ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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小学校での英語教育導入は不要だと思う

 昨今、小学校での英語教育導入について議論がなされ、意見は二分されているように思っています。今回、私なりの考えをここに示します。

大学入試の英文で覚えた違和感
 昨晩、帰宅後、夕食をとりながら新聞をちらっと読むと「国公立大2次試験」の問題と一部解答例が目に付きました。さてさて、久しぶりに自分の英語力を試してみるかと、いざ英文を読み始めたのですが、まったく読みこなせません。
 ネット上での海外サイトの論文や雑誌などの英文はまったくストレスを感じることなく、私は読むことができます。また、たまの週末に見るDVDの英語なども、字幕無しでもほとんど理解できます。
(話すことについては、このサイトでも何度か書いていますが、かなりレベルは落ちています。)
 さて、大学の試験に出されている英語をもう少し、じっくりと眺めるといわゆる受験単語、熟語といったものが散りばめられているような文章に感じました。仕方が無いことかもしれませんが、ネイティブに読ませたとしても、ちょっと違和感を覚える文体だと私は考えます。
(ちなみに試験は京都大学のものでした。だから極めて難しいという反論もできますが、ここでは議論しません。)

私が英語に最初に出会った時
 私が中学時代に最初に買ったレコードがR&Bに類するものでした。レコードから流れる英語が最初の出会いです。その後、ほぼすべて、購入したレコードは海外のものでした。そして、スピーカーから流れる英語を聞きながら、歌詞カードを見ながら、最後には何も見なくても歌うことができるようになりました。20年以上経った今でも、当時の曲は、ほとんど歌うことができます。
 このように音楽が私に英語の世界へと呼びこんでくれたわけです。その後、高校・大学と英会話教室に通い続け、単純に「楽しいから、好きだから」という理由で英語をある程度、マスターし、最後には米国留学へとたどり着きました。
(米国留学は英語を話すことができるから留学する、と決めたわけではありません。また英語力があるだけでは米国留学(MBA)は、無理であることもご理解下さい。)

米国での経験
 留学当時、日本は経済大国としてかなり注目されていました。科目によって異なりますが、多数の授業で「日本」について触れられました。そうなるとクラスに数名、時には私だけが日本人である場合など、必ず「日本人としての意見」を求められます。
 今もそうですが、当時も「読む・書く・聞く・話す」というスキルの中で、最も低かったものが「話す」です。最初の質問の内容は、もちろん理解でき、その回答もある程度、話すことができたのですが、そこから第三者からの質問や議論へと深まっていくに連れ、私の「話すスキル」では、追いつかなくなってきます。
 しかし、「私なりの意見・考え」をゆっくりともどかしいながらも話していくと、クラスの仲間は必ず耳を傾けてくれました。換言すれば、流暢な英語が必要なのではなく、「こいつの言っていることは聞くに値する」と思われれば、話し方など関係無いわけです。
 過去にも私は書きましたが、「いくら流暢なネイティブに近い英語を話すことができても、内容が伴っていない限り、誰も相手にしない」ということです。そして、これはどの言語・国においても同様で、かつ日本でも、中身の無い話をする人間は相手にされないということにつながると私は考えます。

中学・高校時代の経験
 これは私だけに限るのかもしれませんが、中学レベルの英語教育の内容だけで「英語によるコミュニケーション」というものは十分可能だと思います。高校レベルの何やら難しい教育内容は必要ないと私は考えます。換言すれば、高校レベルの難しい内容を知れば知るほど、英語を話す・書くといった場面で、躊躇してしまうといった感じでしょうか。頭でっかち・知りすぎてしまっていて、本来、自分が主張したい言葉がすぐ出てこないといった感じに似ています。
 そして、この点も仕方ないことかもしれませんが、英語の教師の発音のレベルの低さについて私は強い印象を持っています。せっかくの母校の先生方を非難することは残念ですが、文法や単語の意味を教えることはできても、いわゆる発音=話す、という点については非常に疎かだったと記憶しています。実際のところ、「話す練習」というものは当時の中学・高校では皆無に近い状態だったと記憶しています。
 今の教育現場がどのような状況であるか知りませんので、私の経験のみを今回は書いていることについてまず、ご容赦下さい。ただ、上述した大学入試の英文、そしてその質問・設問を見る限り、少なくとも「英語によるコミュニケーション」を英語教育の最終目的としているのであれば、かなり逸脱している、あるいはやり過ぎているのではと私は考えます。また、今年から始まったリスニングについては、逆に簡単過ぎる、この程度ではコミュニケーションは難しいのではとも私は考えます。

英語によるコミュニケーションに必要なもの
 何をもって「英語力が高い」とするか、どこかに定義らしきものがあるとは思いますが、高校生程度の年齢の頃に一年間、留学するだけで、ほぼネイティブに近い発音を体得することができると私は考えています。逆に大学卒業後の年齢で発音だけに絞ると、通常の方はどうしてもネイティブに近い発音は体得しにくいとも言えます。
 ただ、これも上述したように、流暢な話し方を相手(異言語の世界)は最優先として、求めていません。それよりも「中身」なのです。合っているか間違っているかはともかく、「確固とした考え・意見、そして知識」を持っているかが最も必要とされているわけです。
 そして、英語はほぼ全世界の共通語です。よって、英語を学ぶことも必要ですが、多くの国の相手の文化を知ることも忘れてはならない重要な点なのです。少し、話を変えます。

 米国で初めてマクドナルドに行った時。店員さんが何やら私には聞き取れない言葉をまず話し出しました。

「for here, or to go ?」
(最初に聞いた時はもちろんこのように話しているなど分かりもしませんでした。)
 これは、日本では「こちらでお召し上がりですか、それともお持ちかえりですか?」という誰でも知っている言葉です。しかし、その時まで英会話教室でも、もちろん学校の授業でも習ったことはありませんでした。

「paper or plastic?」
 これは、町のスーパーに行き、支払を済ませた後に聞かれた言葉です。もちろん初耳です。米国では(当時の話で今はどうか知りません)、スーパーのレジ袋には2種類(紙袋といわゆる日本でいうレジ袋)があり、どちらかを選ばなければならないわけです。この言葉も最初に聞いた時は一瞬、理解に苦しみました。

 また、留学時代は米国人だけでなく様々な国の留学生とプロジェクトを組みました。ヨーロッパ出身の学生の一部は、やはりワインを昼間からお茶のように飲んでいましたし、南米出身の留学生は「時間」というものの概念が根本的に我々と違いました(15時にロビーでミーティング、と決めても最低でも30分は遅れてくる、といった意味です。基本は5分前集合なんて概念は説明しても理解できないとも言えます。ちなみにこれも私の経験だけですので例外は必ずあることをご理解下さい)。
 このように、流暢な英語を話す能力以前に、異文化で暮らすために欠かせない英語・言葉、そして体験して初めて知る・理解できる文化の多様性。これらの点もできることなら英語教育の一環として学ぶべきことではないかと私は考えます。

小学校の英語教育への提言
 まず、英語を教える以前に、小学生という年齢から、できる限り、論理的思考能力、そして「言いたいこと、考えていることを明確に相手に伝えることができる」というスキルに重点を置くべきです。何度も言いますが、「自分の意見を持つ、主張する」ことができなければ、相手は耳を傾けず、そしてコミュニケーションは成立しません。英語よりも日本語をまず母国語として会得し、さらには思考能力や伝える力を身につける、これらの点のほうが重要ではないかと私は考えます。
 また、どうしても英語を、というのであれば、無理な話かもしれませんが、同年代の様々な国の子供たちと遊ぶ機会を作れば良いと私は考えます。様々な文化的背景を持つ子供たちと触れ合い、遊ぶことで、相手を理解しようという意識は自ずと芽生え、コミュニケーションを図るために結局、英語という言語を使い、交流が始まるわけです。文法も単語も関係無く、まずは遊ぶことからスタートしなければ、英語に対する興味も、そして必然性も理解できないと私は考えます。
 過去に私は書きましたが、これは他の科目にも言えることです。なぜ、「掛け算を学ばなければならないのか」を十分に理解しなければ、掛け算を体得することは子供たちにとって非常に難しいことです。しかし、時間をかけて、買い物や毎日の暮らしに掛け算は必要だと子供たちが明確に理解すれば、掛け算そのものは難しいものでもなく、子供たちは興味を持って、掛け算を学ぼうとするでしょう。
 英語も同じです。しかし、まだ小学生に「なぜ、英語を学ばなければならないのか」ということを理解させる必要は無いと私は考えます。無理な話とも言えるでしょう。よって、同年代の様々な国の子供たちと遊ぶ機会を与えるだけで十分だと私は考えるわけです。

最後に
 久しぶりに長文を書きました。思いつくままにあっという間に書いた文章で、まったく理路整然としてませんが、今になって、「私はなぜこんなことを書いているのだろうか?」と我ながら疑問に感じてきました。
 ただ、5人の私の子供たちの何人かは既に小学生。まもなく小学生になる子供もいます。私は「英語を書く・読む・聞く・話す」というスキルを僅かですが持っています。そしてその素晴らしさも知っています。確実に世界や視野が拡大します。しかし、自分の子供たちに、少なくとも今の年齢の段階で、これらの素晴らしさを押しつけようとは思いません。ただ、近い将来、興味を持つようになれば、私なりにできることをやっていければと思っています。
 今の年齢の彼らにとって必要なことは、様々な科目をバランス良く学び、自分の考えを持つ能力を体得し、そしてその自分の考えを相手に伝える能力を身につけること、これらだけで十分であり、これらだけでもかなり難しいことだと私は考えます。
 英語は、まだまだ後で十分です。英語を勉強している子供たちよりも、運動場で走りまわっている彼らの姿の方を私はできるだけ多く見たいと考えています。

参考リンク:
現代の教育について
2006.02.28 Tuesday | 現代の教育について | comments(9) | trackbacks(3)

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2017.04.27 Thursday | - | - | -

皆様のコメント

おじゃまします。昔かじってたというかやってた話なので(大汗)。

外国語早期教育は多くの部分が臨界説を根拠になっているのかもしれません。米のクラッシェンなんかが唱えた説で、反論や批判も多いのですがそのクラッシェンの言う情動フィルター説、インプット仮説なんかと一緒でなんとなく実感できて「結構そういう面があるんじゃないの?」と経験的に納得してしまいがちです(w)。あんまり科学的根拠がある説ではないんですが、示唆に富んだアイデアなのは確かです。

小島さんはおそらく米国式のESLの流れをくむ英語教育/学習経験がおありだと思いますが、外国語教育/学習/習得論は1970年代後半以降、米のESLとは別の文脈で大きく発展を遂げていてます。日本の中学校の英語の先生なんかでも今は普通に「コミュニカティブ・アプローチ」のことを知ってるんじゃないかしらん?ヨーロッパ発祥のこの教授法に対する返答が米のESL方面から出だしたあたりでオレは、その世界から離れたので現在の日本の外国語教育研究がどうなってるかちょっとわかんないのがアレですが。。。

もし今の主流が「学習者中心主義」と当時呼ばれていた考えを基礎に置いているのなら小学校からの外国語学習もアリかな?という気がします。ここでいう学習者中心とは学習者のやりたいこと、必要なことに重きを置くということではなく(それが出発点ではありますが)、学習や習得のプロセスに注目する、個々の学習/習得のストラテジーに重きをおき、それをどのようにクラスやコースとしてまとめていくかということまで含まれます。

この考えを基礎にすると、上の臨界説に反しますが「人は何歳の時点であれ、その時点で最も効果の高いストラテジーを用いることで外国語習得は可能」、早くはじめようが遅くはじめようがあんまし問題ではないとなり、「何歳までにしか習得はできない」とする臨界説と出発点を異にしながら「早期外国語学習問題ナシ」という結論になるという(w)。

理想的なのは教育機関に選択可能なオプションとして用意されていて、子供とその保護者の意思によっていつ開始するかが決定できるようなシステムとかになるような気がしますが、そこまではどんな国でもやらないだろうなあ。

国が本気でやるなら学校と家庭、地域がかなり密に連携をとらないと成功しないとは思います。少なくとも10歳前から「受験英語」じゃ逆効果っぽいですね。

あ、最近の子供は「お受験」で幼稚園前から受験とかに慣れてたりするのかな(冷汗)?
koolpaw | 2006/03/01 12:28 AM
koolpaw様、恐らく何らかのコメントがあると予想していたのですが、かなりの長文コメントかつ専門的な内容なので、取り急ぎ、明日(いや現実的には今日)、再度、頂戴したコメントについて返信いたします。
で、明日は多忙が予想されるため、新規エントリをまずアップさせていただくことをご容赦くださいね。
(といいますか本音はもう寝ないと明日に非常に影響するということなのですが、そこまで苦労してweblogを続けるものなのかとも思いつつ・・・)
小島愛一郎 | 2006/03/01 12:42 AM
koolpaw様、二度目の返信です。

あまり、いやほとんどこの分野には疎い私ですが(では、書くなと言われそうですが)、10歳前後で受験英語スタートはいずれにしても酷ですね。

ただ、英語に限らず、何とか教育全体を変革してもらえらばとは思っているのです。ただ、地域・家庭との連携も不審者対策に現在はパワーが偏っており、かといって国が何を本気でやろうとしているかも不明確な昨今。

結局、基本は家庭で、家族でできることから少しずつなんでしょうね。
(とまったくコメント返信になってなくスイマセン。)
小島愛一郎 | 2006/03/01 1:38 PM
つけたしと訂正を。
>外国語早期教育は多くの部分が臨界説を根拠になっているのかもしれません。

ものすごい日本語だ(w)。
「早期外国語教育の導入を考える人達は、『臨界説』をその根拠にしているのかもしれません」みたいなつもりで書きました。

それと上で書いたことと正反対になりますが、「( ̄▽ ̄)いつ勉強はじめたって一緒だよーん」な学習者中心主義の考えから言えば「無理に小さいうちから外国語を学ぶ必要があるわけでもない」とも言えます(爆)。

>結局、基本は家庭で、家族でできることから少しずつなんでしょうね。
子供がいないオレが言うのもアレですが、まったくそのとおりだと思います。

小学校くらいから英語を始める利点のひとつは、遊びながら楽しみながら英語に出合ったり触れ合うことで「情動フィルター」がかかりにくくなることでしょうか?つーか後で自分の意思で本格的に勉強しようと思ったときに「めんどくさーい」とか思わないで、「オレもともとこれ得意だしー。スキだしー」とすんなり行動に移れる準備をしてやることが「早期」外国語教育のおおきな目的のような気がします。
Stephen Krashen's Theory of Second Language Acquisition
http://www.sk.com.br/sk-krash.html

ある先生によると
「( ̄▽ ̄)クラッシェンおもしろいけど全部うのみにしちゃダメだよー」だそうです(巨爆)。
koolpaw | 2006/03/01 9:22 PM
koolpaw様、少々、お返事遅れました。

>「早期外国語教育の導入を考える人達は、『臨界説』をその根拠にしているのかもしれません」みたいなつもりで書きました。

了解です。要するにある一定の年齢を超すと他国語を会得するのは困難だということなのだと思いますが、結局、動機なんです。受験ありきでは駄目で、興味・好奇心から自発的に学ぼう、といった出発点が必要ではないかと。

また仰るように英語に限らず、家庭や教育現場が、好きなこと・得意と思ったことを子供が見つけた際に、すぐに受け皿を提供する仕組みは必要ですね。

この点ではドイツのマイスター制度なんかは良いかもしれません。将来の受け皿が明確に提供されているという点で。

徐々にエントリの内容からコメント文章が乖離しかけてきましたので、このあたりで。。
小島愛一郎 | 2006/03/03 11:21 AM
「ほんとに今、日本で英語は必要なのか?」と問うのは現状認識が甘いんでしょうか?
taiji | 2006/04/19 1:23 AM
taiji様、貴サイトのエントリも拝見しました。

さて、直接の答えになっていないかもしれませんが、私が今回、このエントリで書いたように、毎日の暮らしに掛け算は必要だと子供が納得すれば、子供は掛け算を勉強すると私は思っています。

英語を話すことで違う世界を訪れることができるなどと子供が納得すれば、英語を楽しく勉強するでしょう。

ただ、またエントリで書いているように小学生には英語はまだ早いと思うわけです。この世代には他にやるべきことがあると私は考えているわけです。
小島愛一郎 | 2006/04/19 2:40 PM
言葉足らずのコメント、トラックバックで済みませんでした。

>英語を話すことで違う世界を訪れることができるなどと子供が納得すれば

ろくに英語を話せない僕は、
多分、ほんとの意味で納得できてないんだな、と思います。
(あ、でも海外行くたびに今度こそ、と思ってましたね・・・)
taiji | 2006/04/20 3:35 PM
taiji様、コメント返信遅れました。HDDがクラッシュしたため、復旧を最優先しておりました。

さて、今回のエントリやコメントに関係なく、英語は残念ながら? 世界の共通語となっています。できることならばtaiji様もまず英語を読むことにストレスを感じない程度になるように鍛錬を。

英語を話すことについては、自己がしっかりしていれば、相手はたどたどしい話し方でも必ず、コミュニケーションはとれます。

さてさて、まったくのご無沙汰ですので、メールでもいただければ、久しぶりにお会いすることも可能ですよ。

ではまた。
小島愛一郎 | 2006/04/23 3:19 PM
お気軽にコメント下さい:動画・画像といった関連語句をコメント文章に入れないで下さい。コメント拒否設定となります。









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皆様からのトラックバック
どうもGooとは相性が悪くて、コメントも入らない。しかたないので記事を書く。 先
英語に意見する | quimitoのご本ご本 | 2006/04/06 3:50 PM
英語教育を、小学校で、という話が進んでいるようです。 これを、Continental Breakfastさんが取り上げていて、 ********* Commented by taiji_nakao at 2006-03-29 23:04 x (本当は必要だけど)必要性を感じないのが、英語が伸びない一番の理由だと
英語教育について | ぴん ぽん ぱん! | 2006/04/19 1:21 AM
国家の品格、祖国は国語。 藤原正彦氏のお説に全面的に賛成。 小学校教育で大切なのは、 一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数。 昔も今も、大切なのは読み書きそろばん。 小学校で、英語そのほか雑多なことを教えるのはやめろ。 大切なことは、英語をぺらぺらし
小学校での英語その他の雑多な教育止めろ | お絵かきじいさんのある日 | 2006/09/09 4:20 PM

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