GW中、5月3日深夜まで仕事。翌4日は完全に休日としたため朝10時に起床。起床後、右手がまったく動かないことに気付く。通常より4時間程度、長く寝たため、寝違えのように右手が痺れていると安易に考えていた。
その後も、まったく動かない右手 昼食時、妻にその旨を伝えた。40歳代という年齢から「手の痺れ=脳梗塞の前兆」と妻は考え、緊急外来に行くよう懇願されたが私は数時間もすれば治るだろうと考え、昼寝。目覚めたのが17時頃。残念ながら期待に反し右手がまったく動かない状況に変化は無かった。
18時過ぎ、車で15分程度の緊急外来対応の病院に直行。車の運転も困難だったが左手が利き腕で何とかなった。心配してくれたのか、子供達の夕食準備を終えた後、妻も自転車で病院到着。「脳・心臓」関連かと妻は思ったのだろう。
病院で待たされること30分。まず内科のレジデントの先生の診察。ここ数年間の健康診断結果(お陰様でこのような日々を過ごしていながらも、すべて完璧な標準値)を提示。レジデントの先生の知識・経験から脳梗塞や心臓関連の簡易チェックを受けるが問題無し。次に先輩格である内科医の先生が登場。似たような診断をされるが問題無し。重篤な病気で無いことが判明し「整形・神経関連」の先生の判断を待つこととなった。
診断結果:全治3ヶ月の「とう骨神経麻痺」 整形外科の先生がやっと登場。即座に「とう骨神経麻痺:橈骨神経麻痺」と断定。脳や心臓に関係ないことに安堵するが、正常に右手で字を書けるまで、通常は3ヶ月を要すると明言された。薬も痺れを抑えるビタミン剤だけで、断裂した神経が自然に回復するまで時間の経過を待つのみということ。いつ完治するか、まったく不明の状態と告げられた。
帰宅途中、どうしてこのような事態を誰が与えたのか、何を知らしめているのかと考えたが、何も思い浮かばず、その日を終えた。そして、何らの家族サービスもできず、連休が静かに終わった。
仕事再開、苦悶の日々 連休後、左手のみでマウスやキーボードを操作。たまに右手を使おうとするが汗だくになる。まさしく「苦悶」だ。そして、左手の使い過ぎで左手も麻痺状態になる。ハサミが使えない、書類を正確に二つ折りにできないなど書けばきりが無い日々。
そんな日々が約一週間、経過。少しずつ右手は動くようになっているが、字はまったく書くことができない。立場上、致命的状況にある。
当事者になってこそ理解できる「痛み」
世間には、多様なハンディキャップを持った方々が存在する。私は当面、右手が動かないだけで数ヵ月後、最低一年で治るはず。ただ、生涯、ハンディキャップ
を背負わざるを得ない方々。私のような人間が言うことすら僭越だが、少しだけ当事者となって理解ができた。そして、これも僭越だが、身体だけでなく心の
「痛み」も、ほんの僅かだが共有できたと認識している。
今、沖縄の件で、政府は揺れている。我が国のトップは、米海兵隊の抑止力について「学べば学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍がすべて連携して抑止力が維持できるという思いに至った」と語られた。
違うのだ。
学べば理解できる事柄、そうではない事象があると私は考える。そして沖縄の件は後者だと私は思う。沖縄の方々にとっては、誰かから抑止力の重要性を学んだ
結論など関係のない話と捉えておられると私は想像する。現実的ではないが「最低でも1ヶ月程、沖縄で生活し、現実を体感し痛みを理解」した後に、先の発言
があれば、沖縄の方も感じ方に少しだけかもしれないが違いがあったと思う。
私の右手の話に戻る。多くの方から心配していただき、精神的
な支えとなっており、心よりありがたく思っている。改めて御礼したい。ただ、右手の痛み、生活上の苦悶は私自身しか理解し得ない。ネット上で誰かが「とう
骨神経麻痺を学び、大変な事態に陥ったという思いに至った」と言われても、私の「心身の痛み」の変化は皆無だ。
私のことは些細な話。それよりも沖縄の件だけでなく、今も苦痛を伴っておられる原爆被害者の方々、肝炎、拉致問題の当事者の方々。その他の多様な事象も、当事者にならなければ理解できないものばかりだ。
「痛みを分かち合いたい」と軽々に語ること。あたかも相手を考慮したような発言。これらを当事者がどう思うか、私自身も含め、熟慮した上で発するべきであることを今回の私の右手の件で強く感じた。
それほど言葉とは重く、相手を考えた言葉が逆に相手を深く傷付けることを認識すべきということ。当事者の方々の思いを知るには、当事者にならなければ分かり得るはずも無いことを私は、やっと理解できた。
恐らく、これらを理解できていない私に対し、誰かが、今回の事態を招き、深く考えよと導いてくれたのだろう。
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皆様のコメント
いずれにしても元気が基本ですので、ご家族のためにも無理のない範囲でご活躍下さい。
ただ、「元気が基本」、これについては私なりに再度、試行錯誤致します。
大変ですね。
この病気、都会の中年おじさんが、酔っぱらって電車に乗って、ドアの横の座席に座って片手を鉄棒に乗せ、それに自分の頭をのせて眠り込むとかかることが知られています。
また、ハネムーン病としても有名で、新婚のベッドで、腕まくらに新妻の頭をのせたままうっかり眠ってしまうと発症するらしいですよ。
完治には、少し時間がかかるらしいです。
どちらのパターンかな?
>どちらのパターンかな?
普通に自分のベッドで一人で寝過ぎただけです。何卒、信じて下さい。
いずれにせよ、完治まで長引きそうです。本当に当事者になってみなければわからないことがあるなと体感しています。
自分も先日、朝起きると右手の中指、薬指、小指が動かず、手首を上下させることができなくなっていました。
「午前中には治るだろう」と気にせず学校に行ったのですが、ノートはとりにくいし、日常生活にかなりの支障が出て、病院にいったところ、「とう骨神経麻痺」と診断されました。
私は全治三日ほどと言われましたが
まったく良くなっていません。
通学は自転車なのですが
右手が思うように動かず
運転しにくく、頭が痛いです。
小島さんのように三ヶ月このままならば
テストや、体育や部活など
どうすればいいのだろうと不安です・・。
ただ、貴殿の場合、コメントを見る限り、一部の指にみが動かない、字を書くことができるということで軽傷なのかもしれません。私は20日経過しても、まったくペンを握ることさえできません。最初の数日間はボタンも止められませんでした。
私は医者ではないので、これ以上、何も助言できず申し訳ないですが、他の病院での再検査(整形外科か神経内科)をおススメします。
そういっていただけると心強いです。
とりあえず、麻痺が良くなるまで
部活(書道部なのです・・・。)は休むことにしました。
小島さんも早く良くなられますように。
当方、順調に回復しています。
どの程度の麻痺状態か不明ですが、下手をすると筋肉が固まってしまうので、やはり専門医に診てもらって下さい。
私は母が書道の先生で、左利きの私が書道で右手で字を書くことができるようになりました。
再度になりますが、お若いので将来を考え、後遺症などにならないよう専門医に見てもらって下さい。
麻痺と診断されてから二週間がたちました。
もう自由に右手を動かすことができるようになってきました。
若干タイピングが遅くなってしまったものの、時間の経過とともに良くなっていくと思います。
やはり自分は軽症だったようです。
もう部活にも復帰することができ、日々練習に励んでいます。
小島さんに優しい言葉をかけて頂いて本当に心の支えになりました。
ありがとうございました。
良かったですね。安堵しております。
再発にご注意ください。
明日、病院へ行ってみます
私の場合、5月4日に発症し、今日で2ヶ月。タイピングなどは完全に回復しました。あとは筋力・握力回復のみです。
その言葉励みになります。
鍼灸マッサージの仕事をしてる友達に相談した所、明日できる限りの治療をしてくれる事になりました。
また、結果報告しますね。
ぱぁが出来るようになったのと左右に指が動くようになりました。
感動して泣いてしまいました… 焦らず、ゆっくり頑張ろうっと期待が持てました。
焦っても早く治るものはありませんので、時が経つのを待ちましょう。お互いに。
小島様もがんばって下さい。今日も針治療するんで、また、進展があったら報告しますね。
変化はありませんでした。
今日は治療休みですが、明日あるんで、進展があれば報告しますね。
イライラする自分が見えてきました…
周りに当たらぬように押さえたい今日この頃です。
前回のコメントのように日々、記録を。
またイライラすることもあるかと思いますが、上述したように周りには辛さを理解できません。何とか堪えて下さい。
大切なこと。それは、イライラしても治るものでもないことということです。
じっくりといきましょう。
やっと、動かない右手に慣れてきました。
時間は…かかりますが、簡単な料理や掃除、もちろん仕事は、当たり前ですが…出来てます。
リハビリじゃないけど、動かないとストレスが溜まりそうなので、やってます。
あれから、進展は無いんですが、心が変わりました。
それだけでも救いです。ポジティブに頑張ります。
私も普通に寝たのですがもしかして子供のおもちゃとかが落ちていたのに気づかず腕を圧迫する形で熟睡したのかもしれません。
本当に僭越ながら障害者の気持ちも体験したような日々でした。
でも年をとってまた大きくおきるのではという精神的な不安も抱くことになりました。
時でもないときに失礼しました。
それではお元気で。
整形外科では不安なので、神経内科に行ってみようと思います
一ヶ月、何も変わってません
後遺症とか残るかが心配です
アルコール依存症なので、それもダメなのかなと、、、
でも、ストレスで、余計やめられません
また、神経内科に行ったら報告します
当方は半年で体感的には、ほぼ回復しましたが、実際は回復しておらず。仕事柄、重いものを持つことが多く、結果として2年後に再発しました。
アルコール云々は不明ですが、できれば1年以上、手を酷使しないことをおススメ致します。
大阪のやす(50歳)と言います。
私もGW中の旅行先のホテルで早朝、パジャマのズボンのゴム辺りが痒くなったので、右手でかこうとしても、そこに手が届かないのが切欠でした。(5/6)
右ひじから、親指と人差し指間の軽い痺れと、中指から小指までを反らすことが出来ません。
グーは出来るけど、パーが出来ないのです。
旅行も最終日でしたので、帰阪して、脳神経外科でMRI(脳、首)を撮ってもらい、異常なしでした。メチコバールを1週間処方してもらい、再診察(5/13)。整形外科を紹介してもらい、そこで橈骨神経麻痺と言われました。
なんせPCができないと仕事にならないので、手の甲を反らすための装具を作ってもらい、左でマウス、右の人差し指、1フィンガーで操作しています。
手首を机に置いて、ピアノを弾くような指の動きが出来なかったのですが、10日目にやっと中指が1センチ程度、上げれるようになりました。
ある程度、自由になるまでの道のりは、長かったと思いましたが、治療に際し、診療科以外の治療はされましたでしょうか?(鍼灸、整骨院等)
これから、ビールが美味しい季節ですが、飲酒はされましたか?
組織の代表者でもあり、ご苦労されたとおもいますが、お教えいただければ、幸いです。
最後、右手が不自由なため、乱文お許しください。
よろしくお願いします。
まず、この記事は2013年のGWのものです。尚、神経麻痺の1週間後には東京出張でした。もちろん、動くはずも無く。整形外科の先生から、薬も一応、もらいましたが、ビタミン関係の気晴らしの薬服用です。
整形外科以外は通院しておりません。飲酒は麻痺以前も麻痺後も適当に致しました。
いずれにせよ、半年で、通院は終わりとなりましたが、造園・建設業と言う立場から翌年、重いモノを持って現場作業。後遺症は残りました。
現在は、特に問題ありません。ただ、細かい字を書くのは未だに支障をきたしておりますが。
また、何かあればお知らせ下さい。
お返事ありがとうございます。
先日、3回目の整形外科での診察があり、思ったより、回復が早いので、予想外だと、先生から言われました(*^^)v
飲酒ですが、麻痺した腕には影響がなかったでしょうか?
完全な回復には時間がかかるのは、認証しています。
夏場の冷たいドリンクの誘惑が・・・。
ありがとうございました。
車がMTなのですが(ファミリーカー)、右ハンドルでよかった。左だったらレバー動かせなかった。
こんな私でも治るでしょうか。いちおう書く仕事で左手だけで今してます。
上記の私のコメントの通り、当方は半年ほどで、回復しました。
4ヶ月ほどで何らかの変化を感じると思います(少なくとも私の場合)。
私は本来、左利きですが、字も日常動作も右利きです。箸だけ左です。よって、私も日常生活は苦労しました。
ただ、多くの方に「右手が麻痺」と伝えたため、何かと理解してもらえました。
貴殿も、恐らくされているとは思いますが、他人に理解してもらうことを、まず優先されればと思います。