ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
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木村秋則氏「フジ」2007年度抽選応募受付終了のお知らせと最後のお願い

岩木山
(アップルロード(農道)から見た津軽の山々:私が青森滞在最初の冬である1994年頃に撮影)

御礼申し上げます。

 木村秋則氏の最後の品種である「フジ」を「自然栽培リンゴ農家:木村秋則さんのリンゴ・リンゴジュース公式通販サイト」(以下、通販サイト)でお知らせしましたように、2007年12月20日18時から抽選応募の受付を開始し、本日2007年12月21日18時に終了致しました。
 まずは、多数の応募を皆様から頂戴し心より御礼申し上げます。今回の「フジ」の抽選応募をもって、今年度の木村秋則氏のリンゴの取り扱いは終了となります。
 「通販サイト」にお知らせしておりますように、来年1月に当社にて応募いただいた皆様に対し抽選を実施し、その旨を「通販サイト」にてお知らせ致します。よって、「当選のメール」や「当選された方へのフジの発送」も来年1月となりますことをご容赦下さいませ。

我々と木村秋則氏の関係

当社会長と木村秋則氏
(当社会長と木村秋則氏:1994年2月中旬頃撮影)

 今回の抽選応募受付期間中も含め、「なぜ京都の会社が木村氏のリンゴを取り扱うのか」というお問い合わせを、今までに多数、頂戴しております。この場にてご説明致します。
 当社会長は、全国展開していたホテルチェーンの元常務で、青森県弘前市にもホテルがありました。そのホテルのレストランに木村氏はリンゴを納品されていました。今から15年以上前のことです。
 元常務時代に弘前市のホテル視察に行った際、偶然、木村氏のリンゴ畑を訪問しました。単純に、リンゴ畑とはどういったものかを見たかっただけのことです。そして、その畑で木村氏は、リンゴ栽培に関する苦労を会長の前で説明されました。まだ、今の収穫量の7割程度しか実現できていない時期でした。

 リンゴは、うまく実をならせるために、剪定しなければなりません。また、剪定後の切口は、農薬系の塗布剤で病原菌侵入のために保護しなければなりません。しかし農薬を使用しない木村氏は、土を塗るなど、剪定切口の保護に苦労されていました。
 また、リンゴの最大の病害の一つに「フラン病」という病気があります。剪定後の切口などから病原菌が侵入し、幹や枝を腐らせ、衰退させる病気で、リンゴにとって大敵ともいえる病害です。この病害についても木村氏は農薬を使用することができず、「泥巻き法」という枝や幹の病害部分全体に土や泥を巻きつけるかなり手間のかかる対処をされていました。

 木村氏の苦労の話や実際の泥巻きの姿などを見た当社会長は、ホテルチェーン常務時代に、ワサビの抗菌作用を何とか応用できないかと考え、木村氏と共にホテル業務と並行し、開発に着手しました。
 この頃、私自身は米国留学中で、日本に一時帰国した時、「木村秋則」という名前の方からファックスが来ていることを何度か見た記憶がありますが、何をしている方なのかまったくわかりませんでした。

 そして、ワサビの抗菌作用を利用した切口保護用の塗布剤は、その後、ある程度、完成しました。私が留学を終え、帰国後すぐにホテルチェーンに就職した頃のことです。地元の弘前大学農学部の先生に比較試験のデータをとっていただき、1993年に特許を申請しました。
 ただ、当時、ホテルチェーンの常務であった当社会長は、せっかく開発できた塗布剤の販売に専念する時間的余裕はありませんでした。そこで、帰国したばかりの私に青森での製造・販売をすべて任されました。
 青森赴任の命令が出た1993年11月から、私は生まれて初めて雪国での生活を始め、それから数年間、滞在しました。そして木村氏や奥様と、ほぼ毎日のように顔を合わせ、慣れない青森での生活、塗布剤販売などの支援を頂戴しました。
 もちろん、木村氏のリンゴ畑にも塗布剤が活躍したことは言うまでもありません。

 これが、私どもと木村秋則氏との出会いであり、過去から現在に至るまでのきっかけです。

木村秋則氏と小島愛一郎
(木村氏(左)と私:塗布剤の製造工場にて撮影)

そして、京都へ:インターネットで木村氏のリンゴを販売

 青森滞在時の数年間、樹木の切口用保護剤である「樹木の味方」は、多くの方々にご利用いただきました。そして私がいなくとも地元の代理店の皆様に販売いただけるまでにこぎつけることができました。
 そのような状態の中、私も生まれ故郷である京都に戻りました。1998年に初めて「樹木の味方」の技術は、米国特許を取得できました。同年に韓国特許も取得しました。その後、日本だけでなく欧州各国でも特許取得しました。
 これらをきっかけに、我々は緑化資材である「樹木の味方」を販売するだけでなく、「環境に考慮した技術を活用し、衰退した樹木や天然記念物といった貴重な樹木など、多種多様な樹木の再生・維持管理を事業化」しました。

 もちろん、京都に戻った後も木村氏との関係は続いていました。青森の木村氏の知人は、木村氏のことを「秋則」を省略した「アキ」と呼びます。木村氏は私のことを「愛一郎」を省略した「あいちろう」と呼ばれます。私は単純に「おやじ」と勝手に呼んでおり、今も「おやじ」・「あいちろう」で続いています。
 そして、インターネットがある程度、全国的に普及した2000年頃に、まだまだ無名だった木村氏を応援すべく、木村氏のリンゴやリンゴジュースのネット販売を開始しました。
 今は、誰もがメールやインターネットを利用する時代ですが、木村氏はインターネットはもちろん、メールもされません。コミュニケーション手段は今でも電話だけです。

 いずれにせよ、2000年初頭頃は、まだまだ木村氏の存在は知られておらず、我々は年間を通じ、樹木の維持管理という本業と共にゆっくりと静かに、ネットだけでなく電話やファックスでも販売を続けていました。

最後に:木村氏のリンゴがこれ以上、幻のリンゴにならないように

 昨年2006年12月7日にNHKの番組である「プロフェッショナル 仕事の流儀」に木村氏が出演されました。撮影自体は夏頃から行われており、私も出演されることだけは知っていました。
 よって、出演前に「通販サイト」をゼロから立ち上げ、数万程度のアクセスに耐え得る状態に準備しました。これが、2006年秋のことです。NHK出演前に全国紙などに木村氏は紹介され、「通販サイト」での販売が10数分で完売・終了という経験したことがない状態が続きました。
 そして、NHK出演後の皆様の反響は予想以上でした。多数の問い合わせや販売方法の見直しの依頼、他に販売している場所はないかといったものから取材依頼・書籍や図鑑の出版協力依頼など多様でした。
 こういった状況の中、まず電話・FAXでのお問い合わせを一切、お断りすると共に、試行錯誤の結果、「抽選」という販売方法を始めたのが番組放映後の「フジ」でした。

 「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、木村氏のことを「不可能を可能にした男」、「インターネットですぐ完売」と仕方が無いことかもしれませんが、少し大げさに紹介されていました。これは、我々の「通販サイト」の当時の現状を紹介されていると共に、同時期に別に立ち上げ、私が名付けた「不可能を可能にした男:自然栽培リンゴ農家 木村秋則」というサイトから引用されたものと理解しています。
 ただ、木村氏のリンゴについて「奇跡のリンゴ」・「幻のリンゴ」などといった表現を我々からは一切していません。誰かが名付け、ひとり歩きしている状態と私は考えています。

 いずれにせよ、木村氏が今の栽培方法を開始し、10年近くまったく実がならなかった頃から一貫して応援されているお客様がおられます。そして我々にも2000年頃から開始したインターネット通販で毎年、ご注文をいただいたお客様がおられます。
 しかしながら、これらの最も木村氏を応援され続けてきた皆様にも木村氏のリンゴは入手が困難な状態になっています。少なくとも我々の2000年頃からのお客様も「抽選に当たれば手に入る」という状態なのです。おかしな話であり、残念なことだと私は考えます。

 このような状態にまでメディアに紹介されれば、誰しもが一度は、木村氏のリンゴを味わいたいとお考えになるでしょう。まったく異論はありません。ただ、木村氏のリンゴが皆様のお手元に届くまでには、真冬の剪定から、真夏の作業、そしてまた真冬の出荷といった過酷な労力が存在しています。
 もちろん、木村氏のリンゴだけではありません。リンゴ農家の方々だけでなく、農家の方々は、様々な苦労を一年間された結果、やっと皆様のお手元にその苦労の結果が届くこととなります。工業製品のように注文があれば、一年中、出荷できるものではありません。

 皆様が木村氏のリンゴを食べてみたいという気持ちは先に書きましたように当然のことだと考えます。我々もインターネットで販売し、多くのお問い合わせを頂戴しており、皆様のお気持ちを直接、肌で感じています。
 ただ、「木村氏のリンゴ」ということだけでなく、皆様のお手元に届くまでに、一年間、そして今、私がこの文章を書いている間もご家族で出荷作業をされているという事実についてまずは、ご理解いただければと存じます。

 これから、何を皆様にしていただきたいのかについて具体的なことは、まったくありません。

 ただ、あと数年、いや、もしかして来年には木村氏のリンゴが「奇跡」から「幻」になる可能性があります。それを防ぐために、皆様ご自身で何ができるかについてご一考いただければと存じます。
 秋の最も多忙な時期の木村氏の畑のツアーが、果たして木村氏にとってありがたいことなのか。年間を通じて、ほぼ無償で依頼された講演や指導で全国を飛び回ることが果たして、木村氏にとって、あるいは講演や指導を受ける方にとって、今、本当に必要なことなのか。

 これ以上は、皆様のご判断にお任せいたします。

 ただ、何かできることがあるとお考えの方は、何かをして下さい。木村氏にとって必要だと思うことをしていただければと思います。もちろん木村氏に対して直接、何かをしなくとも、できることは必ずあるはずです。

 そして、最後になりますが、ここまでリンゴの最大の産地である青森県を全国に広めた木村氏に対し、青森県の行政の方、関係者の方は、木村氏に対し、何かをすべきだと私は考えます。
 私は、青森滞在時から今も、農薬を適切に使用されている青森県のリンゴ農家の方々と懇意にさせていただいております。農薬を使用することが悪であるなどとは私は一切、思っていません。防除暦に基づいて適切に農薬を使用され、トレーサビリティの観点からも、しっかりと管理されている農家の方に多数、今もお世話になっています。
 木村氏のリンゴをインターネットで販売している理由は先に述べたきっかけがすべてです。きっかけ、当社会長との出会い、塗布剤の開発、そして数年間の私の青森滞在が無ければ、今、このようなことも書くことすらなかったでしょう。

 いずれにせよ、ゴールデンウィークに満開になる弘前公園のサクラ、夏の祭り、秋のリンゴの季節や紅葉以外に「青森県」を訪れる、想像する方は多いとは言えないでしょう。「弘前市」を「ひろまえし」と読まれる方も、まだ多数、存在していると私は考えます。
 しかし、木村氏は「青森県」そのものを世に広めた方です。重複になりますが、木村氏には、他のリンゴ農家の方への配慮をふまえ、行政の方は何かをすべきと考えます。明確には述べませんが、青森県民特有の気質を捨て去るべきです。

 木村氏の農法だけでなく、木村氏のように青森県、そして青森産のリンゴの可能性を広げることが可能な本当の後継者を青森県にこれからも何十年も必要とお考えならば、ご一考下さい。これだけは、木村氏個人はもちろん、個人の力でできることではありません。

 サン・アクト株式会社 代表取締役 小島愛一郎

自然栽培ひとすじに
自然栽培ひとすじに
木村 秋則

 【木村秋則氏と私の関係に関する関連エントリ】
- 「自然栽培農家:木村秋則氏との出会い、そして今、思うこと
- 「木村秋則氏の「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀」出演に思う
- 「自然栽培ひとすじに(木村秋則氏著)

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2007.12.21 Friday | 木村秋則氏:リンゴ・リンゴジュース | comments(0) | trackbacks(0)

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