ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘

 サン・アクト株式会社は京都で、環境や緑化だけでなく、
深く多様な衣食住空間をできる限り発信することを目指す企業です。
 ベンチャー企業社長である、私自身が語る挑戦と苦闘の日々。
また、妻と5人の子供達の歩み、そして様々な方へ、私なりの思いをこのブログで発信続けていきます。
<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 皆さん、「はてなブックマーク」を定期的に掃除されていますか? | トップに戻る | Say Hello to The New President! >>

小さな空間での罵声、そこで見えたどうしても交差することができないものがあるという現実



ある日のトンネルでの出来事

 数日前の夕方、私は打合せを終え、車で会社へ戻っていた。

 その途中、いつもの通勤経路でもある小さなトンネルに近づいた。車一台のみしか通ることのできない小さなトンネルだが、抜け道のようなもので大通りを車で走るよりもかなり早く会社へ到着することができる。
 小さなトンネルは長さ約20メートル程。トンネルに入った瞬間に、80歳くらいと思われるご夫婦がトンネル中ほどに歩いておられた。奥様は杖を持って、そしてご主人らしき方は自転車を押しながら。

 私は、車を完全に停止させ、車の窓を開け、「どうぞ、先に行ってください」と言おうとした。しかし、私の一言よりも先にご主人が叫ばれた。

 「行けるだろ、先に。早く行けよ!」と。

 吐き捨てるような、罵声に近いものだった。

 私は、頭を下げ、車を徐行させながら、その場を走り抜けた。

別の日のトンネルで

 他の日に、またこのトンネルを通ることがあった。トンネルを入ろうとすると、20代くらいのお母さんと2人の小さな子供たちが自転車で反対側からトンネルに入ろうとしていた。
 私は、車を停止し、窓を開け、「どうぞお先に」といった意味を込めて、窓から手を出した。しかし、お母さんと2人の子供たちは、逆に「どうぞ先に行って下さい」といった感じのジェスチャーを見せた。

 私は、ゆっくりと車を走らせ、トンネル入り口で待ってくれていたお母さんと2人の子供たちに車内から軽く会釈をした。相手も軽く会釈を返してくれた。

数秒間のコミュニケーションに存在する大きな違い

 「小さなトンネル」という危険な空間では、私は自分の車よりも歩いている方や自転車に乗っている方に先に通ってもらう。そして、数秒間の出来事ではあるが、そこには、多くの場合、お互いに軽い感謝のようなコミュニケーションが存在する。
 逆に、先に書いた老夫婦のような罵声をこの「小さなトンネル」では今まで経験したことが無かった。しかしこれも一つのコミュニケーションなのかもしれない。負のコミュニケーションといっては大げさかもしれないが、そこには大きな違いがあると思う。

 私は今回のような罵声を浴びせられるくらいではまったく何も気にならない男だ。しかし、世間の多様な人々の中には、ちょっとした罵声、ちょっとした言葉の行き違いで大きな心の傷を負う人が存在するのではと私は考える。「小さなトンネル」に限らず、電車の中や会社、そして学校など様々な場所で、ある人にとっては些細なことでも、ある人にとってはとてつもなく悲しいことと考える、思い込んでしまうことがあるということだ。

罵声を浴びたことで唯一、見えたもの

 今回、罵声を浴びせられた後、なぜ、あのような言葉をご老人が発せられたのか、しばらくの間、考え続けていた。しかし、いつになっても答えはみつからなかった。
 自分が良いと考えた行動も相手にとってはそのように捉えてもらうことができないという事実だけは私にも理解できた。

 どうしても交差することができない、どんなに自らが努力しても相手にはわかってもらえない何かが存在していると言えるかもしれない。現代の社会の一面を現しているとも言えるかもしれない。

 そして、ご老人の罵声はともかくも、先に書いたように些細な言動で大きな心の傷を負ってしまう人の存在も、このエントリを書きながら改めて認識した。ただ、私自身がいくら注意しても、ちょっとした私の言葉で心に傷を負う人がいることも、また心に傷を負わせてしまうことを回避できないという事実も存在しているのではないかと考えた。
 罵声を浴びることも、相手の心に傷を負わせてしまうような言動も、日常生活の中で回避できず、突如として降りかかってくるという現実。これもどれほど自らが努力しても無理な事実の一つだろう。

 いずれにせよ、これ以上、なぜご老人があのような言葉を発せられたのかについては考えないこととしよう。またなぜこんな世の中になったのかについて模索することもしない。

 ただ、今回、いろいろと考えながら、唯一、一つだけ見えたことがある。

 自らがどんなに努力しても回避できない何かが現実として存在しているのなら、自分が唯一できることは、少なくとも、こんなちょっとしたことで、罵声を浴びせるような人間にだけは私は絶対になりたくない、ならないということだ。

※「ベンチャー企業社長ブログトップ10位へ
※「特選された起業家ブログ集トップ10位へ
2008.06.17 Tuesday | 社会への思い | comments(9) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

2017.06.11 Sunday | - | - | -

皆様のコメント

お久しぶりです。
いつも記事を楽しみにしています。

80歳くらいと思われるご夫婦のエピソードをお読みして思うことは、過去にこのご夫婦は車に乗っている方からひどいことを言われたことがあったのでは、ということです。
そんなことをわたしは推測してみました。

ゆずりあい、助けあい、心の余裕がないとなかなかできません。

小島様のすてきな姿勢は私を含めた多くの方々に広まっていってますよ。
よしらいき | 2008/06/18 4:56 AM
よしらいき様、ご無沙汰しております。

そういう考え方もあったかもしれませんね。過去に車で嫌な経験があれば、今回の言動も少しだけですが理解できると思います。

いずれにせよ、いくら過去に嫌な経験があったとしても、私が今回書いたように、どんなに注意しても、あるいは大丈夫だろうと確実に思っていても、発した言葉や態度に傷つく方がおられると思います。これだけはどんなに努力しても回避できないという現実。

人間関係と言うものは本当に難しいものですね。ご指摘の通り、誰の心にも余裕が無い時代になったとも言えます。

>小島様のすてきな姿勢は私を含めた多くの方々に広まっていってますよ。

嬉しいコメントありがとうございます。私の姿勢はともかくも、このエントリを見て、何かを感じ、そして何かを変える方が増えればなと考えています。

ではまたお気軽にご来訪下さい。
小島愛一郎 | 2008/06/18 10:02 AM
初めて読ませていただきました。確かに歩行者の立場から見れば狭い道路で自動車と交錯するのは煩わしいものがあり、私なども正直「こんな狭い道路通らなくてもいいだろう」と心の中で悪態をついてしまうことがたびたびあります。歩行者優先の考え方が欧米に比べて徹底的に遅れている日本では、そういう狭い道路を自動車が我が物顔で走り抜けることも珍しくなく、ひやひやする経験も多いからです。ましてや機敏な動作もままならない年配の方であれば、その思いは一段と強いに違いなく、その感情が思わず口から出てしまったのではないかと思われます。きちんとマナーを守っているドライバーの方々には何の責任もないのですが、車に対して元々ネガティブな感情を持っている歩行者は少なくないことをドライバーの方々は理解された方がよいかと思われます、
一読者 | 2008/06/18 5:11 PM
一読者様、はじめまして。私のサイトに初めてご訪問されたとのこと、ありがとうございます。

実は過去には何度か書いているのですが、私は米国の大学院に数年間、通っていました。私の経験からも自動車と人との関係は日本は極めて乖離があるなと感じています。少なくとも米国では絶対に障害者の方のための駐車スペースに健常者が駐車することはありません。

いずれにせよご指摘の通り、小さな道を夜間に走り去る車は多数、ありますね。そして、ご年配の方なら一度だけでなく何度も怖い経験をされたと思います。私も(これも私のサイトで何度も書いていますが)、5人の子供がおりまして、車には本当に注意しろと常に言っていますが不安感は消えません。

今回のエントリの主旨は、車を運転するという行動に限らず、発する言葉や相手に対する態度、いずれも自分は良いと感じていても、完全に理解いただくことは難しいという点にあります。

そういった意味も含め、最初からネガティブな感情を車に対して持っておられる方の存在については、運転者はご指摘の通り、必要以上に留意すべきと考えます。

ではまたお気軽にご来訪下さい。
小島愛一郎 | 2008/06/18 8:21 PM
私の勝手な憶測ですが、その方は、もしかしたら、
「認知症」の始まりだったのかも知れません。

職場(眼科)の患者さんをみていると、
ある程度の年齢から、急に怒りっぽくなる人があるんです。

ひどい言葉を、軽蔑しきったような口調で、吐き捨てるように言うのが特徴で、
ご本人には、そんなひどい言い方をしている意識はないようです。

私も初めて体験した時は、すごく傷つきましたが、
今は、“だいぶ認知症が進んでこられたなぁ。”
“こんな心穏やかでない老いを与えられて、痛々しいなぁ”と、思っています。

元々あまり人と話さない、おとなしくて几帳面な人が多いようです。

私も昨日、そんな方に、
「はよせぇ!グズ!ほんまに悪かったらこんなとこ来るか!さっさと終われ!」
って、怒鳴られながら、視野検査をしてました。。(苦笑)

「そうですね〜。急ぎますね〜。」って笑顔でこたえるしかない。(苦笑)

きっと、一番不幸な老い方を、神様から授かって闘っている人なんだな〜。
えみしゃん | 2008/06/20 9:24 AM
えみしゃん様、コメントありがとうございます。

私は認知症の方と出会ったことが無いので何とも言えません。また、ある程度の年齢から怒りやすくなる方がおられることも経験はしていません。

ただ、えみしゃん様の体験談は参考になります。相手の方の無意識の言葉が第三者にとって非常識な言葉になっているという事実。笑顔で応えるしかないですね。

いずれにせよ、認知症という病かどうかに関係なく、無意識の言動が相手の心を傷付けてしまうことに変わりはありません。そして常に笑顔で応えるのも限界があり、笑顔で応えられない方も存在すると思います。いわゆるこのエントリのタイトルである「どうしても交差することができないもの」に相当するわけです。

だからこそ、第三者を変えることは無理なので、自分自身が罵声を浴びせるような人間にならないように、そして将来もなりたくないと考えています。

しかし、考えてみれば、年齢に関係なく、ちょっとしたことで怒る方は時々、電車内などで見かけますね。「そんなに怒らんでもええのに」と多くの人は思っている場面です。

P.S.
鉄人Honeyのリンクは既に変更しておりますよ。たまには、社長・起業家ブログ集もクリック下さいね。

ではまた。
小島愛一郎 | 2008/06/20 4:44 PM
リンク貼り替え、ありがとうございます。
起業家ブログ集、応援ポチ、がんばります〜!m(_ _)m
えみしゃん | 2008/06/22 9:02 AM
大丈夫とは言いながらも、罵声浴びたこと結構気にされてるんですね(^^;)でも当然の感情だと思います。

ただ、その老人は社長さんの車に早く通り過ぎてもらいたかったんでは?
自分たちは歩くのが遅いので、車に待っててもらうのが嫌だったのではないでしょうか。
ありがた迷惑というやつで。
それにしても怒鳴ることはないと思いますが・・・。

こういうのって難しいですね〜。
| 2008/06/26 10:02 AM
お名前を記入されておられませんが、いずれにせよコメントありがとうございます。

ご指摘のように、早く通り過ぎて欲しかったため、あるいは私の車がとまることが嫌だったため、そういった態度に出られたという可能性もありますね。
(いやはや、一つの事柄で多様な意見を頂戴し嬉しい限りです。)

そして、早く行って欲しい、停まらないで欲しいという思いが「罵声」として発せられたのですが、当事者としては「罵声」でもなんでもなく、心からの叫びだったのかもしれません。

だからこそ、「叫び」も時には「罵声」と捉える人も存在し、それに傷つく人も存在すると共に、単に「叫んだだけ」と解釈し、第三者は何とも感じないと考える人など、きりが無い程、多様な人々の言動は存在します。

私自身でなく第三者の多様な言動すべてを変えることはできないと、この記事やコメントにて私は考えていると書いています。そこが今回の中心です。

>こういうのって難しいですね〜。
その通りと思います。難しくかつ答えなど無いものだと考えます。

ではまたお気軽にご来訪下さい。よろしくお願いいたします。
小島愛一郎 | 2008/06/26 2:44 PM
お気軽にコメント下さい:動画・画像といった関連語句をコメント文章に入れないで下さい。コメント拒否設定となります。









この記事のトラックバックURLです。
http://sunact.jugem.cc/trackback/785
皆様からのトラックバック

是非、ご覧下さい
ティファニーのテーブルマナー
ティファニーのテーブルマナー (JUGEMレビュー »)
W.ホービング
私がホテルマン時代に上司からこれだけは読めと言われた、テーブルマナーを知る基本の書籍。

▲ Page Top