ
2012.07.19 Thursday | 大切な友人達 | comments(0) | trackbacks(0)

Say Hello to The New President!

米国

 今回は、我々がお世話になっている司法書士の先生の新たな挑戦に対するエールを込めた実話である。最後までお読みいただくことで今回の英文タイトルについてもご理解いただけると思う。

司法書士の先生の挑戦

 3月末決算の会社にとって、6月末というこの時期は、株主総会が開催され、そこで議案として可決された中で必要な事項については、速やかに登記しなければならない。また、私は「NPO法人の副理事長」をしており、ここでも登記が必要な場合がある。
 そこで登記の実務を行うのが「司法書士」の先生だ。もちろん私の会社も毎年、この時期にいろいろとお世話になる司法書士の先生がいる。税理士の先生なら「確定申告」の時期が極めて多忙であると同様に、司法書士の先生も私の会社以外に多くの顧問先を持たれているため、6月末は極めて多忙だ。
 そんな多忙な折、メールにて司法書士の先生とやりとりをしている際に、「近況報告」なるメールを頂戴した。メールには今年の春から通信制のMBA(経営学修士)に挑戦されていると書かれており、少々、いや極めて、私は驚いた。
 私のサイトを長年、ご覧いただいている方はご存知のように、私は米国でMBAを取得している。その経験上、通信制のMBAだったとしても司法書士としての多忙な日常業務と並行して、すべて英語で行われるMBA取得のためのプログラムを日々、続けていくことがどれほど大変かについて想像に難くない。それよりもMBAそのものに挑戦しようと考えられ、実際の行動に移されたこと自体に対して尊敬の念を抱いている。

 さて、本題に入ろう。昨日の出来事についてだ。

ここらあたりに公衆電話は無いかと外国の方に聞かれた私

 昨日の夕方、打合せ終了後、会社が契約している駐車場に車を入れ、100メートル程先の私の会社へ向かった。ちなみにこの駐車場は、かなり山々に近い神社の境内入り口付近にあり、「夜にはイノシシが突如として私の眼前に現れる程の場所」だ。
 駐車場出口付近まで歩くと3名の女性の外国の方がおられた。大きな荷物があったのでどうみても旅行者だと思ったが、観光シーズンでも無いのになぜこんなところに来ておられるのかなと一瞬、考えながらも私は歩き続けた。
 すると3名の中の一人の方が「pay phone?」と私に話しかけた。一応、私は先に書いたようにMBAホルダーである。ちなみに初対面の方で私の経歴を事前に調べられ、「MBAを取得されているのですね」と言われた際、常に私は「はい、Master of バカ・アホです。」と答えるようにしている。
 話を戻そう。「pay phone」が公衆電話であることはすぐに理解できた。しかしながら、山奥近い駐車場付近に公衆電話などあるはずもなく、すぐさま私は「here.」(ここにありますよ)と言って、自分の携帯電話を出した。

業務中だが日米友好を優先させる私

 「pay phone?」から始まった突然の出会いは、すべて英語での会話だが日本語にて3名の外国の女性の方々と私とのやりとりを紹介しよう。

「ここらあたりに公衆電話ありますか?」と女性Aさん。
「どうぞ、ここにありますよ」と自分の携帯電話を手渡す私。

「本当にいいんですか?」と女性Aさん。
「どうしたんですか?」と私。

「この近くにホームステイしている知人とここで待ち合わせなのです」と女性Aさん。
「あぁ、どうぞ、気にせずに携帯電話を使ってください」と私。

 メモを見ながら、電話番号を入力する女性Aさん。「一通話1000ドルですよ」と私は冗談を言いながらも、「どこから来られたのですか?」と女性Bさんに聞くとフロリダからとのこと。「実は、私はアメリカの大学院生でした。ワシントンD.C.とアリゾナ州で勉強していました」と言ってしまった私。
 これを聞いた3名は、安心したようで突如として本格的な英語での会話モードに突入。

「昨日まで東京でした。東京は大きいですね。大好きです」とCさん。
「京都も、東京と違って結構、いいところですよ」と私。

 といった会話をしながらも私の携帯電話を使っているAさんのやりとりが耳に入った。恐らく、ホームステイしている知人の携帯電話に私の携帯電話の番号が表示されたため、どういったことかと聞いているらしく、「アリゾナ州で大学院生だった人の携帯電話よ!」と何とも不可思議な説明に、「他に表現の仕方があるでしょう!」と私は関西人らしくツッコミを入れ、残りの女性2名も大爆笑。
 ほどなくして無事、知人との連絡は終わり、そのホームステイ先の方を待つまで、さらに会話は続いた。「会社に早く戻りたいなぁ」と思う反面、「いや、一生に一度しか会うことができない場面だ、日米友好だ」と思う気持ちが私の頭の中で葛藤しているが、そんなことは関係なく、3名の女性の方々との会話は続く。

 「東京はニューヨークのようだ」・「新幹線には感動した」・「次は鹿児島へ行く」といった旅行話だけでなく、「あなたはなぜMBAを取得したのか」・「私の娘はワシントンD.C.で働いている」などと会話は果てしない方向へと拡散していく。いずれにせよ「日米友好」である。日本・米国双方の良い部分ばかりを私は話し続けた。

やっとのことでホームステイ先の方が到着、そして別れ

 待つこと10数分。背後から「小島さん、ありがとう」という声が聞こえる。ふり向くと偶然にも会社近所の知り合いの方であった。「明日以降、会社の近所で私の噂話が飛び交うだろうな」と思いつつも、「いやはや、何とも偶然ですね」と平静を装う私。
 万国共通の御礼と別れの挨拶がさらに英語にて始まる。「本当に親切な方だ。明日の朝、ここでまたお会いしましょう」という想定外の女性Cさんの言葉に、明日朝は9時15分に駅前で打合せがあるためお会いしても話す時間は皆無なのだと思いつつも、基本は「日米友好」である。「そうですね、是非ともお会いしましょう」と真面目に言葉を返す私。

 とうとう最後の会話となる。

「Thank you so much!」
(本当にありがとうございました)
「You're very welcome, and have a nice trip!」
(いえいえ、どういたしまして、良い旅を)

 そして、とどめの最後の別れの言葉を歩きながら話す私。

「Would you please say hello to the new president?」
(新しい大統領によろしくと言っておいてもらえますか?)
「Sure, why not!」
(もちろん、言っておきますよ!)

 こうして、日米友好の幕は閉じた。誰が新しい大統領になるかはともかくも、最初から最後まで笑いは絶えなかった。

日米友好、ちょっとした余談

 さて、今までの3名の女性の旅人達の話とはまったく関係無いが、私は「ある財団の評議員」をさせていただいている。この財団の「上部組織の会長は今の福田首相」なのだ(首相という立場になられてから、会長職を一時的に離れておられるが)。
 今年の7月に私が属している財団によって「新たにオープンする施設」がある。京都府知事、京都市長が来賓としてテープカットされるわけだが、本来、首相という立場でなければ福田氏も来られる予定だった。「是非とも前総理に来賓として」と私は願っていたのだが、少なくとも今の状況では無理のようだ。何とも複雑な思いがするが。
 いずれにせよ、今回の20分足らずの3名の女性の旅人達との日米友好戦略で、私なりに次の米国大統領との外交ルートは確保した(つもりである)。来年1月に新たな大統領が決定するが、その頃に我が国の首相が誰なのかについては、私としてはどうすることもできない。ただ、新たな大統領が決定後、その頃の首相が、偶然にも私の会社の駐車場付近に視察にでも来られれば、周りを固めているSPを超えてでも私なりに外交ルートは確保済みですよと言う予定ではあるが。

最後に、司法書士の先生へのエール

 先生、MBA取得実現を心より祈念しております。先生がMBAを取得され米国へ行かれる機会があれば、今回の3名の旅人達との懸命なる外交ルートとは別に私なりに米国滞在時代に築き上げた僅かばかりのルートもあります。
 いずれにせよ、是非とも、MBA取得後、万国共通語ともいえる英語をツールとして有効に活用いただき、米国だけでなく様々な国々で多くの人々との良き出会いを期待しております。私は20代半ばという子供のような時期にMBAを取得しました。先生のように様々な社会経験と今までの日々の研鑽の蓄積があれば、流暢な英語でなくとも相手は、先生が話す中身、内容に必ず耳を傾けると確信しています。

 私は中学生時代から音楽を通じて英語力を体得しました。まず耳で聴いて、それから歌詞を見て、という流れで英語そのものに興味を持ち、そして誰に強制されるわけもなく自然に英語力を体得しました。今でも中学時代当時の一部の曲については歌詞が無くとも歌うことができます。強制的、あるいは必要に迫られて英語を学ぶよりも興味から入り、繰り返し言葉で発することの方が英語は体得できると私の拙いながらの経験ではありますが、「経験者は語る」として僅かばかりご理解いただければと存じます。
 また、私の現在の仕事はご承知のように、ほとんど英語は必要ありませんが、ネットの発達により海外での最新の論文を読むことにストレスを感じることなく最新の情報を得ることができます。また映画なども字幕無しで理解できるだけでなく、次にどんな言葉を俳優が言うのかについても想像できます。邦画でも日常会話でも「次は相手はこういったことを言うだろう」と想像可能なことと同じです。
 ということで、お時間のある際に是非とも、下記の映画をご覧いただき、英語力体得の一つの手段として活用いただければと存じます。この映画はテレビの深夜映画で見たのが最初です。深夜映画など余程のことが無い限り、途中で寝てしまうのですが、最後まで唯一、見終えた作品で、その後も何度かレンタルDVDなどで借りて見ています。この映画が本当に英語力体得に最たるものかはともかくも、作品としては、ラストシーンなど想像を超えた結末となります。いわゆる息抜きにも良いかもしれません。

 是非とも、お近くのレンタルビデオ屋さんで借りていただければと考えます。主演はあの有名なブラッド・ピット(まだ外交ルートはありません)ですが、出演男優、女優に関係なく奇想天外なストーリーと結末は私が保証いたします。
 この映画の本来のタイトルは「Meet Joe Black」なのですが、「Say Hello to...」というフレーズに対する語感が私には何とも言えず共通していることもおススメの大きな理由の一つです。

 以上、重複になりますが先生のMBA取得を心より祈念して。

ジョー・ブラックをよろしく
ジョー・ブラックをよろしく
ブラッド・ピット

※「ベンチャー企業社長ブログトップ10位へ
※「特選された起業家ブログ集トップ10位へ
2008.06.20 Friday | 大切な友人達 | comments(0) | trackbacks(0)

大切な友人のお父様が亡くなられたことに思う

キャンドル

 数日前のことだった。

 会社付近に救急車が十数分間、停まっていた。私は外に出て、数十メートル先の救急車を見た。私の小学生時代の同級生の家の前に救急車は停まっていた。
 その日の夕方、仕事の打ち合わせの途中に、友人が経営している薬局に立ち寄った。友人も小学生時代の同級生だ。「もしかしたら、残念な結果になるかもしれない。その時は連絡するから、他の友人にも連絡して欲しい」と私は彼に告げた。

 翌日、町内の掲示板にお知らせが張ってあった。やはり、残念な結果の知らせだった。それを見て、私は薬局の友人に事実を伝えた。その時点で彼は他の友人から知らせを受けており、数名の友人に既に伝え終えていた。彼もそして他の小学生時代の友人達も考えること、行動することは一緒だった。

 過去の話をしよう。

 朝の通勤時、亡くなられた友人のお父様とはほぼ毎日、お会いしていた。友人の子供、いわゆるお孫さんを毎日、幼稚園のバスが来るところまで一緒に送り迎えされていた。駐車場から会社までの途中で、毎日のように会釈をし、会社へ到着するという日々だった。
 もちろん、年末もお会いし、会釈をした。お元気な様子とは言えないが、決して大病を患っておられるとは見えなかった。

 私の友人の話をしよう。

 彼は、小学生時代の私にとって一番の友人だ。毎日のように遊んだ。川でメダカを獲り、山で隠れ家のような基地をつくり、彼の家で様々な遊びをした。彼は20代前半に、大病を患った。命を失いかけない程の大病だった。しかし、彼の努力の結果、彼は見事に復活した。
 数年前に私が京都に戻ってから、年に数度は小学校時代の同級生達と会合を開いている。楽しく飲み、楽しく話す。そして、なぜか話題はいつも小学校時代の話となる。

 話を戻そう。

 先に書いたように毎日、お会いしていた亡くなられた友人のお父様。今年に入って一度もお会いしたことは無かったが、「亡くなられた」という事実を聞いた時、俄かには信じられなかった。お孫さんと手をつなぎ、伏目がちに歩いておられた姿しか頭に思い浮かばなかった。
 歩いておられた姿を想い出した時、涙があふれた。悲しさよりも悔しさが強かった。こんなことになるまで、何もできなかった、何も感じ取られなかった自分が情けなかった。

 そして、ようやく「亡くなられた」という事実を私の心が受け止めた後、友人のことが頭に浮かんだ。小学生時代の楽しい日々が走馬灯のように頭を駆け巡った。そして今、友人はどんな気持ちなのだろうかと考えたが、何も答えは浮かばなかった。

 葬儀に参列した。

 前日から降っていた雨は、葬儀当日も僅かながら降っていた。

 小学生時代の同級生も全員、来ていた。

 焼香の際、友人が目の前に立っていた。彼の顔を見た瞬間に、また涙があふれた。彼の肩をたたき、一言、声をかけたかった。本当に肩をたたき、声をかけたかった。
 しかし、私は友人と数秒間、目をあわせ、黙礼し、その場を終えた。来ていた小学生時代の同級生の一人も涙を隠そうともしなかった。

 そして、出棺の際、大粒の雨が降り始めた。別れを知らせる雨のようだった。

 すべてを終え、私は一人、近くの駅へ向かった。電車が来るまでの数分間、また、いろいろと考えていた。
 私や葬儀に参列した私の同級生達にとっては、今日の葬儀で終わりなのかもしれない。しかし、友人にとっては、もしかすれば、今日こそが始まりなのかもしれない、と考えていた。
2008.01.15 Tuesday | 大切な友人達 | comments(2) | trackbacks(0)

鉄人Honeyを是非、応援願います!:そして、今年もありがとうございました。

鉄人Honey

 ふとしたことから、私のサイトでご縁を持つこととなった方がおられます。そのご家族のお一人が新進気鋭のアーティスト:「鉄人Honey(アイアンハニー)」。
 まずは公式サイト:「鉄人Honey」の「自己紹介」から一部引用させていただきます。
ボーカル&ギターのYohkoです!現在16歳☆

歌うことが大好きな、
パワフルキュートな高校生シンガーソングライターだよ!

大好きなミュージシャンは、60年代の黒人女性グループ
「シュープリームス」!!!

60年代〜80年代の音楽をベースに、10代の感性が創り上げた
「ニューオールドミュージック♪」
一度は聴いて損はないー!

ってことで、鉄人Honey(アイアンハニー)のYohkoです!

覚えて下さいね〜♪

 新進気鋭の「鉄人Honey」のボーカル&ギターをされているYohko(ようこ)さん。
 「こちら」をご確認いただくと、本日12月28日現在で、なんとアーティストランキングが第3位という凄い躍進。そしてご確認いただいた皆様が「投票」ボタンを毎日、一度、クリックいただくと近い将来、1位になる可能性が極めて大きくなります。
 私のサイトのサイドバーにも、下記のリンクを設置しました。

新進気鋭:「鉄人Honey」を応援、クリックを!
応援:下記画像をクリックして投票!


 是非とも、皆様、毎日、一度のクリックをお願いいたします。皆様のご協力で1位を目指しましょう。

 上述したように、ふとしたきっかけから、まだお会いしていませんが、私のサイトにコメントを何度も頂戴し、またメールでのちょっとしたやりとりをYohkoさんのご家族の方とさせていただいています。本当に何とも表現しがたいきっかけが発端です。

 Weblog、ブログというツールは様々な形で発展してきました。同時に弊害も生じる場面もあります。ただ、ブログというコミュニケーションツールだからこそ、「できること」もあります。私がこのサイトを3年程前に開設していなければ、「鉄人Honey」を応援することも、そして大躍進中とはいえ、容易に知ることもできなかったでしょう。
 そんな、ブログの可能性に感謝すると共に、ブログが持つ可能性とは比較にならないくらい大きな「鉄人Hony」のこれからの可能性を確信し、期待しています。

 さて、まもなく21時。本日が我々の仕事納めの日となります。もうすっかり社員は誰もいなくなり、役員一人の帰社を待つのみとなっています。
 私自身は、時間が経つことが早いと思った一年でした。有意義な一年だったかどうかは何とも言えません。ただ、多くの皆様のご支援のお陰で一年間を過ごすことができました。そして何度も言っておりますが私の妻にも感謝です。

 少し話題がずれますが、昨晩は、いつもより2時間ほど早い夜8時に帰宅しました。自宅のドアを開けると、見知らぬ声が聞こえてきました。一瞬、誰かなと思ったのですが、昨晩は妻の友人が訪問される日で、子供たちはすっかり妻の友人お二人と遊んでいました。
 お一人はアメリカの方で、子供たちの前で英語で会話をして、「お父さんは本当に英語を話すことができるんだぞ!」ということを実感してもらいたいなと思っていたのですが、根本的に何を話しているか彼らには分からないため、あまり尊敬されたような感はありませんでした。まぁ、いつかはわかってくれるでしょう。いや、別にわかってもらわなくても良いと思っています。

 私が夕食を終え、その後、日本独特の各種ゲームを妻の友人お二人と共に全員で楽しみました。一足先に正月が来たような盛り上がった雰囲気でした。
 ゲームをしながら、大笑いする子供たちや負けて悔し涙を流す子供たちを見ながら、妻と私も含め7人の家族が、ここまで成長できて良かったなと、しみじみと考えていました。

 恐らく、「鉄人Honey」を支えるご家族も、僭越ではありますが、Yohkoさんの成長、変化に過去を思い、そして未来を考えておられると思います。

 再度になりますが、「鉄人Honey」の応援を皆様、よろしくお願いいたします。サイトへもアクセス下さい。ここでは伝えきれない情報が満載です。

 そして、今年も更新頻度が低かった一年ではありましたが、いつもご覧いただいている皆様、コメントを頂戴している皆様に心より御礼を申し上げると共に、皆様にとって来年も良き一年となりますよう祈念いたします。

 本当にこの一年間、ありがとうございました。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。

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2007.12.28 Friday | 大切な友人達 | comments(2) | trackbacks(0)

人との関係を長続きさせることの大切さ



山本社長のセミナーに参加

 昨日の月曜は朝4時45分に起床し、6時の地下鉄で最寄のJRへ。そして6時40分京都発の新幹線で東京駅に9時に到着。そして渋谷へ移動した。
 実は、我々の新規事業の一つとしてネットでの通販サイトを立ち上げることとなった。そこで思いついたのが「e売るしくみ研究所」という会社を運営されている「山本氏」だった。

 山本社長との関係は長い。今は、「ベンチャー企業社長山本直人のブログ(千葉県市川市本八幡にて営業中)」というサイトでブロガーとしても活躍されているが、私がこのサイトを開始した3年以上前は他のブログを立ち上げられていた。その際に私のサイトにコメントを入れていただいたことから始まる。
 その後、何度かお互いのブログでコメントのやりとりなどを行い、2年程前だったと思うが私が東京出張した際に、実際にお会いした。物静かな、しかし何か少なからず野心を持っておられる社長という記憶がある。

 その後は、たまにメールや電話でのやりとりをするだけで、特に何かでお世話になることは無かった。ただ、今回、先に書いたように通販サイトを立ち上げる際に、すぐに頭に浮かんだのが山本社長が行われている「ビジネスブログで作るホームページ制作セミナー」だった。
 もちろん、京都にもウェブサイトを構築する企業はある。東京にも多数、あるだろう。また、山本社長がやられているような「ビジネスブログ」といった形式でのサイト構築を運営している企業もあるだろう。
 しかし、私は他の企業や業者を調べることも無く、「山本社長」にお世話になることにした。そこにはまったく迷いも無かった。そして私の判断が間違いであるなど微塵にも思わなかった。

 「セミナー」は、10時に始まり、17時前まで丸一日を要するもの。ある程度、htmlやcssの知識が私にはあるが、やはり実際に教えていただくことで見えてくるものがあった。
 セミナー終了後、東京駅付近で山本社長だけでなく奥様も一緒に夕食を。3時間近い夕食だったが、様々な話題に会話は弾み、あっという間だった。そして私は会話を重ねながら、「今日、来て良かったな」と心の中で呟いていた。
 そして、20時53分に、「もう帰らないと」という私の一言で全員で東京駅へ。そして私は最終列車である9時20分発の新幹線で京都へ戻った。帰宅したのが24時過ぎ。その後、何件かのメールを処理し、2時頃に眠りについた。長いような短いような一日だった。

人との関係を長続きさせることの大切さ

 山本社長との出会いは、ブログのコメント入力から。表現が難しいが極めて単純なことが発端だ。しかし、昨日、山本社長に実際に仕事としてお世話になった。数ヶ月前まで仕事でお世話になるなど想像もしていなかった。しかし、実際に昨日、お世話になった。

 少し話を変える。

 今回の東京出張でもう一人の方とお会いする予定だった。残念ながら時間が無く、お会いできなかったが。
 その方は、過去に環境教育事業を実施していた頃に一緒に仕事をしたある上場企業の社員。その後、環境教育事業が終了し部署も異動された後も、私が東京へ行く際は、短い時間でもお会いし、逆に大阪や京都に来られる際は、その方とこちらでお会いしている。

 そんなビジネスが発端とは言いながらも、現時点でお互いビジネスから離れていても関係、お付き合いを続けている方をできる限り多く持つことが私は大切だと思う。何らかの時点で、ビジネスや私的なことでお世話になったり、お世話をさせていただくことが将来あり得ないとは言えない。ただ、あまり将来のことは考える必要は無い。

 昨日の山本社長のセミナーがその最たる例だと思う。

 損得勘定無しに多くの人たちと長い関係を持つこと。いつもは、心の中で良いと思う。小さなロウソクに小さな炎を持っていれば。そんな小さな炎が多ければ多いほど、いつか大きな炎へと変わる時が来る。どんなに小さくても炎が無ければ燃えることは無い。また小さければ燃え尽きることも無い。

今度は私が山本社長へお返しをしたい

 ギブ&テイクといった言葉は私は好きではない。お世話になったからお返しするという単純な発想で良いと思う。それよりも、どんな形で、どのようなスピードでお返しするかといった方が大切だと思う。
 今後も、山本社長は東京だけでなく全国でセミナーを開催したいと考えれらている。そこで、セミナーの大先輩のメッセージを紹介する。下記、「日経ベンチャーonline ニッポンの社長へ: 日本一営業力がある社長」から一部引用する。あのテレビショッピングで誰もがご存知の「ジャパネットたかた」の高田社長だ。詳細はリンク先にある。
 テレビで商品説明するときですか? 全く緊張しません。うまくやろうとするから緊張するんです。その点、僕はうまくやろうと思っていないから(笑)。
 テレビを見ているお客様にメッセージが伝わりさえすればいい。だから原稿も用意しません。だって、プロポーズをするとき、紙に書いて読む人はいませんよね。それと同じです。多少ヘタでも、自分の言葉で語った方がお客様に言いたいことは伝わるのです。

 カメラを前に、僕がいつも心掛けているのは、「上手に」ではなく、「分かりやすく」伝えることです。難しい用語を使わず、できるだけ平易な言葉で話します。「なんだかよく分からない」商品を買う人はいませんからね。
次に「面白く」。自分の学生時代を思い出してください。授業が面白いと、自然とその科目に興味がわきませんでしたか。だからこそ、我々は商品の機能や使い方だけを語ってもダメ。驚きや発見、感動が必要なんです。

 実は、夕食を終え、東京駅へ行く途中のエレベーターで関西弁を喋る女性数名がいた。どうも宿泊先のホテルへの帰り方が不明なようで、私は関西弁で少々、説明した。その際に私は聞いた。

「大阪ですか?」と私。
「えぇ、無茶苦茶、静かな岸和田から」と女性。
「思いっきり静かなとこからですなぁ」と私。
「うん、思いっきし」と女性。

 岸和田と言えば「だんじり」。荒っぽい祭りで有名で、言葉遣いも荒い。大阪の女性はそれを逆に「静かなところ」と笑いを込め、私もそれに呼応したことになる。関西では普通の会話のようなものだ。
 山本社長に関西弁を話すことができるようになって欲しいとはもちろん思っていない。ただ、高田社長が言うように、やはり「言葉・話し方」はさらに磨いていかれればと考えている。特に関西では、少々の冗談・笑いを入れなければ、相手にされない場合もある(かもしれない)。

 いずれにせよ、京都や大阪で今後、山本社長が活躍される際は私なりにできる限りのことをやらせていただければと考えている。

 そして、山本社長も今以上に、「小さな炎」を多数、持っていただければとも考えている。
 人と人との関係を長く続けることの大切さ。忘れた頃にその大切さを思い出すものかもしれない。ただ、多くの「小さな炎」がいつか大きく燃え始まる時があることだけは事実だと私は思う。

【関連エントリー】
- 賛同者を増やし、夢をかなえること
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2007.11.20 Tuesday | 大切な友人達 | comments(4) | trackbacks(0)

なぜ、小学校時代の同級生の顔は、いつになっても変わらないのだろうか?



 過日、信号待ちしていた私。

 すると後ろから微かなクラクションの音が。

 バックミラーで見ると、小学生時代の同級生。彼は、地元のクリーニング屋さんの二代目経営者だ。配達の途中だったのだろう。

 信号が青になり、私は右へ曲がり、彼は左へ。

 自然に、我々二人とも車の窓を開け、手を振っていた。

 過日、スーパーで子供たちと買い物をしていた私。

 スーパーで、また他の小学生時代の同級生と出会った。彼も子供連れで、お互い、目で合図し、その場を去った。「元気か?」といったメッセージが、彼から伝わってきた。

 もうお互い40歳近い小学生時代の同級生。同級生だからみんな年齢は同じだ。

 しかし、いつも思うのだが、なぜか同級生の顔は、小学校時代と同じだ。面影を残しているなんてものではない。まったくと言って良い程、顔は変わっていない。

 私は、小学校卒業後、私立中学に入り、そのまま私立高校、大学へと進んだ。そして米国に留学し、横浜・東京・青森などに住んだ。地元京都に戻ってきたのは、小学校卒業後、20年近く経過してから。京都に戻るまで小学校時代の同級生と会うことはまったくなかった。

 京都で、中学・高校・大学時代の友人と会うこともある。しかし、会った瞬間にお互い年齢を重ねたなと、なぜか感じる。

 しかし、小学校時代の同級生に会う時、いつも思う。

 みんな顔だけでなく心も変わっていないなと。そして、同級生と会うと何ともいえない穏やかな気持ちとなる。

 きっと、自然の中で、毎日、遊んでばかりいた思い出しか残っていないからだろう。

 私だけかもしれない、こんなことを思うのは。

 しかし、もし私が個人的な苦境に陥った時、すぐに駆けつけてくれるのは小学校の同級生のような気もしている。

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2007.08.01 Wednesday | 大切な友人達 | comments(1) | trackbacks(0)

「もぉてんじぇる」を応援しよう!



 ふとしたことからお世話になっている「もぉてんじぇる」様。

 公式サイトは、重複になりますが「もぉてんじぇる ファンキー ポップス バンド ライブ  関西 家族 インディーズ ミュージック MTM ストリートファイターズ TOP」です。

 このサイトのトップページ下部分に「応援投票はこちら♪」というリンクがあり、私は毎日、応援投票をしています。ほぼ日課のようになっています。
 
 下記の画像を1日ワンクリックすれば良い訳です。



 現時点で「近畿エリアで21位から40位のランキングで36位」。毎日、私も応援していますが、どうも大きな変化はありません。

こちら」を毎日、クリックするだけです。

 多くの皆様のご協力、応援をお願いいたします。

追記:7月25日
 やはり、「もぉてんじぇる ファンキー ポップス バンド ライブ  関西 家族 インディーズ ミュージック MTM ストリートファイターズ TOP」経由での投票が適切と考え、このサイトのサイドバーに上記の「もぉてんじぇる」様のサイトのみをリンクしました。
 ご紹介している「画像」ではなく直接、サイト経由にてクリック下さい。
 皆様、ご協力をお願いいたします。

起業家ブログへ
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2007.07.22 Sunday | 大切な友人達 | comments(4) | trackbacks(0)

大阪の皆様、青森の人を暖かく受け入れてください



 3日前の連休明けの火曜日17日に、私宛に電話が。

 私が20歳代後半から30歳代前半の数年間、青森滞在時代に公私共にお世話になった方からでした。

「小島さん、毎度様です」と青森の方。
「おぉ、これはこれはAさん、毎度様です」と私。
(「毎度様です」とは青森独特の挨拶で京都の「おおきに」のようなもの)

「で、どうしましたか」と私。
「いや、実は大阪に行く用事があって、是非とも小島さんにも会いたいなと」と青森の方。

「もちろん、いいですよ。で、いつでしょうか?」と私。
「19日を予定しているのです」と青森の方。
(標準語で書いていますが、実際の会話は津軽弁です。)

 19日と聞いて、来月8月19日と思った私は、パソコンのデスクトップにあるカレンダーを見て、日曜日と確認。

「来月19日は日曜日なので大丈夫ですよ」と私。
「いやいや、今週の19日、急だけど」と青森の方。

「はぁ?」と私。

 こんな感じで何度か会話を続けながらも、青森時代にお世話になり、2日後にわざわざ、そして10数年ぶりにお会いできる機会と考え、19日16時にお会いすることに決定。

 そして昨日19日当日。最寄のJR山科駅でお世話になった青森の方と、同じ会社の方もう一人と私の計3名が合流し、近くの第一事務所(ファミレス)で久しぶりの双方の近況報告を。

「いやぁ、小島さん、全然、変わってないなぁ」と青森の方。
「そうですか。もう10年経って、私も40歳ですよ」と私。

 そして、いろいろとお話を聞いてみると、お世話になった青森の方は、以前の仕事を辞めて、青森の新しい会社に入社されたとのこと。その青森の会社が、大阪に進出することが決定。お世話になった方が数ヵ月後に大阪の支店長になる予定で、今回、最初の視察に来られたとのこと。しかし、関西で知り合いと言えば私のみなので、少し、大阪での商売について聞きたく、私と会ったわけでした。

「まったく、関西で商売されたことないんでしょ、御社は?」と私。
「そうなのよ、だから小島さんにいろいろと紹介してもらいたくて」と青森の方。

「関西人の紹介はいくらでもできますが、なかなか受け入れてもらうまで時間がかかりますよ」と私。

 青森と言えば、普通の人は「リンゴ」・「ねぶた祭り」くらいしか思いつくことが無いはずです。津軽地方にある「弘前市」をまだまだ多くの人は「ひろまえし」と読むと思います(正解は「ひろさきし」)。
 私は青森に滞在していたため、そして青森から東北各地を営業していたため、青森や東北地方について違和感も無く、逆に共感している部分があります。しかし、もし私が青森に滞在しておらず、まったく東北の各県に馴染みが無い場合、「京都に青森の企業が進出」と聞いても、「大変だろうな、何か農業関係かな」ぐらいにしか思わないでしょう。

 排他的・閉鎖的な京都に、これまた基本的には内にこもりがちな青森の人が進出しても、いくら優れた技術やサービスがあっても、なかなか馴染むことは難しいのが現実です。結局、「人との繋がり」が最後には成功か失敗かの鍵を握っていると私は考えるからです。
 ましてや京都進出も困難な状態で、これまた「大阪」という懐が深く、京都と電車で30分程しか離れていないにも関わらず、文化もまったく違う場所で、青森の企業が商売することは非常に難しいのではと、青森から来られたお二人に話しました。

 もちろん、できる限りの協力はすると約束はしました。

 そして、19時に再度、お会いし、第三事務所(今回は地元の宮崎地鶏屋さん)で、話を続けました。

 今回、昨晩の21時に「車」で青森を出発し、大阪に到着したのが今日昼過ぎということで、一睡もされていないとのこと。しかし、商売を始めるための機械等を運ぶ必要があったため車での移動を決意されたそうです。
 ちなみに青森のお二人は共に50歳代。しかし、何とか一日でも早く、大阪で仕事を始めたいとの決意があふれていました。お二人が所属されている青森の企業の社長は、青森県内で仕事を続けていても、限界があるため、詳しくは書けませんが、たまたま大阪に良い物件があったため、かなりの投資をされて、物件を確保されたとのこと。

 第三事務所で、19時からスタートした会合は、結局、深夜1時頃まで続きました。最初はできる限り標準語を話されていたお二人も、もちろん途中から、完全な津軽弁へと変化していました。ただ、会社の代表として「大阪に進出する」という決意は固く、私も何とか尽力できればなと心に誓っていました。
 お話では、青森から数名が大阪に行き、大阪での商売を軌道に乗せようという予定なのだそうですが、私は「大阪で大阪人を採用した方が良いですよ」と言いました。やはり、地元の人を採用しないと、なかなか大阪での商売は難しいと私は考えているからです。

 それ以外にも、いろいろと私なりに思うことを言い、二人は宿泊先へとタクシーで帰っていきました。
 そして、なぜか翌日である今日も、もうちょっと話がしたいとのことで、打合せをしました。

 私は、米国留学から帰国後、一年も経過していない時点で、ある理由で「青森」という見知らぬ土地で、まったく未知の世界である「リンゴ農家の皆様」をお客様として、数年間、過ごしました。リンゴ栽培について学び、津軽弁という英語よりも難しい言葉を何とか体得しました。そして、ふとしたことで出会った、今回、ご紹介した青森の方に、いろいろと青森の有力な人々を紹介していただきました。
 青森滞在時、「何で京都の人がわざわざ青森まで仕事に来ているの?」という雰囲気が初対面の地元の方から、言葉には発しなくとも、私には伝わってきました。ただ、まだ30歳前後の私には若さがあり、様々な苦労がありましたが何とか乗り越えることができました。

 今回は、私の青森滞在時代の逆です。だから、青森人が大阪で商売する際の苦労も想像がつきます。また、同じように見知らぬ土地で商売を始め、自ら顧客開拓などをされてきた方にも、今回の話は想像がつくと思います。見知らぬ土地、見知らぬ文化での商売、生活には大変な苦労が伴います。
 50歳を超えた二人の青森人を筆頭に、まったく知り合いや協力企業も無い大阪で、商売を開始することになります。恐らく極めて大変な苦労を重ねられると思います。私もできる限りの協力はしますが、残念ながらまったく分野が違うビジネスで限界があります。

 大阪の皆様、あと数ヶ月以内に、青森の企業が社運をかけて、大阪で商売を始めます。是非とも、暖かく受け入れていただきますよう心よりお願いいたします。

 本当によろしくお願いいたします。

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2007.07.20 Friday | 大切な友人達 | comments(0) | trackbacks(0)

では、出かけるとします。



 さて、18時から開始される会合へ向けて、出かけることとします。

 どんな一夜になるか、半分は想像がつきますが、残り半分はどうなることかわかりません。恐らく1名の方が、後半になって暴走開始となるのではと予想していますが、まぁ、それも良いのではと考えていますが。

 さて、会合の結果については、また次回か、このエントリに追記の形で書くこととします。

 では、行きます。

 参考:「過去の事例

追記:7月17日



 写真のように、全員、楽しく一晩、様々なことを語り合いました。これだけのメンバーなので、政治から経済、国際問題など、いずれも個々で持論があり、議論しました。
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2007.07.16 Monday | 大切な友人達 | comments(6) | trackbacks(3)

これこそ奇跡と言うべきことではないだろうか?



 今回のエントリーのタイトルは、かなり大げさに思われる方も多いかもしれませんが、私には奇跡としか表現できないことが起こりました。

とあるブロガー様への準備

 過去に書いたように、残念ながら閉鎖してしまった「二代目の第二事務所」。しかしながら一、二週間程前から、「第二事務所だった場所」は「宮崎県の地鶏」をメインにした「焼き鳥屋さん」としてオープンしています。店の名前は「そのまんま」。
(店名については、言いたいことはありますが、今回は言わないこととしましょう。)

 さて、過日、「とあるブロガー」様から会いたいとの連絡があり、いろいろとやりとりした結果、お会いする日が「月曜日」と決定しました。

 本来ならば、私の自宅近くの「新たな第二事務所」にお連れするのが、私なりのやり方なのですが、わざわざ京都に来られて、宮崎県の地鶏を食べていただくのも、少々、妥当性に欠くと考え、「第三事務所」でお会いすることに決定。

だが「第三事務所」は月曜定休日だったはず
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2007.07.11 Wednesday | 大切な友人達 | comments(2) | trackbacks(0)
是非、ご覧下さい
ティファニーのテーブルマナー
ティファニーのテーブルマナー (JUGEMレビュー »)
W.ホービング
私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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