ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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ターミネーター3が示唆したもの:もう「地球最後の日」を見せるべきだと私は思う。

 最初に断っておくが、これから書くことは極論であり、暴論だと多くの方が思われるかもしれない。それでも良ければ読み続けていただきたい。

 先週金曜日に地上波で放送された「ターミネーター3」を久しぶりに見た。

ターミネーター 3 プレミアム・エディション
ターミネーター 3 プレミアム・エディション
アーノルド・シュワルツェネッガー

 映画内容そのものではなく、ターミネーター3のストーリーから直感で思った温暖化対策の一つのあり方について私なりに書いてみる。
ターミネーター3のストーリーと結末

 過去の主役であった母サラが死に、大人になったジョン・コナー。そして彼のクラスメイトだったケイト。そして2体のターミネーターがこの作品の主たる登場人物である。一方の女性型T-Xは彼らの命を狙い、一方のT-850(シュワルツェネッガー)は、彼らの命を救う。
 作品の最後に「スカイネット」というネットを利用した最新鋭のシステムは、誤作動を起こす。「スカイネット」を停止させるために、システム管理者であるケイトの父は、ある場所に行けば良いと伝え、息絶える。
 その場所は、「スカイネット」の中枢ではなく、地下深くの核シェルターだった。そして、核シェルターにコナーとケイトが到着した時、全世界へ向けて核爆弾が発射される。いわゆる「審判の日」であり、世界が滅亡へと向かう最初の日だ。

 結局、世界を助けるためにターミネーターが来たのではなく、「審判の日」にコナーとケイトを核シェルターに移動させ、将来の人類のために彼らを生き延びさせることがT-850(シュワルツェネッガー)の目的だった。

まだ議論ばかりという現実

 映画ではなく現実に戻る。

 ドイツで開催されたG8で、地球温暖化問題に対する日本の考えを「美しい星50」と命名し、サミット参加国へ提案した。そして、参加国も曖昧な表現ではあるが、「美しい星50」はともかくも、温暖化対策への取り組みに同調、決意表明した。大きな前進と評価する人々がもちろん存在している。

 また「bp special ECOマネジメント/特集&リポート:ポスト京都−日本の戦略」では、長文で、温暖化問題を網羅し、日本があるべき姿が書かれている。一部、抜粋してみる。
(是非とも全文をご覧いただきたい
長期目標ということを考えると、基本的に技術革新がなければ、どんな濃度でも長期の安定は無理だろうと思っています。省エネも重要ですが、それだけでは無理です。では、技術革新のためには、どういう国際的な枠組みが必要か。結論を言うと長期の枠組みです。

 その後、長期目標を実現するための短期目標について子細に述べられている。そして、最後に下記のように締めくくられている。
さて、ここまで地球温暖化の話をしてきましたが、世界が直面する問題は温暖化だけではありません。一つはエネルギーの安定供給。省エネルギーは温暖化防止にもつながりますが、石炭の使用はエネルギーの安定供給にはいいけれども、温暖化防止では問題がある。それからミレニアム開発目標の問題、つまり貧困、飢餓、教育、病気などの問題があります。お金を含めて世界のリソースは有限で、すべての問題を解決するには十分ではありません。温暖化問題だけにすべてを使うことはできない。「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の選択が必要なことも事実です。こうしないと世界の資源の有効利用はできません。こういう文脈で温暖化問題を考える必要があります。

 (一部割愛)

関心の高いところにたくさん投資するのではなく、リスクの高いところに使うための分析が必要です。環境と経済の両立に向けて、われわれはもっと冷静に考えるべきだと考えています。

 温暖化だけでなく、他にも様々な問題があり、これらを両立させ、冷静に分析すべきという結論である。

 「冷静に分析すべき」という点に異論は無い。ただ、「冷静に分析している時はもう終わっているのでは」と私は考える。言うのは簡単だという批判はあろうとも、身近な樹木と接する環境教育や、衰退した樹木の活性化、景観保全を事業として永年、関わっている私の率直な思いだ。
 残念ながら、温室効果ガスの排出量をコントロールすることだけを捉えても「時、既に遅し」と私は思ってしまうのである。技術革新、全国家の団結が実行され、国家や科学者が冷静に分析し実施したとしても「排出量増加へのブレーキがかかるだけ」としか思えない。

 違った視点で、一例を挙げてみる。

 私は仕事柄、「環境省」のメルマガを受信している。昨日7月3日付けで、最新情報と共に最後の部分に掲載されているのが下記の内容だ。
(一部、機種依存文字があるため、そこだけ私が訂正)
環境省イベント・キャンペーン情報

1人1日1kg私のチャレンジ宣言
CO2削減アイデア募集中(7/20まで)
「21世紀環境立国戦略」を策定しました
温暖化対策で世界各国が決意:G8サミット、美しい星50、IPCC報告書
平成19年版環境・循環型社会白書を読む会を開催しています。
地球温暖化をテーマとした「政策ライブトーク」がライブ中継されます。

地球温暖化防止「国民運動」(チーム・マイナス6%)展開中
さあ次は「うちエコ」!
「我が家の環境大臣」エコファミリー募集中

 このような感じである。

 「美しい星50」を否定するつもりは無い。ただ、少なくとも、日本では私の知る限り、行政からは、「我々、日本人一人ひとりができる小さな一歩の募集」・「実際にやってみよう、エコ運動」・「国家としてこんな戦略を策定しました」・「こんなイベントがあります、参加しませんか?」といったものが大半を占めているのではないだろうか?

 ここにも違和感を覚える。「温室効果ガス排出量にブレーキがかかる」とは思えない。過大に考えたとしても「アクセルが少し緩む」程度のものでは無いだろうか。

危機感に直面できない個々の人間

 温暖化問題については、科学者や専門機関が出した提言や報告に基づいた、下記のような論理が大半だと思う。特に一般の人々が理解している範囲では。

1)生態系が温暖化で異常な事態になることが予測されています。
2)予測によると人類も多大な影響を受けます。
3)特に国によって影響の度合いに大きな違いがあるとも予測されています。
4)よって、先進国・途上国それぞれ全世界が団結し、温暖化対策をしましょう。

 そしてようやく、国家間でのG8で合意を得た。やっとである。国家としてやるべきことが合意されたことは理解できるが、難しいとは思うが、我々、個々の人間は何をすべきかなどは、まったく明確になっていない。今回のG8が「始まり」とは言え、G8終了後、我々の生活や習慣は何の変化も生じていない。また具体的に何をすることが最善かについて発信もされず、私にも見えていない。これは、温暖化が問題視されてから、ほとんど変化が無いとも言える。

 個々の人間がすることは、地球温暖化をテーマとした「政策ライブトーク」のライブを見ることなのか、また募集されている「エコ」に関するアイデアを出せば良いのだろうか。
 私も仕事柄、提言や報告を読んでいる。そして、極めて重大な危機が迫っていることが理解でき、このサイトでも語ってきた。ただ、国家も行政も、危機感を煽ることもなければ、現実問題として、もっと直視すべきと言い放つことも無い。だから、何をすれば良いのかを提示できず、我々も見えてこない。

再度、ターミネーター3へ

 ターミネーター3の結末は、核爆発によって人類が滅び、コナーとケイトは爆発直前に核シェルターに隔離された。生態系も核爆発で瞬時にほぼ壊滅しただろう。しかし、「人類」だけは、たった二人だが生き残った。その後の将来の人類のために。

 この論理が、温暖化対策にもうっすらと見えると私は思う。「究極的には人類さえ生き延びれば良い」という発想だ。
 「温暖化によって生態系は大きなダメージを受ける。その影響で人類も大きな影響を受けるので、何とか生き延びる対策を人類全体で実施しましょう」という人類中心の論理。当然かもしれない。

 今から百年後、いや数十年後、どんな対策を行っても地球は「美しい星」ではないだろう。ただ、それは人類から見た「美しい星」なのである。ここにも人類中心の論理が見える。人類を除く、他の生命は「美しい、汚い星」などといった尺度で考えてもいないというのに。
 数百年後、どのような状況なのか想像できないが、「地球」は存在しているだろう。温暖化やその他の要因で、核戦争が生じたとしてもで地球そのものが爆発することも無いだろう。しかし、「少なくとも人類も生き延びたい」という考えがある限り、「人類の存在しないところは地球ではない」という発想が成り立つ。

 温暖化が進んでも地球は存在している。しかし、今とはまったく違った状態で存在している。そこには人類はいない可能性が高い。

 極論すれば、「星としてあるが人類が存在して地球がある」ことをもう、明確に国家が示すべき時ではないだろうか。より具体的に、誰もが理解できるように、人類が存在しない地球というものを提示すべきではないだろうか。
 そうすれば、自分の子供や、孫が年齢を重ねる頃に、「人類が存在しない地球」が、こんな形であることがわかり、強烈な危機感も存在し、現実問題として直視するのではないだろうか。「クール・ビズ」どころのレベルではないことに気付くだろう。

最後に

 重複になるが、もう「最後の地球」を国家が見せる時期に来ていると私は考える。努力はするとしても、努力が実らなかった時の姿を見せるべきではないだろうか。
 我々は、環境を改善する事業を永年、実施している。マクロ的には大きく変化していないように見える生態系も、ミクロでは少しずつ変化していることを実際に見ている。いつもは存在していたはずの昆虫がおらず、植生にも変化が現れている。

 しかし、もう中小企業がいくら環境改善の事業を継続しても、温暖化へのブレーキになるには微力すぎることに気付いている。
 また、私は経営者である。事業計画を作る際も、「最善・普通・最悪」といった最低限3つのシナリオを描き、計画を進めていく。

 誰か、どこかの国が、「地球最後の日」、いや「人類最後の日」といった最悪のシナリオを明確に提示すべき時だと私は考える。その最悪のシナリオをより改善させるために、国・地域・一人の人間、これらそれぞれが何をすべきかについても併せて、明示すべきだろう。「アイデア募集」では遅すぎるのだ。

 映画の世界ではターミネーターが「最後の審判の日」を乗り越えさせるべく、未来からやってきた。しかし、現実は違う。誰も助けには来ない。
 誰もが理解しているはずなのに、誰も行動に移していない。そして、時だけが経過し、取り戻すことができない現実を、後世の世代へ残してしまう。

 「最後の地球」を今、すぐにでも見せるべきだと私は考える。

私も参加している起業家ブログをクリック下さい

2007.07.04 Wednesday | 環境問題への思い | comments(0) | trackbacks(0)

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2017.07.26 Wednesday | - | - | -

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