ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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競争社会を生き抜くために(2)

※コメントをいただいた方々のご意見をまず、お読み下さい。
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過日は、我が5人の子供達の中で、小学生となっている長男・次男のマラソン大会がありました。

マラソン大会があることは、前日の晩に、妻が教えてくれていました。そして、小学校からの「マラソン大会のお知らせ」も見せてくれました。

お知らせの中に記載されていた「マラソン大会の目的」、それは
長い距離を走ることの楽しさを味わう。
自分のペースで走ることを経験する。

という内容でした。

これらを、大会の目的と設定されていることに私は、非常に違和感を覚えました。

もし、私が「大会の目的」を保護者の方へお知らせするならば、
日頃、マラソン練習した結果の集大成を最大限、発揮する。
そして、できる限り本番で全力を尽くし、最後まで走り続ける。

といったような内容にすると思います。
少なくとも、オリンピックでのマラソン競技や、駅伝など、すべて練習の結果を本番で最大限、発揮し、できる限り、上位を目指す=競争、これは当たり前のことだと思います。

基本的にマラソンも含めスポーツというものの大半は、「競争であり勝つことに意義がある」と私は思っています。

もちろん、スポーツを楽しむことで、人間同士の交流や心の育成など、スポーツにも様々な要素があることは私も理解しています。特に小学生の時期などは、こちらの視点が大半を占めるでしょう。
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最近、OECD調査による日本の学力低下や、日本独自の調査で「学力」が落ち込んでいる傾向にあると話題になっています。

そして、その原因の一つとして「ゆとり教育」が挙げられています。そうかもしれません。一つの要因としては。

しかし、上述した、「小学校のマラソン大会の目的」、これは「ゆとり教育」とは直接的な関係は無いと思いますが、重複しますが、皆さんは違和感を覚えられないでしょうか。

換言すれば、「ゆとり教育」が設定された以前から、どこかの歯車が狂い始めたのではないかと私は思います。

私なりに思う理由を下記にまとめてみました。
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1)優劣をつけない、優劣によって子供を傷つけないという過大なアプローチ

私は、数年前、長男の参観日に行きました。

私が小学生だった頃は、先生は、男の子には「○○くん」、女の子には「○○ちゃん」と呼んでいました。時には先生が親しみを込めて、あだ名で呼んでくれた時もありました。

ところが、長男の参観日では、男女関係無く、出欠確認や、子供たちが先生の質問に挙手して答えるときも「○○さん、どうぞ」といった感じで、呼びかけていました。

男女関係無く、「さん」付けしなさいと、教育委員会からの指導等がいつの時点かは不明ですが、あったのだと思います。

また、小学生の運動会にも参加しました。

昔は、赤組・白組などに分かれて、点数をつけて、途中経過を午前中に子供たちに知らせて、午後に負けている組は、「がんばろー」という気持ちになり、最後に優勝した組が、本当に自然に「万歳!」を叫ぶのが普通だったと思います。

しかし、私の子供の小学校の運動会では、組には分かれていますが、例えば100m競争で1位、2位などの勝ち負けは無く、単に走り終えるのみでした。

結局、100m競争で最後になった子供がかわいそう、という配慮から、1位・2位といった勝ち負けをなくしたのだと思います。

これも教育委員会の指導なのでしょうか。

私は、小学生の頃、短距離が得意で、いわゆる運動会のメインイベントである「100mリレーのアンカー」をいつも任されていました。最終学年の6年のときは、アンカーである私が相手を抜いて、逆転優勝しました。

私は、このことを痛烈に覚えており、その後の自信にもつながっています。私に抜かされた相手側のアンカーの同級生には、その後も仲良くしています。私が彼を抜いたこと、そんなことで私の同級生は心に傷を負ったり、恨んだりしていません。

なぜなら、毎日、様々な競争・勝ち負けを「遊び」なども通じて、経験しているからです。

換言すれば、「競争・勝負」を日々、経験し、勝ち負けを体験していない子供たちは、一回、負けてしまうだけで、大きなショックを受けるとも言えます。

そんな彼ら、彼女らが、社会人になって、競争社会に突入した瞬間、例えば営業先で罵倒を浴びせられたら、人生にとって始めての挫折感ともいえる大きなショックを受け、最悪の場合、退職に至る場合もあるでしょう。

今、実際に入社して半年で辞めてしまう社会人が増えています。子供の頃から優劣をつけない、傷つけられないような環境で育ってきたことが、すぐに社会人という人格を放棄する理由の一つになっているのではと私は考えています。
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2)学校でも行政でも親でもない、「子供を取り巻く環境」が変わったことが原因ではないか。

私が小学生の頃にも「ゲームセンター」というものはありました。
ただ、ほとんどの同級生はゲームセンターでなく、自然の中で遊んでいました。

虫取りをしたり、山で、いろいろな木を集めて秘密基地をつくったり、あるいは下校の鐘がなるまで、友達とドッジボールで明け暮れる、そんな毎日でした。

しかし、「インベーダーゲーム」というものが、私の高学年の時に世間に出ました。その時点で、同級生の半分程度が、ゲームセンターに通い始めました。遊び相手が半分に減ったわけです。

これは、
子供達が「遊び場」を自分なりに探し、創り上げてきた時代から、
大人が「遊び場」を子供たちに与え始めた時代へ変化した、

という最初の出来事ではないかと私は思っています。

そして、現在、子供たちは大人達が提供する「遊び場」で遊んでいます。自分で遊ぶことを探さなくても、「遊び場」はどこにでもあるわけです。

私は、「遊ぶ」ということが、最も、想像力・創造性といったものを養うと考えています。

残念ながら、社会は、「遊び場」を提供しながらも、一方で、大切なものを子供たちから奪っているような気がしてなりません。
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いつの日か、そして誰にでも確実に訪れる「競争・勝ち負けを経験するという状況」。

私は、できる限り、人格が形成される時期から、
競争・勝ち負けを体験し、想像力・創造性を養う

この2点が必要だと思います。

そして、残念ながら、今の社会は、この2点に加速しながら逆行していっていると思えてなりません。
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最後になりますが、ここ数日、ほぼ外出しており、極めて、ブログ界から離れておりました。今、やっと様々なブログを来訪し終えたところですが、12月16日の「週刊!木村剛 powered by ココログ」様が「経済政策を語ろう!」というカテゴリで、「ゆとり教育でゆとりを感じているのは誰?」ということで記事を掲載されています。

しかし内容は、ブロガーのトラックバックの断片的な紹介だけに終始しておられ、かつ「経済政策を語ろう」といいながらも、木村氏の本件に関する持論はなく、かつ極めて厳密に言えば経済政策とは言えないという点からも、少し残念に思います。
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さて、今回のblog、かなり私の持論が入っていますが、少しは同意いただいた方は、「クリック」お願い致します。

ありがとうございました。
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追記:

多数のコメントを頂戴しましたが、「Win-Win」というブログを運営されているHikari様のコメントを「現場の方々の声」として、改めて掲載致します。

下記、Hikari様の私のエントリーに対するコメントです。
Hikari様、不都合があればご連絡下さい。すぐに訂正・削除致しますので。

Hikari様のコメントは下記からです。
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はじめまして。Hikariと申します。
今日の記事、大変興味深く読ませていただきました。

私はその教育現場にいて、みなさんから「大リストラに会わなければわからないんじゃないか」といわれている教師を仕事にしています。

子ども達にさんづけをするというのは、本当に上からの指導です。ものすごい違和感です。やめてくれ〜と、多くの教師も子ども達本人も思っています。

かつてはクラスに40人いたら、40人みんなをあだ名やファーストネームの呼び捨てや、チャン付けで呼んでいました。その呼び名を何にしよう?と相談するのも、4月ごろの大切な関係作りの話題でした。それに、同姓はやたらといて、その子たちだけむやみにフルネームで呼ばれるのは苦痛を与えることでしかありません。

上は、呼び捨ては人格の無視だからと言います。
だったら、多くの親御さんは人格無視を生まれたときから続行していることになります。
子ども達は大切な顧客だと思いなさい、と言います。
大切だからこそ寄り添うにはどう呼ぶか。一律に押し付けられたやり方で済ましていいのか。
考えてほしいです。

競争をなくし、順位をつけなくなったのは、上からの指導ではありません。
保護者の要請です。
どうしてこれが正しく伝わらないのか不思議でなりません。心ある現場教師で、これがいいと本気で思っている人なんか、いないと知ってほしいです。

徒競走で1位にならなかったお子さんの親御さんが、学校に怒鳴り込んでくるんです。マラソン大会の成績が振るわなかった子の親御さんが怒鳴り込んでくる。

で、「子どもががっかりしてやる気をなくすから、運動会やマラソン大会はなくしてください。」なんて言うんです。

そういう行事が子供たちにとってどれほど大事か、学校はよく知っています。なくしたくないのです。だから、「順位をつけない」という方法で、行事の温存を図ったというのが、多くの学校にとって本当のところだと思います。

その怒鳴り込んできた親御さん方の価値観には、徒競走で1位になれないうちの子はダメな子だというのが根底にあります。来年に向けて努力を始めようとか、他の事で1位を目指そうとか、一時の負けが全体を決めるわけではないとかいう価値観がないのです。

多分、ここにお集まりの皆様なら、そんなふうには考えず、「徒競走がダメでもマラソンがある、マラソンもダメでもドッチボールが、サッカーが、野球がある。水泳もある。勉強でもいいし、お習字やピアノでもいいぞ。全部ダメでも、キミが元気で楽しければそのうち何か見つかるだろうから、一緒に探そうよ。」くらいには、考えてくださるのではないでしょうか。

私が教師になりたての頃は、そういう親御さんばかりでした。でも、バブルがはじけた頃から、「負けること=悪いこと」「できないこと=ダメなこと」という決めつけが親御さんのほうから学校へどんどん流れ込むようになりました。その前までは、学校の方が親御さんに「決め付けるな!」と叱られていたのに・・・。

ここが変わらないと、学校はうまく立ち直れないでしょう。ためしに、今いる先生を全部リストラして、新しい人材でやり直してみればいいんです。多分数年のうちに、同じ学校が再現しますよ。

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本当に「今、すぐそこにある危機」に様々な方々が遭遇されていると思います。
2004.12.17 Friday | 現代の教育について | comments(16) | trackbacks(12)

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2017.09.10 Sunday | - | - | -

皆様のコメント

こんばんわ〜
そうですよね
あれだけ、過酷な受験戦争という『競争』を用意しておいて、その手前で『徒競走に優劣はつけない』なんて、噴飯モノですよね。
人間なんて、長所と短所があるんですから、走るのが速いことを認めることの無い社会なんて、恐ろしすぎます。
でも、そんなことは親が子供に教えれば何とかなるものです。
100m走で一位になったら、親が『ご褒美』をあげればいいですよね。
小さなときは、それで十分です。
ただし、大きくなると、人に認められるという、部分が突出してきますから難しくなりますよね。
この認められるってのは難儀なもんです、災害ボランティアだって現地に行けば認められるけど、近場でアルバイトしてお金を必死で貯めて、義援金として送っても評価が低かったりします。
実は、この方が効率は良かったりするのでしょうが、難しいですよね。
ヤースのへんしん | 2004/12/17 10:23 PM
小島さん!
こんばんは!

>競争・勝ち負けを体験し、想像力・創造性を養う
という視点、とても共感しながら読ませていただきました。

「勝ちにこだわる」
というのはビジネスをする上では必須ですよね!

持ってうまれた性格もあると思いますが、
小島さんがご紹介されているような
運動会のリレーなど、今の子供達が
勝つ喜びを知らずに育ってしまう事に
危機感を覚えてしまいますね。

ゆとり教育の「ゆとり」とは何か。
決して大人の思い通りになんでもできるものでは
無いのだと強く感じました。
ジッポ | 2004/12/17 10:38 PM
今の教育でおかしいのは、いずれ社会に出ると厳しい競争にされわれるのに、競争の体験を経験させず、子供たちをスポイルする方向でやっていることです。親方二の丸の文部省と、教育委員会だから、教える側も競争反対なんでしょうね。いずれ、財政が破綻は時間の問題なので、日本の経済破綻と公務員の大リストラにあわないとわからないかもしれまえん。
大西宏 | 2004/12/17 10:44 PM
はじめまして。Hikariと申します。
今日の記事、大変興味深く読ませていただきました。

私はその教育現場にいて、みなさんから「大リストラに会わなければわからないんじゃないか」といわれている教師を仕事にしています。

子ども達にさんづけをするというのは、本当に上からの指導です。ものすごい違和感です。やめてくれ〜と、多くの教師も子ども達本人も思っています。

かつてはクラスに40人いたら、40人みんなをあだ名やファーストネームの呼び捨てや、チャン付けで呼んでいました。その呼び名を何にしよう?と相談するのも、4月ごろの大切な関係作りの話題でした。それに、同姓はやたらといて、その子たちだけむやみにフルネームで呼ばれるのは苦痛を与えることでしかありません。

上は、呼び捨ては人格の無視だからと言います。
だったら、多くの親御さんは人格無視を生まれたときから続行していることになります。
子ども達は大切な顧客だと思いなさい、と言います。
大切だからこそ寄り添うにはどう呼ぶか。一律に押し付けられたやり方で済ましていいのか。
考えてほしいです。

競争をなくし、順位をつけなくなったのは、上からの指導ではありません。
保護者の要請です。
どうしてこれが正しく伝わらないのか不思議でなりません。心ある現場教師で、これがいいと本気で思っている人なんか、いないと知ってほしいです。

徒競走で1位にならなかったお子さんの親御さんが、学校に怒鳴り込んでくるんです。マラソン大会の成績が振るわなかった子の親御さんが怒鳴り込んでくる。

で、「子どもががっかりしてやる気をなくすから、運動会やマラソン大会はなくしてください。」なんて言うんです。

そういう行事が子供たちにとってどれほど大事か、学校はよく知っています。なくしたくないのです。だから、「順位をつけない」という方法で、行事の温存を図ったというのが、多くの学校にとって本当のところだと思います。

その怒鳴り込んできた親御さん方の価値観には、徒競走で1位になれないうちの子はダメな子だというのが根底にあります。来年に向けて努力を始めようとか、他の事で1位を目指そうとか、一時の負けが全体を決めるわけではないとかいう価値観がないのです。

多分、ここにお集まりの皆様なら、そんなふうには考えず、「徒競走がダメでもマラソンがある、マラソンもダメでもドッチボールが、サッカーが、野球がある。水泳もある。勉強でもいいし、お習字やピアノでもいいぞ。全部ダメでも、キミが元気で楽しければそのうち何か見つかるだろうから、一緒に探そうよ。」くらいには、考えてくださるのではないでしょうか。

私が教師になりたての頃は、そういう親御さんばかりでした。でも、バブルがはじけた頃から、「負けること=悪いこと」「できないこと=ダメなこと」という決めつけが親御さんのほうから学校へどんどん流れ込むようになりました。その前までは、学校の方が親御さんに「決め付けるな!」と叱られていたのに・・・。

ここが変わらないと、学校はうまく立ち直れないでしょう。ためしに、今いる先生を全部リストラして、新しい人材でやり直してみればいいんです。多分数年のうちに、同じ学校が再現しますよ。
Hikari | 2004/12/18 5:44 AM
競争を知らずに大人になるか…
運動会などの学校行事だけが競争の場ではないだろうけどスポーツはルールに乗っ取り優劣を付けるのが当たり前だろうし、子供が負けて落ち込むというなら励ましてやればいいのだし、むしろその時は子供とコミュニケーションを取れる場になるって思わないものでしょうかね。
文句を付けて学校の行事を変えさせようという親やPTAは子供の人格を心配してるのではなく自分が子供にかまいたくないだけのような気もします。
勝ち負けを経験し、一つの行事を成し遂げることは友達との思い出を作っていくと思います。
小島さんのエントリーやHikariさんのコメントを拝見してもおかしな世の中になってきたと考えさせられます
自分たちの子供が大人になりその子供が受ける教育を想像すると心が寒くなる感じがします。
mameta | 2004/12/18 4:00 PM
小島さん、こんにちは。
トラックバックをありがとうございました。
コメントが遅れてしまって申し訳ありませんでした。
我が家の子ども達の小学校では、
運動会の短距離走は事前に50mのタイムを計り、
同じぐらいのタイムの子同士で走ります。
こちらからもトラックバックをさせていただきます。
よろしくお願いします。
ひなこ | 2004/12/18 7:35 PM
JUGEMが異常に重い状況の中で、皆様、コメントありがとうございます。私もやっとコメントの御礼をさせていただく時間となりました。
(夜中の2時ですが。。。)

ちょうど、「ゆとり教育」について、文部科学省がまた、表層的な見直しを図ろうとしている矢先の時で、OECDや、国内学力調査だけで、すぐに右往左往する、そしてそれに振り回される、関係者の気持ちが想像できる現状となっています。

>ヤースのへんしん様

ヤースさんのサイトを拝見したら、私のサイトもお薦めにしていただいており、まずは御礼申し上げます。

受験戦争という「競争」を用意したのは誰か。
直接的には、お役人様では無いとは思いますが彼らはもちろん知っているはず。それを見越した上での「ゆとり」と銘打った教育の改革。

そして、これらをすべて知っていながら、振り回されている親・子・先生方。

さらに、大人になって「認められる」ためにそれなりに必死になる、さっきまで子供だった「半分大人人間」。

こんな悪循環が続けば、企業も、日本社会もそして個々の人格もすべておかしくなるに決まっていますね。

>ジッポ様

おっしゃるとおり、子供達が勝つ喜びを知らずに、
そして、社会人になって初めて、負ける苦しみを味わうような今の社会は、やはりおかしいと思います。

大人の思い通りに何でもできるはずは無いことは、
教育だけでなく、様々な分野で該当しています。

子供達がもっと未来の日本を背負っていけるように参画できる社会のシステムができればと、思います。

>大西様

大西さんのおっしゃる通り、そして私も指摘しているように大人は、最悪の事態に対峙しなければ、何も変わりません。

神戸の震災の教訓が、今回の新潟の地震で活かされていないのも結局は他人事、あるいは真摯に取組まず、現実が迫った時にはすでに何も残っていなかった。

恐らく、今後もこの繰り返しだと思います。
そして、その犠牲者の一員が子供達なのです。

> Hikari 様

はじめまして。
事前の許可無く、申し訳ないのですが、現場の方の「怒り」として、今回の私のエントリーに追記の形で掲載させていただきます。

Hikari 様のコメント内容は、私も十分に承知して、今回、自分なりに記事にしておりますが、やはり、現場に対峙されている方の声は表に出したいと思います。

不都合があればお知らせ下さい。

> mameta 様

本当に心が寒くなりますね。というか現実に既に起こっていることかもしれません。

いずれにせよ、何らかの形で「競争」を人格形成の貴重な時期にできる限り体験するような教育システム、あるいは社会のシステムを構築しないと本当に寒い日本になると思います。

>ひなこ様

>>我が家の子ども達の小学校では、
>>運動会の短距離走は事前に50mのタイム図りり、同じぐらいのタイムの子同士で走ります。

正しく異常な世界ですね。もう、コメントする余地も無いような状態に教育現場は陥っているということ。ただ、誰が悪いのか、先生方なのか教育委員会なのか、あるいはお役人様か、それともこのような状況に異論を発しない親なのか。

本当に早急に見つめ直す時期に来ていると思います。
小島愛一郎 | 2004/12/19 1:58 AM
おはようございます。Hikariです。
 現場の一部の声、であるにかかわらず、このように取り上げてくださって、本当にありがとうございました。
 日ごろから、なんとか現場で必死に子ども達と向き合っている同僚達の本当の姿をたくさんの皆さんに紹介したいと思っているので、本当にありがたいです。

 小島様が私の言いたいことを予め理解してくださっていると感じたので、一生懸命コメントを書きました。

 私たちが一番悲しく、無力感にさいなまれるのは、「学校が悪くなったのは教師が悪いからだ」「教育委員会が悪いからだ」という単純な図式でしかこの問題を捉えてくださらないかたがあまりにも多いと感じるときです。

 この問題に限らず、あらゆる重要な問題がそうであるように、教師のありかた一つ、教育委員会の存在ひとつで物事が狂っていくことはありませんよね。教師はここを間違い、教育委員会はここを誤り、文科省は、親は、それぞれに過ちを犯す、それが積もり積もってこうなっているのです。

 文科省はもはや、小手先でしか修正案を出せません。なぜならそれだけ権限を地方に委譲すると言ってしまった後だからです。各教育委員会の窓口電話は、毎日保護者からの苦情電話(?)がなりっ放しです。その「県民の声」を反映せざるを得ない教育委員会が決めることもやはり、本筋からずれていきがちです。現場の教師は上から降りてくることに、いくらおかしいと思っても、反抗する術を持ちません・・・首になってもいいというなら別ですが・・・。
 そうして保護者のうち教育委員会に電話をされる方は、ご自分の考え以外にもよい考えがあるとは思わない方が多く、本当はこの方がいいのに、と思っている方は、声を上げてはくださいません。

 そうして、最も多いのは、この問題を自分も関われる問題だとは捉えていなくて、誰かのせいにして批難して終わってしまう人でしょう。

 お子さんがおありなら、その学校と真正面から向き合ってください。お子さんが学齢でなくても、文科省や各都道府県の教育委員会は常時国民・県民の意見を募集しています。ここに書き込むだけでなく、どうかそちらに声を届けてください。

 そうして、警察官・医師・弁護士についで自殺率が高くなってしまった我々教師と児童・生徒たちを救ってください。
Hikari | 2004/12/19 7:17 AM
☆☆親の参加  はじめまして、うりぼうです。
Hikariさんのブログからこちらに参戦します。
私、教員の人、変わった人が多いと思っています。世界が狭すぎるイメージがあります。世間に常識についていけない人が多い職種。(Hikariさん、ごめんなさい)もう少し、社会の荒波に揉まれた人が教育者になった方が、子どもには優しく、自由にさせて上げられるような気がします。

でも、今日の本題は、ここにはありません。
今の学校を悪くしているのは、間違いなく父兄、PTAです。これは、断言できると思います。Hikariさんの書いたとおり、先生を責めるのはお門違い。先生、特に校長、教頭は、父兄のことしか頭にありません。親がOKなら子どもはどうでもいいの?と思ってしまうことがままあります。

原因は、父親の学校教育へ不参加にあります。子どもの勉強には口を出しても、子どもの学校教育に口を出す父親は皆無です。口を出すのは、母親にあおられた苦情を言う人ぐらいでしょうか。

最近、おやじ会などが学校で作られるところが出てきました。多分、このままじゃ、ダメだと気づき始めたのだと思います。社会に出て何が必要なのか、厳しい社会の中で力強く生きていくために何を教えるべきかが、問われていないと思います。大学へ行くために何を教えるかばかりのような・・・。

「学校がおかしい」と思う人が、学校に「おかしいよ」と言わなくてブログに書いていても変わらないと思います。対立した意見が出なければ、学校に選択の余地がなくなります。学校もこういう意見があるが、どうか?と父兄にきちんと問うべきだと思いますが、期待できない状況です。(波風を一番嫌うのが学校ですから)

私は、別に学校で競争を体験させることが重要だとは思いません。社会に出ればいくらでも競争させられるのですから。でも、人間関係をきちんと作れる子どもには、なって欲しい。そのためには勉強以外の場面で切磋琢磨する機会は重要だと思います。(順位もつければいい)

最後に竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」(ちくま文庫)を紹介します。この中の「からだそだて」の章で述べられる義務教育のあり方は、私が普段整理できないていたものを明確にしてくれるものでした。是非、ご一読を。
長文になってすみません。
うりぼう | 2004/12/19 9:46 AM
こんにちは
おおたです。
こどもが小学校卒業したのはとうの昔なのですが、ひなこさんと同じように、予選タイム順に4人ずつ走ってましたから、見た目はすべて混線になります。その他、代表選手のリレーみたいなのと二本立てですね。
今考えると、「絶対的敗者をつくらない配慮」「エリートを作る配慮」とかなのでしょうか。ただ、授業の方は、「敗者を作らない」ことに終始してエリートを育てる配慮はまったくなかったわけです。
その結果として、小学校の卒業生の40%が私立中学へ行き、公立中学は荒廃して・・ということになり、今度は公立がエリート育成に踏み出して・・・というような状況なのかな

これからの、学校教師をささえるのは、団塊ジュニアといわれる年齢の人々なのですが、団塊世代とジュニアではかなり異質な考え方の差があるのかなって感じるようになってきました。

団塊世代=競争社会の中のサバイバル。(たくましいが、反面、創造性にかける)
ジュニア=競争拒否、個性重視。(個性的だが、社会参加意欲にかける面がある)
もちろん、個性重視は重要ですが、問題は、個性的な教師がこどもを個性的に教えられるかということではないでしょうか。
おおた葉一郎 | 2004/12/19 10:11 AM
またまたコメントを頂戴した皆様へ。
私なりに、再度、コメントでなくブログにて近々に私見をエントリー致します。

> Hikari 様

富士山で旅行中?にも関わらず、再度のコメント及び貴サイトでの紹介、ありがとうございました。

今回のコメントを含め、再度、私なりにブログでエントリーします。それ程、重要なものだと思っています。

コメントの返信だけでは終わらないと思っていますので。簡単な私なりのコメントと思わないで下さい。極めて重く受け止めています。

>うりぼう様

はじめまして。
おっしゃるとおり、教員の方々はある一定の目線で物事を判断といいますか他のいわゆる「社会」を知らない方は多いと思います。
(ある意味、仕方がない図式かもしれません。私としても Hikari 様ごめんなさい)

校長・教頭先生が父兄の声に敏感になるのは、企業で言えば「お得意様」なので理解できます。

しかし、お得意様の声に、過敏に反応し、かつお得意様の声に明らかに筋が通っていなくても対応しなければならない教育現場。

教育現場に限らず、このような図式は散見されています。問題は、これらの図式で被害を被る犠牲者達。今回は、現場の先生方であり、そして子供達。

何とかしなければならないと思います。私も5人の子供がいますので。

>おおた様

おっしゃる通り、「絶対的な敗者をつくらない」配慮が突出している感があります。恐らく危険回避のような潜在意識のようなものが存在しているのかもしれません。

「エリートを作る配慮」とかなのでしょうか。ただ、授業の方は、「敗者を作らない」ことに終始してエリートを育てる配慮はまったくなかったわけです。

これからの、学校教師の中心が、団塊ジュニアという点はご指摘通りです。ただ、学校を支えている方々は、どうなのか。

しかしながら、子供達、そして先生方、それぞれが持つ「個性」をうまく同調させることは必要だと思います(難しいですが)。

ただ、他の方々がコメントされている第三者である父兄という存在を無視できない現場には、苦難の道が見えてきます。

ステイクホルダーのベクトルがまったく違うといういのが教育現場なのかもしれません(企業なら利潤追求でベクトルは一致するわけですが)
小島愛一郎 | 2004/12/19 7:57 PM
初めまして。拙文ですが、TBさせて下さい。子供を持つ親として考えることがたくさんありました。家庭や地域社会の問題が学校に持ち込まれてしまっているように感じます。私は大人たちの過った価値観が最大の問題であると思っています。また読みにきたいと思います。
まさくに | 2004/12/19 11:04 PM
小島さま
 心強いコメントをありがとうございます。なんだか、背中をぐいっと支えられたような気がします。
 私のブログでも、今後少しずつ、教育(学校教育・公教育という狭い範囲のものではなくて)について書いていきたいと思っています。よろしかったら、お時間のある時に時々覗きに来てくださいませ。
 リンクもさせていただきました。これからもよろしくお願いします。
 (本当は、小島さまのお仕事のほうにもとても興味を持っています。)
Hikari | 2004/12/22 6:40 PM
子育て現場の現役ママから一言!
Hikariさんの教育の現場からの報告って本当です!
小学校へ電話でクレームを入れたり 怒鳴り込むお母さんって 本当に多いんです。だけど 他のお母さん達でも止められないんです。彼女らの怒鳴り込みを制止しようものなら どんな尾ひれを付けられて 吹聴されて歩かれるか想像を絶するようなタイプのお母さん達なんです。
自分の子供が 外(小学校)で落ち込ん帰ってきたとき 子供より落ち込んじゃう母親ってのも すごーーーっく多いで!私なんか父親まで真っ暗になって落ち込んじゃったって家庭を1軒知っています。(そこの奥さんから相談を受けちゃったので とても怖かったです。)親そのものが まだ子供で 競争社会ってものを知らないんです。視野の狭い&精神的に弱いお母さんって すごーーっくメジャーです。
暴走する触らぬ祟り神化してて 同じ母親でも恐ろしいです。私達は電話やら立ち話で声を潜めて『あそこまでするって変よね〜』って話し合っているしかないんです。
貞子ちゃん | 2004/12/24 3:48 PM
Hikari様、貞子様、度重なるコメントありがとうございます。

教育現場の難しいところ、そして社会の変化、この二つの歪を、何とか整合性を保てるように、何らかの形で、誰かが手段を尽くさないと、それもすぐにやらないと、これ以上の犠牲者を増やすばかりだと思います。

しかし、今回の私のこのエントリー、皆様、本当にたくさんのコメントを頂戴し再度、御礼申し上げます。(何が良かったのでしょうか? 皆様、教えてください)
小島愛一郎 | 2004/12/24 4:44 PM
すみません 読み返したら 『不登校は交通事故より確立が低い』の低いが 抜けてました。(笑)
事実確認ですけど 奮い立ったのは わずか3名 それに共感したのは わずか2名 なんとなく流されちゃったのが わずか10名足らず・・・・中立派がほとんどで 影で いくらなんでもその判断は絶対変!って  はっきりとした自分の意見を持ってた人は 影でわずか3名でした。以上 私の記憶のほころびがあるかもしれないけど 正確な記憶だと思います。父親が育児に そこそこ参加していた母親のほうが 自分の意見を持っていたような気がするけど そのあたりまでは よく なんとも言えないです。想像だけです。あと 個人的には 私は 育児に一時的にしろ父親が参加できない時期が たとえ あっても 大人なら弱音は吐くなってのが持論ですから・・それ以上は 想像が入り込みますので 一応ノーコメントになります。(苦笑)
貞子ちゃん | 2004/12/26 12:27 AM
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個性とは、厳しさの中で育まれて行くものです。 厳しさのない美しさなど、世の中に存在しません。 人は美しく成長しなければならないものです。 美しくないものを、「個性」とは言いません。 以上、masumi k さんのコメントから。 幼稚園児相手に試合をして
【続編】個性について | 愛と妄想の日々。 | 2004/12/18 8:48 AM
『教育が拓く未来』という本があります。 『教育が拓く未来』 櫻井よしこ・著 PHP研究所 「ゆとり教育」の失敗に気づき始めた大人たちが、 子ども達を伸ばそうと取り組んでいる様子が書かれています。 会話が続かない小学校の個人懇談。 こちらが話しかけ
『教育が拓く未来』 | 〜MYSELF〜 | 2004/12/18 7:36 PM
ところで、今朝「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」という小島さんのブログで、私も近々書こうとしていた「競争」に関する教育問題が論じられていました
いい天気!+新たな出会い!? | Win-Win | 2004/12/19 7:33 AM
ときどきコッソリ拝読している、ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘さんから、私のエントリ「授業時間は増える方向で。」にトラックバックを頂きました。 そちらの「競争社会を生き抜くために(2)」では、マラソン大会を切り口に、敗者への配慮のために、勝ち負け
やる気を育てる仕組み。 | ミズタマのチチ | 2004/12/20 1:42 PM
教育って難しいですね。特に、子供の教育は時代の環境が大きく変化し揺れに揺れています。しかも、国家公務員試験に通ることを人生の戦略として学生時代を過ごし、普通の社会とは無縁な環境のなかで働き、どれだけ有利な天下り先に行けるのかを考えている人たちが描く「
親にも教え、子供にいかに楽しく競争させるか | 大西 宏のマーケティング・エッセンス | 2004/12/20 3:46 PM
『チキンライス』って、 浜ちゃんじゃなく、松っちゃんに歌って欲しかったな。 だっ
やっぱり「子供は大人社会の鏡」だと思う | at most countable | 2004/12/21 12:54 AM
またまた引っ張ってます。子供学校問題。「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘『競
教育の現場報告ルポなんてものは したくないです。 女同士のかん口令みたいなものが引かれています。 ちくったりしたくないです。 なにか報告すれば また男の人が 実態を知らない人が 上から あーだこーだと 見当違いの分析や原因探しを始めたりしますから・・・
教育の現場の報告なんてブログしたくない。 | 貞子ちゃんの連れ連れ日記 | 2004/12/25 12:45 AM
やっと重たい口を開く気になりました。木村さんところでもブログする やっと勇気が出てました。 記憶にほころびがあるかもしれないですけど・・・・千葉にいたころの事件です。(明日は 主人が娘を買い物に連れ出してくれるって言うことなので これが書けるんです!夫
暴走する一部だけの母親たち〓 | 貞子ちゃんの連れ連れ日記 | 2004/12/26 2:44 AM
家に帰って 母親に子供が泣きついたそうです。私は はっきりこの耳で はっきり聞きました。私は おなかの中で『まじっすかぁ〜〜っ?』て感じでした。それを そのご家庭では父親まで真っ暗に落ち込んじゃった。『まじっすかぁ〜〜〜?』ってお腹の中で叫びました。
暴走する一部だけ母親〓 | 貞子ちゃんの連れ連れ日記 | 2004/12/26 5:23 AM
 ニートについての議論が奇怪なほど盛り上がりを見せ、国際調査データが発表された学力低下問題と合わせて、ブログの世界で教育についての関心が高まっている。底流は競争社会からのドロップアウトへの関心だろう。そんな中で、競争社会で子どもをどう育てるか議論して

是非、ご覧下さい
ティファニーのテーブルマナー
ティファニーのテーブルマナー (JUGEMレビュー »)
W.ホービング
私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

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