ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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2017.10.25 Wednesday | - | - | -
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他者を変えるためには、まず自らが変わらなければならない

人間は感情の生き物か?
 よく人間は感情で動く、感情に左右されやすいと言われます。そうかもしれません。あるいは、まったくの感情のみ、直感だけで動く方もおられるかもしれません。感情を中心に意識的に、また無意識かはともかく自らの行動を決めてしまう方を非難するつもりは毛頭ありません。ただ、「感情で動く」時には、必ず「相手や物事が存在」します。この「相手や物事」に対し、実は一種のフィルターを通して人間というものは見てしまいがちです。換言すれば「フィルター」こそが個々の世界観であり人生観なのだと私は考えます。

本末転倒な悪循環とは
 例えば、私も子を持つ親なのですが、子供たちの成績や振る舞いが良い方が自分としても嬉しいに決まっています。逆に悪い成績を取った場合、がっくりとしてしまうでしょう。「良い成績・悪い成績」というものは結果であって、その結果に左右される自分は、結局、子供を中心に考えているのではなく、「できることなら子供は良い成績であって欲しい」という「フィルター」を既に自分の心に持ってしまっているということです。極論すれば、できれば良い親でありたい=しかし子供が良い成績をとらない=結局、悪い親と思われてしまうのは嫌だ、といった本末転倒な循環に陥ってしまい、一旦、この悪循環に陥ると子供に対する気持ちや態度はゆがんだものに常に変化してしまう危険性をあると私は考えます。
 「子供の成績が良い」=「心が安定する」というような自らの心のあり方は、子供に対する考えだけでなく、自分自身の行動や感情の多くが他者中心・他者に依存してしまうことにつながってしまいます。

勝手に思い込んでいると考えるべき
 人はそれぞれ、自分なりの考えを持っています。「価値観のようなもの」と表現しても良いでしょう。しかし、「物事はこうあるべきだ」・「相手はこうなっているべきだ」という自らの価値観の多くは客観的ではなく、実は主観的な思い込みの場合がほとんどだと私は考えます。
 そして、この「勝手な思い込み」が自らの行動・相手への態度・考え方すべてを左右しているといっても過言ではありません。換言すれば、相手や事象に対し、素直に見ている・理解しているのではなく、無意識のうちに自分の都合の良いように解釈しているということです。よって、少しでも自分の考えが相手に受け入れられなかったり、相手が自分が正しいと思っていない行動をすると、すぐに相手が間違っていると解釈してしまいます。

自分の心のフィルターを見つめなおす
 今まで述べてきたように、相手や事象に対しては、自らが今まで経験し積み重ねてきた「心のフィルター」で我々は判断します。換言すれば「自らの心のフィルター」のあり方次第で、自分の行動だけでなく相手への思い、相手への接し方が変わるということです。
 より良い心のフィルターとは何か。私は、この出発点は「自分自身の内面をまず変えていくことにある」と考えます。相手が変わることや相手を正そうとするのではなく、自分を変えていく、あるいは相手が変わらない理由は自分に責任があることをまず「認める」ことではないでしょうか。

自分を傷つけることができるのは自分だけ
 例えば、相手が何らかの言動を悪意があるかないかはともかくも、自分に対して投げかけたとします。多くの人は相手の言動を受けてショックに陥るでしょう。しかし、「相手の言動を自らが受け入れて、はじめて自らの心は傷つく」と考えればどうでしょうか。少し違った角度から見ると、相手の言動に自らがわざわざ左右されてしまった状況に陥ったとも言えます。
 そうではなく、本来は、「人間というものは周りや自らが置かれた状況に左右されるのでなく、周りの状況や言動に作用を与えるくらいでなければならない」と考えるべきです。人によっては、些細な環境の変化や相手の言葉で自分の心が揺らいでしまう方もおられると思います。
 しかし、これではいつになっても自分をコントロールすることはできず、周りの環境変化に振り回され続けてしまうことになります。そうではなく、最終的には自らを取り巻く環境そのものまでも自分で作り出すことができなければならないと私は考えます。

自分の心のあり方を変える
 相手が動くのを待っていれば必ず相手の行動や言動に左右されます。その結果、「言われたからやらなくてはならない」=他人の都合によって自分の行動が強要されてしまう、「締め切りを決められたが時間が無くてできない」=これも他人が決めた都合によって時間という制限が自らの行動をコントロールされる、といった上述した悪循環に似た傾向を常に持ってしまうこととなります。「すべての問題は自分ではなく相手や周りの環境にあると決め付けてしまう」ことにもなりかねません。「外に問題があると決め付けてしまうことこそが最大の問題の根源」ではないかと私は考えます。
 よって、このような経験をされている方は、まず、自分の心の中にあるものを変えることから始める必要があると私は考えます。

まずは、自らの選択肢を出すことで確信が生まれる
 まずは自分が直面している状況やその時々の感情から一歩、身を引きます。そして、「自分で解決策を考え、自分で選択肢を相手に提示する」という流れが最も大切なのではと私は思います。誰が何を言おうと、どんな状況下にあったとしても「自らが決断する」ことによって、誰にも左右されなかったという、あるいはこの決断で正しかったという「確信や自信」が必ず生まれます。

私の経験から
 最後に私の経験です。立場上、私は社長です。最終的な判断や決断の結果は私に責任があり、その判断や決断が結果的に間違っていた場合の責任は当然、私が負います。これが日常茶飯事なわけです。
 こんな状況下において、他人の言動、もちろん判断を下すに当たっての貴重な助言も受けた決断が、結果として間違っていたとしても、その原因を「助言した他人が悪い」などと考えれば、きりがなく、かつ身体も心も安定を保てるはずもありません。
 また、第三者、例えば競合相手や取引先、お客様といった周りの環境・意向等に左右され、そこから決断や決定を下すという習慣で行動していれば、「間違った私の決断は第三者が悪いのだ」と考えてしまいます。しかし、現実として、そのような思いを持つことや吐露することも許されません。
 結局、上述したように常に周囲の環境や感情から少し距離を置いて、「自分の心のフィルター」を通して、何事も決断することが最も合理的ではないかと私は考えます。誰に左右されるわけでもなく、どんな環境に左右されることもなく、自分自身で判断したこと。判断が結果として間違っていたとしても、「判断した瞬間には、自分にとしては正しいという確信が確実に存在」します。この点が重要なのです。何度も繰り返すようですが、第三者や事柄に左右された決断よりも自ら確信を持った決断の方が、結果はともかくも自信につながっていきます。そして失敗を繰り返したとしても、その責任・原因は自分にあるわけで、第三者が悪いと言えない、という点も非常に重要なことです。
 言われたからやる、なんていう人生を毎日、過ごしていたら必ず後で振り返って後悔する人生となるのではないでしょうか。

「心のフィルターを磨くには」
 簡単です。今までの人生で「自分にとって最もプレッシャーがかかった」と思われることを思い出してください。今でも冷や汗がでるような、今でも赤面しそうな事柄です。そして、もう一度、同じ場面に遭遇しても、自分はまったく意に介せず逆にリラックスできるようにイメージすれば良いわけです。このイメージトレーニングを繰り返していけば、少しずつ自分が変わっていくことを感じることができます。私も最近、今、書いたようなことを無意識のうちにやっているなと実感した場面がありました。

最後に
 何度かコメントを頂戴している「かき丸」様が「こどもが理由」というエントリを書かれています。ご自身で仕事をお持ちでいながら子育てもされておられる方です。
 エントリではお子様の体調が悪いという原因でクライアントに納期について相談されたとのこと。その時のクライアントの回答が「子供のこと言われても、困るんだよね」ということだったとのこと。詳細は「リンク先記事」をまず、ご覧ください。
 僭越でありかつ内情をまったく知らない私ですが、今回、エントリしたように周りの環境に左右されず、第三者の影響も受けず、まず自分自身が最適と思う選択肢を選ぶ。そして、相手に提示することが重要だと私は考えます。「自分が納得した選択」とも言えるでしょう、その結果、相手が何と言おうとも。自分が納得し確信した選択を続けていくことが、最初は難しいかもしれませんが、遠いようで最も近道のような気がします。

 以上、少々、哲学・心理学のようなエントリになりましたが皆様のご参考になれば幸いです。

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2006.07.21 Friday | 私のお気に入りエントリ | comments(2) | trackbacks(0)

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2017.10.25 Wednesday | - | - | -

皆様のコメント

 小島愛一郎様、先日はコメントありがとうございました。
 昨今は、最終的な判断や決断の結果を引き受けない社長が散見されます、部下の責任にしたり、組織的な不備を理由にして逃げてしまうことがあります、情けないことですね。

 ただし、社長には社長の判断や決断がありますが、権限委譲を進めれば進めるほど、それぞれの立場で判断と決断の重要さが増してきます。最終的な責任は社長ですが、それぞれの立場で最良な判断や決断のできることが世の中のお役に立てることだと思いますね。

 「子供のことを考える」ということは実は小島様が言われているフィルターが存在するかもしれません、逆に子供の立場に立てば「お父さんが頑張ってくれるのが嬉しい」となるのかもしれませんね。
 その辺は、それぞれの家族の関わり方や、考え方が大きいと思いますので、難しいものですね。
大峰 | 2006/07/22 5:37 PM
大峰様、わざわざご来訪いただきありがとうございます。

おっしゃるとおり、昨今、情けない社長が多すぎますね。自分で判断・決断していないからだと思います。そんな社風・組織にはなりたくないと私は考えています。

また権限委譲の重要さも理解しています。うまくいけば、会社は成長します。問題は何を権限として委譲させるかという範囲の問題だと思います。

ただ、経営に関係なく、今回のエントリで主張したように自分自身が決断するか否かで、個々の人間としての成長が大きく左右されると私は考えます。周りの助言や環境に左右されず、左右されても良いのですが、いずれにしても「自分が決断する」ことが大切で、その決断が失敗すれば、何が原因だったかを自分なりに追求するはず、成功したなら次の決断はもっと確信を持つはず。

結局、自らの行動・言動に責任を負うことは最後までその判断を見届けることにつながります。そして、冒頭で書いたように昨今の経営者の多数が、自ら決断していないから希薄なあるいは第三者が見て、なぜこんなことを言うのかな、といった反応しか返ってこないのではと私は思っています。
小島愛一郎 | 2006/07/23 4:40 PM
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